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執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

科学にとっての悲しい日。 メディアにとってはもっと悲しい日~Séralini事件(上)

宗谷 敏

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 2012年9月19日、フランスCaen大学の分子生物学教授Gilles-Eric Séraliniらのグループ8名が、ジャーナル「Food and Chemical Toxicology」 に「Long term toxicity of a Roundup herbicide and a Roundup-tolerant genetically modified maize(除草剤ラウンドアップとラウンドアップ耐性GMトウモロコシの長期毒性)」と題した論文を発表した。ピアレビュー(査読)を経た論文である。同日Séralini教授はロンドンにおいて本件に関する記者会見を開催した。(上)では、この概要とメディア報道の傾向を簡単に書く。

<試験の概要と結果>

 ラットの雌雄各10匹計20匹のグループを10組(計200匹)作った。1組はコントロール(対照群)として非GMトウモロコシ33%を含む餌と真水が与えられた。6組にNK603を各々11%、22%、33%混ぜた餌を投与した。うち3組のNK603には、栽培時にラウンドアップが散布された。残りの3組には、非GMトウモロコシと、米国残留農薬基準から飲料水用水域で見いだされる低い濃度までのラウンドアップが添加された飲料水を投与した。観察期間はほぼラットの寿命に相当する(最長)2年。

 14カ月目では、対照群がガンの兆候を示さなかったが、投与群の雌は、10~30%の割合で腫瘍が見られた。24カ月目までに対照群の30%に対し投与群の雌の50~80%が乳腺への巨大な発症を含む腫瘍を発生し、脳下垂体の異常が見られた。さらに投与群では、腎臓と肝臓障害の症例が多く発生した。対照群の雄の30%、雌の20%と比較して、投与群の雄は最高50%、雌は70%が平均寿命前に死亡した。

<論文への疑点>

 論文をレビューした科学者、専門家、公的食品安全機関などが指摘している疑点は、次のように整理できる。

 治験に用いられたHarlan Sprague-Dawley系統は、腫瘍を発生しやすい実験用ラットで、雄の70%以上と雌の87%が生涯の間にガンを発症する。給餌を制限されなかった対照群の雌は、しばしば乳腺に腫瘍を発症することが知られている(尚、Monsanto社の90日摂食試験もこのラットが用いられている)。

 雌雄10匹ずつのグループ検体数について、OECD(国際経済協力機構)のガイドラインに従ったとSéralini教授は述べているが、この検体数は90日間の観察に対する推薦でしかない。より長期の化学毒性の研究では各グループに少なくとも雌雄20匹以上、さらに発ガン性研究では少なくとも雌雄50匹以上をOECDは推薦している。

 グループ毎の生存率を比較すると、投与群の一部(雄の30%と雌の20%)は、対照群(雄の50%と雌の70%)より高かった。この実験では、投与群(180匹)に対する対照群の検体数(20匹)があまりに少なすぎる。雄の投与群の一部(NK603給餌が22%と33%のグループ)は、雄の対照群よりガンの発症率が低い。

 これらの公表されたデータからは、投与群と対照群との間に有意差のある証拠が提供されていない。論文中の図表には、適切な統計分析上必要と考えられるデータが恣意的に伏せられているので、実質的な証拠とはなりえない。これらは、著者の調査結果への推定を示すに過ぎない。

<背景への疑問>

 Séralini教授らは、以前からラウンドアップやGMトウモロコシ(品種は複数)の安全性に疑義を申し立てる研究を発表してきた。筆者も2005年5月30日2007年6月18日 2007年7月2日2010年1月18日の4回にわたり書いたが、毎度一般紙が飛びつき、GM食品反対派が煽って大騒ぎしては、各国の公的食品安全機関によりジャンクサイエンスとして否定されるというパターンを繰り返してきている。

 Séralini教授のこれまでの研究の問題点については、ILSI Japanバイオテクノロジー部会のリポート「遺伝子組換え食品を理解するII」(2010年9月発行)でも解説されている。

 これらの研究の背景には、パリに本拠を置くフランスの反バイテク運動組織(NGO)であるCommittee for Independent Information and Research on Genetic Engineering(CRIIGEN) が存在する。今回の3百万ユーロ(約3億900万円)以上と主張されている費用も含め、一連の研究資金は主にCRIIGENが提供している。オーガニック食品スーパーマーケットからも資金提供がなされた。論文共著者の1人Joël Spiroux博士はCRIIGEN会長で、ホメオパシーと鍼の治療師となかなか香ばしい。またSéralini教授自身も、1999年からCRIIGEN科学評議会の会長に就任している。

 エンバーゴ(記事差し止め)指定された学術ジャーナル掲載論文は、事前に論文を受け取ったライターがジャーナル出版日まで公表を控えるルールだ。ライターはこのエンバーゴ期間中に、掲載論文に対する他の科学者の見解や査定を求めるなどして、これらの論評も加えた記事をエンバーゴ明けに出すのが通常だ。

 Séralini教授は、この慣習を悪用した。選別されたメディアグループだけがエンバーゴ(9月19日)のかかったこの論文へのアクセス権を与えられた。しかも、ライターたちは、エンバーゴ期限前に他の科学者に相談することを禁じられ、違反した場合には多額の違約金を支払うという異常な秘密保持契約への署名をさせられていた。

 9月19日の記事締め切りに間に合わせるために殆どのメディアが、論文とSéralini教授の記者会見を丸投げ記事にせざるをえなかったのは、こういう事情からだ。「Reuters」(ロンドン発)電子版ですら、第三者科学者のコメントを加えたのは9月19日のUpdate 3であった。「Nature」(10月10日) は、自誌がSéralini教授から論文へのアクセス権を与えられていなかったことを、わざわざ表明している。

 さらにSéralini教授が、自著新刊「Tous Cobayes!(我々はモルモット!)」(9月26日発行)と、この実験も挿入されているドキュメンタリーフィルム「Tous Cobayes?(我々はモルモットか?)」(9月29日公開)の宣伝効果を狙って、巧妙にメディアを操作したという許しがたい疑惑も浮上している。

<メディアによる報道の傾向>

 初期のメディアの反応は、入り交じったものだった。論文や記者会見を鵜呑みにして、おどろおどろしい腫瘍ラットの写真を飾り立てて読者の恐怖心を煽る報道と、(時差から有利だった米国を中心とする)第三者科学者からの試験設計や試験結果データへの疑問を掲載した懐疑的見解を添えた記事が混在し、多くの有力メディアは、これらの中間点を立ち位置とした。

 しかし、各国の公的食品安全機関からの否定的見解が次々明らかにされ、日を追うごとにSéralini教授らのメディアへの仕掛けの背景や、論文の不完全性が明らかになるに連れ、否定的見解が勢いを増していった。

 この論文を掲載した米国のジャーナル「Food and Chemical Toxicology」は、Thomson Reutersのインパクトファクターが2.999 あるそれなりの科学誌であるが、多くの科学者からSéralini教授らの論文を取り下げるよう請願が殺到している。しかし、編集者は「議論を歓迎する」としながらも、これに応じてはいない。(10月31日掲載予定の下に続く)

執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

一般紙が殆ど取り上げない国際情勢を紹介しつつ、単純な善悪二元論では割り切れない遺伝子組 み換え作物・食品の世界を考察していきたい