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日本の天敵農薬第1号「クワコナコバチ」の話(柏田雄三さん)

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現在、数多くの天敵農薬が農作物栽培の現場で利用されています。化学合成された有効成分ではないので有機栽培での害虫防除の手段になること、薬剤抵抗性のために効きにくくなることが無いこと、防除器具を使った薬剤撒布でないことなどの理由で、天敵農薬が導入されているのです。
良いことずくめに思えるかもしれませんが、実際には主要な害虫すべてに天敵農薬があるわけではないこと、使いこなしに知識や経験を要すること、生きものが商品なのでいつでもどこでもすぐに求めることができないこと、目の前で効果が実感しにくいことなどから、普及するには一定の時間がかかるようです。現地で技術指導をしてくれる人たちの力も大切です。

天敵農薬が我が国で産声を上げたのは今から50年も昔のことになりますが、今ではそのことを知る人は少ないことでしょう。本稿では、日本の天敵農薬第1号となったクワコナコバチの開発物語をお伝えします。

樹上のクワコナカイガラムシ

●リンゴ・ナシの害虫クワコナカイガラムシ

リンゴに寄生したクワコナカイガラムシ

クワコナカイガラムシ(以下クワコナ)はリンゴやナシの厄介な害虫です。

成育の進んだ幼虫や成虫、卵は体の表面がワックスで覆われ、しかも樹皮の下や果実にかける袋の内部などに生息するため薬剤の効果が表れにくいものでした。

栽培農家では薬剤の散布に加えて冬期に害虫が潜む幹の粗皮削りや幹に巻き付けたバンド誘殺などが行われましたが、それは大きな労力を伴うものでした。

 

●クワコナカイガラムシの天敵クワコナカイガラヤドリバチ

クワコナカイガラヤドリバチ成虫

このクワコナカイガラムシの防除に用いられたのが「クワコナコバチ」です。体長がわずか0.8mmほどの寄生蜂「クワコナカイガラヤドリバチ」(以下コバチ)で、武田薬品工業株式会社(以下武田薬品)が製品化した天敵農薬です。

マミー中のクワコナカイガラヤドリバチ幼虫

クワコナにこのコバチが産卵すると、孵化した幼虫が内部を食い荒し、クワコナは中にコバチの蛹が詰まった死骸となります。このように他の種類の生物に寄生する蜂が「寄生蜂」です。

マミーと羽化したクワコナカイガラヤドリバチ成虫

寄生蜂の蛹が詰まった宿主の体を「マミー」と呼び、クワコナの1つのマミーからは10頭ほどの成虫が羽化してきます。ここでのマミー(mummy)は「お母さん」の意味ではなく「ミイラ」のことです。

●クワコナカイガラヤドリバチの天敵農薬としての研究と農薬登録

武田薬品での試験研究は、九州大学農学部安松京三教授のすすめによって1962年12月にスタートしました。クワコナの数種類の寄生蜂のうちからこのコバチが候補として選ばれました。

寄生蜂などの生きものであっても害虫防除に使用するものは農薬で、農薬取締法によって国の登録を得なければなりません。コバチの使用法と効果に関する予備的な各地での圃場試験を経て、1964年からリンゴ、ナシ栽培主要県の園芸試験場、果樹試験場などで本格的な実用化のための試験が行われました。
それらの結果をもとに1967年に農薬登録申請がなされ、1970年3月には日本における生物農薬第1号「クワコナコバチ」が農薬登録されたのです。研究開始から7年以上の月日が流れていました。

製品化に当たっては、公的な効果確認試験のほか、社内でマミーの大量生産の方法、輸送に耐える製品の形態、製品の貯蔵方法、輸送方法、使用方法などさまざまな課題を解決しなければなりません。それらは京都府福知山市の同社福知山農場内に新設された施設で行われました。
寄生蜂が体内にいるカイガラムシを製品にするわけですから、そのもとになるクワコナを大量に増殖するための植物が必要です。それには、芽出ししたばれいしょ、表面が平滑ではなくクワコナが好む表面に凹凸が多い高価な日本カボチャが使われました。

マミーが封入された製品シート

幹に取り付けられた製品シート

●クワコナコバチの使い方

農薬登録された「クワコナコバチ」の製品はシート当たり2,000頭以上のコバチが羽化するように設計されており、そのシートを10アール当たり50~100枚(1樹当り2~5シート)リンゴやナシの枝幹に取り付けます。シートの一部はマミーから羽化した蜂が通過できるようアミになっていました。

●販売開始から販売中止まで

この栄えある生物農薬第1号は1970年、1971年に青森、岩手、秋田、長野に出荷されて農家からは好評を得ていました。50シート入りの一箱当たり5,000円と高価であったにもかかわらず。初年度から注文が多く生産が追い付かない状況だったそうです。

しかし、生産にはクワコナを飼育する植物の管理、クワコナの飼育、製品となるマミーの調製など多くの人手を要しました。製品をタイムリーに配達するのも今と違って大変でした。それらのことから製品のコストが非常に高くなって採算に乗らず、一企業で事業を継続するのは負担が大きいと1971年の9月に至って生産を中止し、販売停止することになりました。そして1973年には農薬登録を返上したのです。1974年の朝日=ラルース週刊世界動物大百科には、武田薬品の関係者が当時を振り返り、「あれは、まさに芸術品でしたなぁ」と嘆息したことが記されています。

●天敵農薬第1号「クワコナコバチ」から学べること

クワコナコバチはこのように上市から2年で販売中止のやむなきに至りましたが、事業化に当たっての知見が埋もれてしまうことはありませんでした。その後、製造上の技術が農林省植物防疫課やりんごの生産県に開示されました。いくつかの県ではコバチを増殖して配布する事業が実施され、この技術が生かされたのです。

前述したように当時の技術では大きな人手を要しましたし、クール宅急便など物流の手段もない、現在とは比べ物にならない時代でした。今はこのようなことが大きく改善され、海外から生きた天敵が空輸される時代、「クワコナコバチ」は、世の中に出る時期が早すぎたと言えるかもしれません。しかし、「クワコナコバチ」はいろいろな媒体に取り上げられ、天敵を生物農薬として害虫防除に利用することを世の中に知らしめたのです。

謝辞:河合省三、岸谷靖雄、高木一夫の各氏に写真提供などのご協力をいただきました。感謝いたします。

主な参考文献:
「天敵 生物制御へのアプローチ」 安松京三 日本放送出版協会 1970年
「新しい生物農薬生まれる クワコナコバチ」 久保藤男
化学と工業 第23巻第8号 日本化学会1970年
「昆虫産業新時代(下)-天敵・訪花昆虫というミニ労働者たち-」
朝日=ラルース週刊世界動物大百科169号 1974年
「武田二百年史」 武田薬品工業株式会社 1983年
「生物農薬事始」 守本陸也 植防コメントNo169 日本植物防疫協会 2000年

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