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執筆者

平川 あずさ

食生活ジャーナリスト、管理栄養士。公益社団法人「生命科学振興会」の隔月誌「医と食」副編集長

あずさの個別化栄養学

進行したがん患者の食事から学んだこと

平川 あずさ

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 友人が入院した。都内の有名ながん診療連携拠点病院に見舞いに行くと、元気そうな友人から「がんになっちゃたよ」とこぼされた。検査をすること1ヵ月。すい臓がんの疑いがあるが、原発(元々のがん)がまだわからないのだそうだ。がんの場合、原発のがんがわかるまでは病名が確定しない。

 入院して2週間ほどしてようやくがんの原発は「肺」だと判り、治療が始まった。薬を投与してもがんの大きさはどんどん大きくなるばかり。入院1ヶ月後には腸閉塞を併発し、がん治療を中断して緊急手術を行った。外科的処置はうまくいったが、そのあと3週間後には食事を全く口にすることができなくなってしまった。

 今回は、糖尿病や腎臓病などではなく、「がん」といえども病院での食事が治癒に大きな役割を果たすということについて考えてみたい。

がんのせい?薬の副作用?

 通常、手術後の食事は、胃腸に負担の少ない重湯や水分が多めのお粥(3分粥など)とすまし汁からスタートして、徐々に通常の食事に戻していくことになっている。とくに消化器の術後などは、1回の食事量を減らし、食事回数を増やす「頻回食」となることが多い。

 イメージとしては通常の食事が一日3回のところ、10時と15時を入れて5回、または20時を入れて6回食べるといった感じだ。多くの場合、10時、15時、20時は濃厚流動食に用いられるような栄養補助食品やビスケットとヨーグルトなどおやつ的な栄養補給が多い。

 しかし、友人の場合、お粥とすまし汁と野菜の裏ごしとフルーツの缶詰といった3回の食事が2週間も続いた。みるみるうちに4kgも痩せて、本人もさすがに体力が落ちたことに不安を覚え、主治医に訴え、やっと6回食になった。

 しかし、毎日出てくるビスケットとヨーグルトなどにも飽きてきて、病院の食事は食べなきゃいけないと頭では理解していても口にできなくなってしまった。主治医からは「貧血が進んできたので、輸血が必要です。たんぱく質ものをしっかり食べましょう」というアドバイスがあったようだ。しかし「病院の食事に大してたんぱく質源がない」と友人は困惑している。

 確認してみると、友人の食事は「術後のままの内容」が続けられており、食上げ(術後の日にちの経過に伴って食事内容が増えてくること)が行われていなかった。

 ようやく術後3週目から抗がん治療を再開し、術後食から一般食の軟飯になったが食欲は戻らないままだった。食欲が戻らないのは亜鉛欠乏症から引き起こされる味覚障害も呈していた可能性もある。(亜鉛欠乏と味覚障害の話は別稿で詳しく紹介する。)
 
 これでは栄養は足りない。体重が減少するのは当たり前だ。病院栄養士の経験がある私から見ると、術後から普通食への移行期に上手に栄養がとれずにここまで痩せてしまったら、経口以外の他の方法も使って、強制的に高栄養にするほうが望ましいといえる状態であった。しかし、友人やご家族は「貧血はがんの進行が早いためで、痩せるのもそのため」と主治医から言われていて、どうしようもないことなのだと半ば諦めていた。

病院食が食べられない

 進行が速いがんの場合、がん細胞が増殖するためのエネルギーとして、糖質のグルコースがどんどん使われる。食べていない場合は、内臓脂肪を分解し、筋肉や皮下脂肪を燃やしていく。たしかに主治医の言うように、急激に痩せていく。そのため、その分を補給していかなくてはならないことは明らかであろう。

 また、がんの治療には主作用が強い薬を用いることも多いので、副作用で気持ちが悪くなったり、嘔吐したりして、食欲が減退することが知られている。しかし、友人の治療に使われていた薬(分子標的薬)には従来の抗がん剤のような副作用は少ないことがわかっている。にもかかわらず、友人は病院食をほとんど食べられない日々が続き、みるみる衰弱していった。ただし、歩くことができなくなった頃になって、逆に「普通の食事が食べたい」と意欲を見せるようになったのだ。

 これは単なる入院患者のわがままなのか、あるいは、最後の晩餐のための願望なのか・・・・そう感じさせるほど衰弱が進んでいる。友人は病院食が目の前に運ばれてきても、食べる前から「味が想像つくので口にできない」と拒絶してしまうようになっていたのだった。つまり友人は、がんによる衰弱(これももちろんあるのだが)だけではなく、食べられないことから起きる衰弱が進んでいた可能性もあると推測できる。

栄養の力で貧血改善

 病院での食事は、基本的に、身体の弱っている人への食事である。栄養的要素と衛生に加えて、調理時間、温度、味付け、食形態、盛り付け・・・・など、日常の食事よりもきめ細かく神経を行き渡らせるのが病院食のはずだ。

 しかし、医療がこんなにも高度に進歩している現代にあっても、病院における栄養管理は遅れをとっている。たとえがん専門医がいる病院であって、がんの治療そのものはかなり進んでいる病院ではあっても、患者の栄養管理や食事形態については、必ずしも進んでいるとは限らない。

 がんの場合は、副作用の強い抗がん剤との戦いもあるので、「とにかく食べられるものを食べましょう」とか、あるいは、ターミナル期には「食べたいものを食べてください」というような「大らかな食事管理」になりがちだ。

 それゆえ逆に「食べられない人は、しょうがない」と一括りにされてしまうということがあるように見受けられる。

 2型糖尿病のような生活習慣病では、食事は「治療そのもの」といってもよいくらい重要な役割を担っている。それに比べるとがんでは、疾病の治癒が最優先事項であり、食事には「重き」がおかれていないようだ。しかし、たとえがんであっても、入院中の食事は治癒に極めて大きな役割を果たしているということを病院サイドも患者サイドももっとしっかりと認識すべきではなかろうか。

 高度医療は、医療技術や医療機器、高額な治療薬などのことばかりが注目されているように思う。しかし実際には、その大前提として高度医療に耐えられる身体、患者の体力が必要なのであり、それには主として食事からの栄養補給が大切になるのは言うまでもない。入院が長期化すればするほど病院の食事がきちんと食べられているかどうかが治療に耐えうるかどうかを左右するのだ。

 患者は病気を治したいから病院に行き、医師に言われるがまま痛い注射もリスクのある手術も受け入れる(同意書にサインする)。その延長で「けっして美味しいとはいえない食事」も我慢している可能性がある。医療者側がそれに甘えているという側面があるのではないか。しかも、そのことが病気の治療や術後の回復に大きな影響を与えているのだとしたら、「甘えている」という一言ではけっしてすまされない。

 病院の食事が「美味しくない」とはよく聞く。さまざまな制限もあり、家庭での食事と同等には考えられないだろうことも承知している。が、美味しくないというレベルにもいろいろあるはずだ。

 美味しくない理由は、「食事が冷めているから」とか「薄味だから」とかいうことだけであろうか。薄味でも美味しい食事はあるし、冷めていても美味しい食事は存在する。病院全体で、患者がきちんと食べられる病院食が提供できているのかを真剣に考えているだろうか。美味しい治療食を出すという「本気度」に欠けているということがないだろうか。入院患者にとっては食べることだけが楽しみの患者もいるであろう。病院は、治療のための食事だから多少まずくても仕方がないスタートではなく、最大限美味しい治療食を出すという視点を持って取り組むべきではなかろうか。

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 友人家族は、投薬でがんの進行がわずかに抑えられたことが確認できた時点で、主治医の心配はあったが、車椅子で退院して外来治療にすることを決意。食事は栄養計算して徐々にエネルギーやたんぱく質量を増やし、家族で協力して美味しく食べる時間を作ることにしたそうだ。

 現在退院して3週間ほど経つが、がんの大きさはまだ大きいけれど、貧血は改善。7kg痩せてしまった体重も3kgは戻り近所であれば散歩できるまでに回復したという。外来の日には歩いて診察室に入り「明らかにお元気そうですね」と主治医を驚かせた。

 適切な栄養は治療の根源にあるのだということを目の当たりにした最近の出来事だった。

執筆者

平川 あずさ

食生活ジャーナリスト、管理栄養士。公益社団法人「生命科学振興会」の隔月誌「医と食」副編集長

あずさの個別化栄養学

食べることは子どものころから蓄積されて、嗜好も体質も一人一人違う。その人その人の物語に寄り添うNarrative Medicineとしての栄養学を伝えたい