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執筆者

田中 伸幸

東京工業大学大学院修了、電力中央研究所入所。主に化学物質の環境リスクについて研究している。料理は趣味で、週末は3食とも担当

調理と化学物質、ナゾに迫る

調理排気の中に含まれるPAHsはどの程度体内に取り込まれるのか?(1)

田中 伸幸

 これまでのお話の中で、調理排気中には調理物の不完全燃焼に由来して、多環芳香族炭化水素(PAHs)と呼ばれる変異原性を有する成分が含まれること、これらは脂質の多い食材の加熱調理により多く排出されることを述べてきました。今回からは、これを一歩進めて、PAHsと粒子についてお話しましょう。本稿はその第1回目として、大気中に存在する粒子とその粒子径(粒径)について述べることにします。調理排気そのものの話からは少し離れますが、予備知識として大切ですので、お付き合いください。

 PAHsは通常、どのような形で存在するのでしょうか。一般に化学物質は、気体、液体、固体のいずれかの形で存在します。化学物質がこれら3つのどの状態で存在するかは、主として温度と圧力によって決まります。PAHsの場合、物質によっても違いますが、私たちが日常生活を送る環境ではその多くが固体として存在する一方で、一部は液体や気体としても存在します。

 最も単純なPAHsであるナフタレン(ベンゼン環が2つ縮重合したもの)は防虫剤として使われており、ご存じのとおり室温では白色の固体です。しかし、つんとする匂いからもわかるように、その一部は揮発して気体になります(そもそも揮発しなければ防虫剤としての役割を果たせません)。通常、防虫剤としての効果は数ヵ月程度ですが、これは固体状のナフタレンが数ヵ月で揮発してしまうことを意味します。

 ナフタレンよりも分子量の大きいPAHsでは、固体として存在する割合がさらに高まります。一般に分子量の大きなPAHsほど固体として存在する可能性が高いのです。とはいえ、ナフタレンがそうであるように、やはり一部は揮発します。このようにPAHsは室温では大部分が固体である一方、割合としては小さいながら気体としても存在するのです。

 ところで、PAHsの大部分は室温で固体として存在するといっても、調理排気中や環境大気中でPAHsの細かい粉末がふわふわ浮いているわけではありません。大気中のPAHsは、すすや無機物質などの細かい粒子に付着する形で存在しているのです。このように、微小な粒子に付着して大気中を浮遊している物質のことを粒子状物質(particulate matter: 略してPM)と呼びます。今から十数年前に、当時の石原慎太郎都知事がディーゼル排ガス規制のための条例を作りましたが、このとき石原知事が透明容器に入った真っ黒なすすを手にして記者会見をしていたことをご記憶の方もおられるでしょう。これも粒子状物質であり、当然のことながらこの粒子にはPAHsも吸着しています。

 では、この粒子の大きさ(粒径)はいかほどなのでしょうか。大気中に存在する粒子は大きく3種類に分けられます。1つめは粗大粒子と呼ばれるもので、粒径が10マイクロメートル(1マイクロメートルは1メートルの百万分の1)を超えるものです。この粒子は大気中に放出されても、重力の影響を受けて沈降してしまいます。2つ目は粒径が0.1マイクロメートルを下回る粒子で、核生成粒子などと呼ばれるものです。この粒子は大気中で不安定であり、近くの粒子と凝縮を繰り返すことで大きな粒子に成長するため、粗大粒子と同様、大気中での寿命は長くありません。

 そして3つ目が、粒径が0.1から10マイクロメートルの粒子で、蓄積粒子と呼ばれています。蓄積粒子の特徴は、重力の影響を受けづらく、気体と同じように大気中を長時間にわたり浮遊すること、及び大気中で安定に存在することにあります。すなわち、蓄積粒子は大気中に存在する主な粒子であり、「重量」濃度では、全粒子の7-8割程度を占めると考えられます。

 ここで敢えて「重量」濃度では、と強調したのには理由があります。別の見方、具体的には「個数」の観点からは、異なる側面があぶり出されるのです。大気中で最も個数濃度が多い粒子は、実は核生成粒子であり、粒子全体の9割以上を占めます。核生成粒子は非常に小さいため、1個当たりの重量は微々たるものですが、生成量としては非常に多いのです。私たちが今現在、吸っている空気中にも想像を絶する数の粒子が浮遊しています。

 試しに現在、私がいる部屋の粒子濃度を測ってみたところ、核生成粒子はわずか1立方センチメートル=1ミリリットル)の中に数十個ありました。これが、自動車交通量の多い道路沿いや、タバコを吸っている人の近くでは、飛躍的に高濃度となるのです。ヒトの呼吸量は年齢や性別によっても異なりますが、成人男性では1回の呼吸で500ミリリットルの空気を吸い込み、1分間に20回呼吸するとされていますので、たった1回の呼吸で1万個以上の核生成粒子を吸い込んでいることになります。

 粒子についてはさらに別の観点から見ることもできます。それは「表面積」です。すでに述べたとおり、大部分のPAHsはこれらの粒子に付着する形で大気中に存在しています。そして、PAHsの粒子への付着量を決める重要な因子の一つが粒子の表面積です。表面積が大きいほどPAHsがたくさん付着しうるであろうことは、容易に想像できましょう。

 ここで、同じ重量の核生成粒子、蓄積粒子、粗大粒子があったとすると、表面積はどうなるでしょうか。話を簡単にするために、それぞれの粒径を0.05マイクロメートル、0.5マイクロメートル、10マイクロメートルとして、これらが完全な球体であると仮定しましょう。すると、これらの表面積の比は150:20:1となります。つまり、全く同じ重さであれば核生成粒子の表面積は粗大粒子の100倍を軽く上回る広さになるのです。裏返せば、核生成粒子が粗大粒子の100分の1の重量しか存在しなかったとしても、表面積は核生成粒子の方が広いことを意味します。つまり、重量では粗大粒子の100分の1しか存在しない核生成粒子にPAHsの大半が吸着してしまうということがあり得るのです。

 このように、粒子状物質について考える上ではその粒径が非常に重要です。次回以降はさらに話を進めて、調理排気に含まれる粒子状物質とPAHsについてお話しすることにしましょう。

執筆者

田中 伸幸

東京工業大学大学院修了、電力中央研究所入所。主に化学物質の環境リスクについて研究している。料理は趣味で、週末は3食とも担当

調理と化学物質、ナゾに迫る

私たちの身の回りにはさまざまな化学物質があり、調理に起因するものもあります。本コラムでは、主に調理排気に含まれる化学物質について、さまざまな視点から述べたいと考えています