科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

GM蚊によるデング熱対策~ブラジルの場合

宗谷 敏

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 2014年8月下旬、国内での感染は70年ぶりという海外渡航歴のないデング熱患者が確認された。以後感染者が増え続けており、 我が国でもデング熱はすっかり有名になった。デングウイルス(DENV:Dengue virus)による感染症であるデング熱は、熱帯病としてマラリアの次に世界で警戒されている。

 東南アジア、南アジア、中南米など熱帯、亜熱帯地域を中心に、アフリカ、オーストラリア、南太平洋緒島でもデング熱発症が記録されていたが、2009年に米国フロリダ州、2010年にはフランスでも国内感染が認められ、米国やヨーロッパでも注意喚起された。なお、温暖化と蚊の生息域拡大の関係については、白井洋一氏がFoocomで論じている。

 現在、最もデング熱被害が多い国はブラジルで、今年に入ってから約65万9千人が感染し249人が亡くなっており、被害状況は深刻だ。そこで、デングウイルスを媒介するネッタイシマカ(Aedes aegypti)に対してGM(遺伝子組換え)蚊の導入による減殺対策が計画されていると、8月27日付AFPが伝えた。

 同紙報道やこれまでの他紙関連情報を総合すると、GMネッタイシマカ「OX513A」を2002年に開発したのは、英国のOxitec社だ。同社は、オックスフォード大学が所有するISIS Innovation Ltd.から2002年にスピンアウトした昆虫コントロールによる健康と農業のための解決を専門とするベンチャー企業である。蚊以外にも、コナガ(Diamond back moth)、ワタアカミムシガ(Pink bollworm)、地中海ミバエ(Medfly)、メクスフライ(Mexfly)、オリーブミバエ(Olive fly)などを研究対象としている。

 「OX513A」は、これまで2009年~2010年ケイマン諸島、2011年マレーシアのパハン州及びムラカ(マラッカ)州、2011年~2012年ブラジルのバイーア州ジュアゼイロ市などでパイロットプロジェクト(試験放出)が実施され、その都度メディアを賑わしてきた。一方、デング熱が猛威を振るうプエルトリコとバハマからの転移が懸念される米国フロリダ州キーウェストでは、GM反対派の運動もあって放出は検討段階に留まっているようだ。一部が同社ホームページにも掲載されているOxitec社の報告によれば、上記の試験放出が行われた各所ではネッタイシマカの生息数が劇的に低下する効果があったとのことである。

 「OX513A」の仕組みについては、2013年5月14日のPros One誌にOxitec社から論文が発表されている。「OX513A」は、2つの遺伝子を追加された雄の蚊だ。一つの遺伝子は、特定の酵素を蓄積させて蚊を殺す。この遺伝子を持つ蚊が成長するためには酵素の蓄積を止めるテトラサイクリン系の抗生物質が必要となる。

 「OX513A」は、この抗生物質を与えられてラボで育てられるが、放出された「OX513A」成虫と野外で交尾した野生の雌蚊から生まれる幼虫は、この遺伝子を移されるが抗生物質がないので、成長することができずに死んでしまう。数日で、GMされた雄の「OX513A」も、その子孫たちも死ぬことになる。

 導入されるもう一つの遺伝子は、研究者がフィールドで蚊をモニターできるようにしたマーカー遺伝子。これによって「OX513A」の子孫は赤く染色されて、目視による区別も可能らしい。

 蚊への他の対策と比べてみよう。プリミティブな蚊帳(ネット)はいまだに有効だが、ヒトの生活行動が制限される。蚊の行動パターンから暑い日中に行わなくてはならない殺虫剤散布は苛酷な労働であり、非標的の生物にもダメージを与える。これらに比べてGM蚊は効果的でコストもかからず、環境への負荷も少ないとOxitec社は自賛する。

 Oxitec社の方法は、蚊という多種多様な種を絶滅させる訳ではない。デングウイルスが分布する限定された土地のヤブ蚊属のうちネッタイシマカをピンスポットで狙う。しかし、遺伝子組換えを恐れる世論は反対するし、例の通り「Friends of the Earth」などの環境保護団体は、もし計画通りGM蚊が初期段階で死ななかったらどうするのかなどと仮想リスクを展開して恐怖心を煽る。

 但し、「GeneWatch UK」による「ネッタイシマカの減少は、もう1種のデングウイルスを媒介するヒトスジシマカ(Aedes albopictus)の生息数増加を招かないのか」という懸念に関しては(両方の蚊が混在する地域があるとするなら)充分な検証が必要だろう。

 ブラジルの「ネッタイシマカ制御プログラム(Projeto Aedes Transgenico:PAT)に話を戻そう。サンパウロ大学も協力した2011年からのバイーア州における連続的な試験放出の結果、ネッタイシマカ成虫の生息数は79~93%減ったとOxitec社は発表(因みにケイマン諸島の場合は80%以上)した。

 これに瞠目したブラジルの国家バイオセキュリティ技術委員会(the National Technical Commission on Biosecurity)は、2014年4月10日「OX513A」がヒトもしくは環境に重大なリスクとはならないとその安全性を承認する。但し、どの程度の環境影響評価が行われたのかは不明だ。

 勢いづいたOxitec社は、地方州の行政機関に「OX513A」を販売するための商業ライセンスの申請を計画する。ブラジル政府当局は、まだこの申請に対する認可を与えてはいないが、同社は先を見越してサンパウロ州カンピ-ナス市に世界初の「OX513A」を商業生産する新工場を7月に開設した。この工場は、現在のところ1週間当たり50万匹の「OX513A」を生産する能力があり、将来的には最高200万匹まで増産できるという。

 もし、デングウイルスに対するワクチンの開発やデング熱の有効な治療法が確立されていたならば、媒介する蚊をターゲットにしたこのギミックの必要性は高くはないかもしれない。これは、2010年に約2億1600万人が罹患し、推定65万5千人が死亡(主にサハラ以南アフリカ諸国の子供たち)したハマダラカ属(Anopheles)が媒介するマラリアについても同じことが言えるが、大部分の死者が途上国に限られてきた歴史は、悲しいことに対策への熱意や投資が充分だったとは言いがたい現状と表裏一体だ。仮に、ヨーロッパや米国でこれだけの被害が出続けていたら、どうなっていただろう。

 そして、人道支援にも熱心なMicrosoft社創設者のBill Gate氏が主張するように、統計的に蚊はダントツのヒトを殺している生物でもある。もちろん信頼できるリスク評価が行われることを前提として、「ゴールデンライス」や「OX513A」など主に途上国を対象とした開発に対し、GMであるからという理由のみで反対や妨害活動を行う先進国のNGOは、視野と心をもう少し広く持つべきだろう。

執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

一般紙が殆ど取り上げない国際情勢を紹介しつつ、単純な善悪二元論では割り切れない遺伝子組 み換え作物・食品の世界を考察していきたい