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めんどな話になりますが…|松永 和紀

どんなコラム?
職業は科学ライターだけど、毎日お買い物をし、家族の食事を作る生活者、消費者でもあります。多角的な視点で食の課題に迫ります
プロフィール
京都大学大学院農学研究科修士課程修了後、新聞記者勤務10年を経て2000年からフリーランスの科学ライターとして活動

超訳・放射能汚染2〜毒性学の建前は「極力低減」

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2011年4月25日

前回の超訳・放射能汚染1〜疫学では「100mSv未満は大丈夫」より続く。

 前回、疫学を基にした「100mSv未満であれば、大丈夫」の根拠について説明した。しかし、一方で科学者たちや食品安全委員会などは、「放射性物質の摂取、放射線の曝露はなるべく少ない方がいい」という方針も同時に示している。この矛盾を説明するには、放射能研究に触れるだけでは足りない。遺伝毒性発がん物質を巡る議論の経緯を背景として語る必要がある。

●遺伝毒性発がん物質は「閾値なし」

 遺伝毒性発がん物質とは、細胞中のDNAを傷つけ、それによってがん発生をもたらす力をもつ物質のことだ。この場合の「遺伝」という言葉は、親から子に毒性が伝わる、という意味ではない。遺伝子(DNA)を傷つける、という意味で、遺伝毒性という表現が使われている。

 放射性物質の多くは人の体外にあっても強い放射線を出し体内のDNAを傷つける。また、空気を吸ったり食品を食べるなどして体内に取り込まれると、体の中で放射線を出して崩壊し、安定化する。この時の放射線によって細胞中のDNAを傷つけるので、放射性物質も遺伝毒性発がん物質である。そのほか、調理によってできるアクリルアミドやヘテロサイクリックアミン、カビ毒のアフラトキシンなどがよく知られている。

threshold

一般の化学物質の暴露量と生体影響の関係。閾値(それ以下の量では毒性がない限界量)がある。たとえば農薬は、閾値のある化学物質しか使われておらず、残留基準はADIを大きく下回る数値で設定されている

 そして、遺伝毒性発がん物質の大きな特徴が「閾値(いきち)がない」とされていることだ。
閾値というのは、それ以下の用量では毒性がない限界値だ。一般の化学物質では、暴露量(摂取量)と生体への影響が、左の図のような関係にあるとされている。つまり、無毒性量があり、それを下回れば体への影響をもたらさない。

 ところが、遺伝毒性発がん物質は違うとされている。たとえ一分子であってもDNAを損傷し、不可逆性の変化をもたらすとして「閾値はない」という仮説が支持され、「遺伝毒性発がん物質は極力摂取を減らすべき」とされてきた。

●近年は「閾値あり」が優勢に

 ところがこの仮説が今、毒性学の世界でも揺れに揺れているのだ。「遺伝毒性発がん物質にも、閾値あり」、つまり、無毒性量があり、それ以下であれば生体への影響なし、とする仮説が出てきている。いや、むしろこちらの見方が今や主流といってよいのではないか。

 生化学の進歩は目覚ましく、細胞のDNA修復の精緻な機構やアポトーシス(多細胞生物において、異常細胞が自ら死ぬことで、生物としての健全性を保つ仕組み)が解明されてきた。また、発がんには、複数の遺伝子変異が必要ということも分かってきた。「DNAの損傷は不可逆的で、たった一つの損傷でも影響がある」という古典的な考え方は、覆されている。

 だが、繰り返すが科学者の間で20年近く、揺れに揺れている論争である。「閾値あり」仮説はまだ科学者のコンセンサスには至っていない。その結果、化学物質の毒性について検討している多くの国際機関は、昔からの「閾値なし」仮説のままで、リスク評価やリスク管理を行っている。

 たしかに、「in vitro」(試験管内で)という言葉で表される細胞を用いた実験では、「閾値あり」ということを示すかなりの証拠が出ている。しかし「in vivo」(生体内で)という言葉で表される生きた実験動物などを用いた系においては、「閾値あり」を示す研究結果はまだ多くない。そのため、どの機関も「閾値なし」仮説のまま進むことの問題は十分に把握しているものの、あまりにも大きなテーマなのでそうやすやすとは方針転換できないのだ。

 その姿勢は、日本の機関も同じである。食品安全委員会においては、2005年のアセトアルデヒドの審議あたりにうかがえる。
 つまり、遺伝毒性発がん物質について多くの科学者、機関には建前(閾値なし。極力削減すべし)と本音(閾値あり。一定量までは許容できる)があるのだ。

●市民に分かりにくい「両論併記」

 ここまで説明してやっと、放射能汚染の問題に戻って来られる。
 食品安全委員会は、3月29日に出した「放射性物質に関する緊急とりまとめ」の中で、規制の根拠となる数値を放射性ヨウ素とセシウムについて示し、「食品由来の放射線曝露を防ぐ上で相当な安全性を見込んだもの」「かなり安全側に立ったもの」などと表現した。

 審議の中では主に、疫学や放射線治療の中で得られている知見の観点から専門家が発言し、「100mSv未満は、発がんリスクが検出されないという研究が圧倒的に多い」とか「いや、20mSv弱の曝露で、固形がんのリスクが若干上がっているという調査結果もある」などと、低線量放射線の発がん影響について多くの意見が出た。その末に、かなり厳しい数値(放射性ヨウ素については甲状腺等価線量50mSv=実効線量にして2mSv、放射性セシウムについては実効線量5mSv、あるいは10mSv)をとりまとめた(この経緯については、次回書きたい)。

 が、これだけ発がん性について議論していても、緊急とりまとめにおいては「今回の検討では、低線量での発がん性のリスクについての詳細な検討は行えていない」と書かざるを得ない。それは、遺伝毒性発がん性についての毒性学的な研究の評価をしていないからだ。

 また、同じ文書で「放射線への曝露はできるだけ少ない方がよいということは当然のことである」と書かなければならない。遺伝毒性発がん物質の閾値についてまったく検討していない以上、食品安全委員会としては、これまでの「閾値なし」仮説を踏襲し、組織としてとりまとめに盛り込まざるを得ない。

 この矛盾。だが、食品安全委員会を責めることはできない、と私は考える。
 緊急時で、毒性学的な見地からリスク評価をする時間がなかったことはよく理解できる。この問題に挑みだしたら、情報収集にも審議にも極めて長い時間を要し結論はなかなか出ない。だから、毒性学的議論はばっさり切って、「実際上の人への影響」という疫学的な見地を中心に評価をとりまとめた。それは、極めて適切な判断だと思う。ただ、それが故に、一般市民には極めて分かりにくい両論併記的な評価結果になってしまった。

 いずれにせよ、毒性学上の「閾値ありかなしか」という議論は、極めて微量における問題である。放射線の影響は、前回書いたように、そのような微量のレベルでは、ほかのがん要因にかき消され、閾値があろうがなかろうが、「リスクの上昇」には至らない。したがって、実際の私たちの生活における対策において、この問題は考慮しなくてよい。無視してよい。

 だが、科学者として学術的に誠実であればあろうとするほど、食品安全委員会の文書は一般市民に分かりにくくなってしまう。科学者の説明も難解になってしまう。放射線の影響を語るのも理解するのも、やっぱり容易ではない。そのことに改めて慄然とする思いである。

参考文献
農水省・食品中のアクリルアミドに関する情報詳細編
発がん物質にも閾値が存在する
遺伝毒性発がん物質の閾値問題を解決する道
—リスクアナリシスの立場から—

食品安全委員会・季刊誌「食品安全」第13号の「委員の視点」(食品中に存在する発がん物質について)
食品安全委員会・放射性物質関連審議資料
チーム中川
International Commission on Radiological Protection

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