科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

田中 伸幸

東京工業大学大学院修了、電力中央研究所入所。主に化学物質の環境リスクについて研究している。料理は趣味で、週末は3食とも担当

調理と化学物質、ナゾに迫る

調理排気の中に含まれるPAHsはどの程度体内に取り込まれるのか?(2)

田中 伸幸

キーワード:

 前回のコラムでは、大気中に存在する粒子とその粒子径(粒径)についてお話をしました。今回はこれを一歩進めて、粒子はヒトの体内にどのように入り込んでいくのか、について考えてみます。前回に引き続き、今回も調理排気そのものの話ではなくなってしまいましたが、予備知識として必要ですのでお付き合いいただければ幸いです。

 医学的に見た呼吸器系の構造は、上流側から順に、鼻から咽頭、喉頭までを「上気道領域」、上気道領域を通り越して気管、気管支から肺の手前までを「下気道領域」、さらに下気道領域の下流にあり肺のうや肺胞で構成される「肺胞領域」の3つに分類されます。そして、ヒトが呼吸により粒子を吸引した際に身体のどこまで到達するかは、粒子径によって大きく異なります。また、鼻呼吸と口呼吸でも異なりますし、さらに運動時と安静時でも異なります。

 例えば鼻で呼吸した場合、粒径5マイクロメートル(1マイクロメートルは1メートルの100万分の1)以上の粒子の多くは鼻粘膜に沈着して、下気道領域以降には到達しないと考えられています。一例を挙げますと、土壌粒子は大部分が粒径10マイクロメートル以上の粗大粒子なので、これが肺まで到達する割合は非常に低いと言えます。鼻粘膜に沈着した粒子は体液によって表面から除去されます。つまりは鼻をかめば体外に排出することができます。

 一方、口呼吸をした場合には、粗大粒子であってもその9割以上が上気道領域を通過して下気道領域まで到達してしまいます。塵埃中の細菌は10マイクロメートル以上のものが多いので、鼻で呼吸している限りは体外に排出されやすいのですが、口呼吸の場合には下気道領域、すなわち気管支まで到達します。このことからもわかる通り、基本的にあまり口で呼吸しない(少なくとも吸わない)方が健康のためには良いのです。(余談ながら花粉は例外です。鼻粘膜を刺激するのが花粉なのですから、実は花粉症のことだけを考えるのであれば、口呼吸をした方がよいということになります。もっとも、口呼吸では口の中が渇くので、風邪を罹患するなど別のリスクが高まる恐れがありますが。)

 ちなみに運動時と安静時では、前者の方が上気道領域で沈着する粒子の割合が低くなります。つまり、運動時の方がより多くの粒子が体内深部に到達する可能性が高まります。これは、運動時に呼吸が荒くなることからも容易に想像がつきましょう。目の前に小麦粉を置いてそっと息を吹きかけてもほとんど飛散しないのが、思い切り息を吹けば大量に飛び散るのと同じです。

 さて、下気道領域に到達した粒子のうち、大きいものはここで沈着します。これに対して粒径1マイクロメートルを下回る粒子は、下気道領域を通り抜けて肺胞領域に到達します。しかし、肺胞領域に沈着する粒子は粒径が小さければ小さいほど多いというわけではなく、粒径0.1から1マイクロメートル程度の大きさのものが最も多いと考えられています。というのも、あまりに小さい粒子は仮に肺胞に到達しても沈着せずに滞留している割合が比較的多いため、呼吸により再び体外に排除される割合が高いのです。

 各部位に沈着した粒子は、そのままその場にとどまるということではありません。人間の身体には、異物が侵入したときにこれを除去する機構がきちんと備わっています。既に述べた通り、鼻粘膜に沈着した粒子は鼻をかめば体外に排出されます。下気道領域においても、線毛細胞による粘膜輸送で沈着した粒子を咽頭まで運んで、咳反射により体外に排出させる、あるいは嚥下により除去する機構があります。肺胞領域でも、肺胞マクロファージによる貪食により除去されます。ただし、全ての粒子が除去できるわけではありません。とりわけ恒常的に微小粒子を体内に取り込み続けた場合や、一度に大量の微小粒子を吸引した場合などには、身体による除去機構が十分に機能せずに、一部は残留して、健康にさまざまな影響を与えることになるのです。

 ここで、発がん性物質が呼吸により肺胞領域まで到達して、除去されなければ、当然、肺がんを引き起こす可能性が生じます。喫煙者の肺がん発症率が禁煙者と比較して著しく高いのは、タバコの煙に含まれるニコチンやPAHsなどの発がん性物質が肺胞領域まで輸送され、除去されなかったためです。タバコの煙もまた粒子であり、粒径0.1から1マイクロメートルの領域で最も高い重量濃度を示すことが知られています。

 私たちは調理排気に含まれる多環芳香族炭化水素(PAHs)について研究を進めています。PAHsには発がん性が認められる、あるいは疑われる物質もあります。呼吸を通じて発症するがんの代表格は肺がんです。それゆえ私たちは、調理排気に含まれるPAHsのどの程度が肺胞領域まで到達するのか、ということに高い関心を持っています。それを知るためには、PAHsを含む粒子やミストの粒径を明らかにする必要があるのです。

 燃焼に伴い生成する微粒子は、タバコがそうであるように、基本的に蓄積粒子(粒径0.1から10マイクロメートル)が最も高い重量濃度を示すと考えられます。調理もまた、食材の加熱、燃焼を伴うものですから、微小径の粒子が多く生成すると予想されます。次回はいよいよ、調理排気に含まれる粒子の特徴について話をすることにいたしましょう。

執筆者

田中 伸幸

東京工業大学大学院修了、電力中央研究所入所。主に化学物質の環境リスクについて研究している。料理は趣味で、週末は3食とも担当

調理と化学物質、ナゾに迫る

私たちの身の回りにはさまざまな化学物質があり、調理に起因するものもあります。本コラムでは、主に調理排気に含まれる化学物質について、さまざまな視点から述べたいと考えています