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めんどな話になりますが…|松永 和紀

どんなコラム?
職業は科学ライターだけど、毎日お買い物をし、家族の食事を作る生活者、消費者でもあります。多角的な視点で食の課題に迫ります
プロフィール
京都大学大学院農学研究科修士課程修了後、新聞記者勤務10年を経て2000年からフリーランスの科学ライターとして活動

がまん基準としての暫定規制値

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2011年8月11日

 もうそろそろ、国や自治体などの職員は、「暫定規制値以下であれば安全」と言うのを止めたらどうか?

 このところ、厚労省や農水省の話を説明会等で聞く機会が多かったのだが、何人もの職員が未だに「暫定規制値以下であれば安全」と言っていた。自治体の職員もそう説明する。記事などでも同様だから、ずっとこういう言い方をして来たのだろう。
 こうした言葉の一つ一つが、放射性物質のリスクに対する誤解を産み、市民の不信感を招くのではないか? 改めてそう思うのだ。

● 規制値は閾値ではない

 一定の数値を挟んで「これを超えれば危ない。以下なら安全」というのは、科学ではない。数値と影響は連続性を持って語られるべきで、危険か安全かという二律背反の考え方はできない。

 だけど、お前だって農薬について「残留基準値以下なら安全」と書いているではないか? そう言われそうだ。農薬や食品添加物においては、無毒性量(NOAEL)があり、大幅に下回るところにヒトの「1日摂取許容量」(ADI)を設け、さらに大きく下回るところに基準値や使用基準の上限値がある。基本となるNOAELにしても、「この数値を超えれば危ない。以下なら安全」という性質のものではなく、複数の動物実験等で毒性がないと明確に確認できた値の最小値である。

 そんなNOAELやADIを大きく下回るところに基準値が設けられ、事実上のゼロリスクで管理されているからこそ、「基準値以下なら安全」となるわけだが、多くの行政機関も、そしてリスクについて原稿を書く私も往々にして、市民に説明する時にはNOAELやADIを経て基準値を決めるステップを飛ばしてしまう。

 だから、基準が連続的なスケールの中で設定されていることが、市民に理解されないのだ。そして、基準値とか規制値とか言う言葉を聞き「その値以下なら安全」と言われると、その裏返しとしてその値を超えると危険と考える。

 ましてや、放射線の健康影響は、閾値がないという前提で考えなければいけない。NOAEL、つまり閾値があるという説もあるが、閾値を実験的、疫学的に示すのは無理。そのため、ICRP(国際放射線防護委員会)は、閾値なし、放射線を浴びれば必ずリスクはあり、線量が増えればリスクも比例して直線的に増加する、という前提でのリスク管理を勧告し、ほとんどのリスク管理機関がしたがっている。

 このあたりは、もう最近ではおなじみの議論だ。低線量のリスクは、ほかのハザード(喫煙や受動喫煙、飲酒、高塩分の食生活、運動不足や野菜不足の生活など)によるリスクに隠れて区別できないが、そうではあってもリスクがないとは言いきれない。

 不要な放射線被ばくによるリスクはなるべく避けたい。食品中の放射性物質もできれば可能な限り少なくしたい。でも、現実には原発事故が起き、環境中に放射性物質がばらまかれてしまった。食品中への混入も避け難い。ならば、リスクはあると知りつつも、許容を余儀なくされるレベルがある。移住したり除染を行ったり、生産管理をしたりして対策が進めば、許容しなければならないレベルを少しずつ下げて行けるだろう。事故への対処、除染への対処にはお金がかかる。社会的負担、個人の心理的な負担も大きい場合もある。放射線のリスクが下がる代わりに、別のリスクが大きくなってしまうトレードオフのケースも多い。いろいろなことも考慮しながら、現実的な対策を講じて、早くみんなで放射線リスクを下げて行こうよ——。

 ICRPの勧告文書を大雑把に意訳すると、結局はこんな意味ではないか、と思える。事故後の状況を「緊急時被ばく」と「現存被ばく」と「計画被ばく」に分けてそれぞれ、数値を示しているが、これはリスク管理のための目安であって、健康影響の閾値にしようという意図はない。

● 「暫定規制値以下なら安全」はさらなる誤解を産む

 だから、「暫定規制値以下なら安全」と言ってはいけないのだ。
 汚染の状況が変われば、現存被ばく、すなわち復旧期に対応した少し厳しめの基準を設定するのが当然の流れである。だが、一般市民は一つの数字を挟んで、上回れば危険、以下なら安全と考えるという二律背反で、ものごとを考える思考に慣れきってしまっている。その値が変更されるとなると、「今までの暫定規制値はなんだったの?」という疑問が、市民からは当然湧いてくる。「暫定規制値以下なら安全」であれば、なぜもっと厳しい基準を設定するのか? もっと厳しい規制値を設定する必要があるのなら、やっぱり暫定規制値には問題があった、緩過ぎたのだろう。私たちは、ウソをつかれたのだ——と市民が思って当然だ。そしてそのことがまた、放射線リスクに対する誤解、過大評価につながってしまう。

 ウソをついていない姿勢を示すには、まずは「暫定規制値以下なら安全」という単純で細部を省略しすぎた説明をやめるべきだろう。低線量であってもリスクがあることを前提に誠実に語るしかない。

 「これはなかなか良い説明だな」と思ったのは、東都生協の方針だ。

東都生協は、今回の福島第一原発事故にともない政府が決定した食品衛生法 の「暫定規制値」は、あくまでも非常時のものであり、平時の規制値とは同列 には扱えない、「がまん基準」であると理解しています。
現在、「がまん」の許容程度についても専門家の間でも様々な意見が出されています。このような中で、東都生協が独自の残留放射能基準を設定することは、組合員や取引先、社会に誤解や混乱をもたらしかねません。現状では、政府が発表する残留放射能検査結果(対象地域、品目、検出数値など)をしっかりと確認と分析をおこない、これを活用しながら自主検査を継続し、組合員に対して正確な情報提供をおこなっていくことが大切だと、考えています。

 がまん基準とは面白い。たしかに、がまんの程度は状況によって変わる。
 原発事故後、平時(ICRPの言うところの計画被ばく)の基準を持ち出して「基準がこんなに上がるなんておかしい。国民をないがしろにしている」という主張を繰り広げたメディアが数多くあったが、大火事で焼け野原になった炎天下に、いきなり「空調完備の家がなきゃ、健康を保てない」と言っているように思えた。そんな現場で可能な応急処置は、まずは簡易テントで日差しを遮り熱射病を防ぐことだ。

 できることからする、そのための判断の“よすが”が、がまん基準、すなわち暫定規制値であり、そのがまんを一部の人たちに押し付けるのではなく、みんなでなるべく公平に負担しなければ、と説明されたら、多くの人たちがすんなり理解できたのかもしれない。

 実のことを言えば、私も低線量被ばくのリスクについて当初、「リスクがある」ときちんと書けなかったように思う。現行の暫定規制値は、がまん基準としてもかなり厳しいと私は考える。規制値を少々超えた食品を一般的な量、食べる程度では、大きなリスクではない。十分に無視できる大きさだ。その考えは変わらない。だが、そうだとしても、リスクはあるという前提で対処しなければならない。

 さすがに、「暫定規制値以下なら安全」と書いたことはない。しかし、「心配いらない」というような書き方をしたことがある。心配は個々の主観であり、逃げの表現だった。正面から「みんなでがまん、の時期もある」とは書けなかった。

 「リスクはある」を前提に書かなければ矛盾が起きる、ごまかしはまずいと明確に意識するようになったのは事故から1カ月以上たったころからだ。「リスク学入門5 科学技術からみたリスク」(岩波書店)でICRP委員の甲斐倫明・大分県立看護大教授が分担執筆した章を読み、甲斐教授の事故後の講演録も読み、リスクを伝えることの重要性を改めて意識した。原稿の書きぶりを変えた。

 行政職員は、早く説明の仕方を変えた方がいい。リスクを誠実に語ってごまかしのない姿勢を示そう。
         *

● 「中央公論」9月号の座談会「放射線リスクの真実」

 甲斐教授と、食のリスクについて深い考察を続けている中谷内一也・同志社大心理学部教授、畝山智香子・国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長の座談会「放射線リスクの真実 ジャンクサイエンスに惑わされないために」が、8月10日発売の月刊「中央公論」9月号に掲載されている。私が司会を務め、原稿をまとめた。
 3人の識者の話によって、リスク管理の考え方と今の日本に足りないことがよく分かる記事になった、と自負している。ぜひ、お読みいただきたい。特に、畝山さんの指摘が重い。畝山さんは次のように語っている。

私は宮城県石巻市出身だから言うのですが、今は原発事故しかないわけではありません。地震と津波のせいで、東北地方には今すぐにでも助けがほしいという人たちがいっぱいいる。なのに、国のリソースを全て原発だけに割いているように見えます。地震と津波で二万人以上が亡くなっているんです。その人たちを放置したまま、放射線の小さなリスクにばかり対処しているということが、とてもいらだたしい。明日にでも死にそうな人が被災地、避難所にいるのにそれを無視して、安心がほしいと言っているところが、すごく嫌です。

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