ホーム >  専門家コラム > 環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食 > 記事

環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食|谷山 一郎

どんなコラム?
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
プロフィール
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

6 神嘗祭と懸税・・・神宮を支えるチカラ

  • シェア
  • Check
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Share
2015年1月29日

(1) 神嘗祭と由貴大御饌

 神嘗祭(かんなめさい)とは、その年の新穀を天照大御神に奉るお祭りで、伊勢神宮(以下神宮)で10月15~25日に行われます。神宮での祭事の起源は、一説には垂仁天皇(伝承では在位BC29年~AD70年)の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神の鎮座地を求めて各地を巡行した際、現在の多気郡明和町で、真名鶴が稲穂を落としたところに生えていた1株から800の穂が出ている稲(八握穂:やつかほ)のお米を御飯に炊いて供えたことによるとも言い伝えられています。

 稲の多収性品種の発見・普及または鳥糞による土壌の肥沃度増進などを示唆する興味深い伝説です。事実、倭姫命巡行の目的や意味づけはいろいろとあり、その中に鉄製用具による潅漑・排水路や農地の開発など農業技術の普及もあったという説もあります。

表1 神宮神嘗祭のための祭事など(中西,2001を改変)

表1 神宮神嘗祭のための祭事など(中西,2001を改変)

 話を元に戻して、神嘗祭は神宮における年間の祭事の中で、最も重く、丁重に行われるお祭りです。表1に示した神宮で行われるいろいろな祭事も神嘗祭のための準備という性格があります(中西,2001)。

 外宮では10月15日22時に神饌を祭神に供える由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)の儀、16日2時に由貴朝大御饌(ゆきのあしたのおおみけ)の儀、同日12時に勅使参向と奉幣(ほうへい)の儀、同日18時から祭神をお慰めする御神楽の儀があり、内宮では16日から17日に同様の儀が行われます。

 由貴大御饌は祭典の前二日にわたり両宮の忌火屋殿で忌火を鑽り出して調理されます。そのメニューを少し長くなりますが列挙します。番号は配膳の順番で、メニューや順番は資料によって若干異なりますが、辻ら(1985)の著書を参考にしました。御饌は高案と呼ばれる机に並べられ、箸を上方中心として、まず右側の順、次いで左側の順に記載します。

1.御箸(白木の箸一組)、2.玉貫鰒(たまぬきあわび)・身取鰒(みとりあわび)、3.塩(堅塩)、4~6.飯(白米を甑で蒸したもの)、7.鰒(大きな生鰒。殻、内臓をとり、塩でもむ)、8.乾梭魚(ひしゅんぎょ:カマスの干物)、9.蝦(伊勢エビ、姿のまま蒸す)、10.海参(きんこ:干したナマコ)、11.乾鰹(かつお節)、12.鯉(生の姿のまま)、13.野鳥(鶏の片身、生)、14.海松(みる)、15.蓮根(節は除く)、16.梨、17~22. 白酒(しろき)・醴酒(れいしゅ)。

1.乾鯛、2.水、3~5.餅(小判形約15cm)、6.鯛(45cmの生鯛の切り身)、7.乾伎須(ひきす:キスの干物)、8.乾栄螺(ひさざえ:干したサザエ)、9.乾鮫(ひさめ:干した鮫肉を長方形に切ったもの)、10.乾鯥(ひむつ:ムツの開き)、11.乾香魚(ひこうぎょ:干したアユ)、12.水鳥(鴨の片身、生)、13.紫海苔(浅草海苔)、14.大根(長さ15cm)、15.柿、16~21.黒酒(くろき)・清酒(きよさけ)。

 食材、産地、加工・調理法などについては別の機会に説明しようと思いますが、食材の種類は30を超え、魚の干物・大根と庶民的なものからアワビ・伊勢エビといった高価なものまで幅広く揃えられています。

<2015年12月1日追記>
なお、由貴大御饌のレプリカは2015年10月31日にリニューアルオープンした神宮徴古館に展示されており、醴酒が米の形を残したまま杯に盛り上げられていることが分かるなど興味深いものです。

(2)神嘗祭奉幣の儀
 由貴大御饌は外宮・内宮とも夜間に行われるため、拝観することはできません。しかし、皇室から勅使が遣わされ、幣帛(へいはく)を奉納する奉幣の儀は一部拝観が可能です。外宮では10月16日、内宮では17日のそれぞれ12時から行われます。

 幣帛とは、五色絁(いついろのあしぎぬ)、白絹、錦などの布で、それに送り文が添付されています。

 奉幣の儀の段取りは、天候が晴と雨では少し異なり、晴の時(晴儀と呼ばれる)は以下の通りです(南里,2003)。

写真1 外宮表参道における奉幣の儀の参進。先頭は衛士、次いで幣帛の入った辛櫃、黒色の衣冠姿は勅使、橙色の袴姿は祭主、白い斎服姿は大宮司以下神宮の神職(2014年10月16日)

写真1 外宮表参道における奉幣の儀の参進。先頭は衛士、次いで幣帛の入った辛櫃、黒色の衣冠姿は勅使、橙色の袴姿は祭主、白い斎服姿は大宮司以下神宮の神職(2014年10月16日)

 外宮では勅使・祭主・大宮司以下の一同は齋館から表参道を参進して、まず四丈殿に入ります。幣物と送り文の照合が行われ、その後、祭主が正殿に昇殿され、神職が幣物を供えた後、勅使が祭文を読み上げます。続いて、大宮司が祝詞(のりと)を奏上し、終わると幣物と祭文を殿内に奉納して扉を閉め、勅使・祭主以下は内玉垣御門の下に太玉串を奉り、一同八度拝をして終了します。この間、約70分、内玉垣内からは神楽歌が漏れ聞こえ、次に説明する懸税(かけちから)と呼ばれる内玉垣に飾られた稲穂に囲まれた荘重な雰囲気の中で祭事を拝観することができます。

 参拝者と神事を隔てる外玉垣の高さは130cmほどあるため身長の低い老人や子供は玉垣の板と板の隙間から片目で中重での祭儀を見つめ、あるお年寄りは「よいときに神宮に来られた。ありがたいことや」とつぶやいていました。同じような情景が脳裏に浮かんだので記憶を辿ったところ、江戸時代の伊勢参宮の道中記で、玉垣の間からのぞき込み、「誠に神の庭とて信心肝に銘じ有難きこと言うばかりなし」と感激した様子が記載されていた(金森,2004)のを思い出しました。

 この奉幣の儀は、神嘗祭以外にも、2月17日の祈年祭、6月16・17日、12月16・17日に行われる月次祭(つきなみさい)や11月23日の新嘗祭(にいなめさい)でも拝観することができます。

(3)懸税
 奉幣の儀が行われた中重の内玉垣に、地際から取られた稲束が穂を下にして、内玉垣御門を挟んで100束ほど取り付けられているのが見えます。これは懸税(かけちから)と呼ばれる農家が献納した稲束ですが、特に内玉垣御門の右側には大きな紙垂(しで:紙の短冊)がつけられた根付きの稲束が掛けられています。これは天皇陛下が皇居内の水田で育てられた御初穂で、根付きであるのは永遠性を象徴しているといわれています。さらに、御門の脇には、籾の入った俵と布袋が積み上げられています。

写真2 外宮別宮風宮の玉垣に2束ずつ掛けられた懸税(2014年10月16日)

写真2 外宮別宮風宮の玉垣に2束ずつ掛けられた懸税(2014年10月16日)

 正宮の板垣内は撮影禁止なので、別宮の風宮の写真を参考に掲載します(写真2)。また、過去の懸税の写真については、神嘗祭奉祝委員会のパンフレット(2014)で見ることができます。

 懸税は、倭姫命が収穫した八握穂の稲穂を御前に掛けたのが始まりと伝えられています。その後、鎌倉時代の文献に、神嘗祭奉幣の日(旧暦9月17日)に、役田(神宮の水田)から供出された稲を玉垣に掛けたことが記録されており、江戸時代でも別宮に近在の農家から奉納された稲が御垣に掛けられていたとのことです(音羽,2013)

 明治維新後この慣行は廃れていましたが、1946年に有志が懸税を復活させ、1951年に社団法人伊勢神宮カケチカラ会が発足し、現在では組織的に対応しています。全国の神社庁が都道府県内の篤志家の協力を得て稲束を献上しているようです。

 懸税は外宮別宮の風宮には掛っていました(写真2)が、同じ別宮の土宮にはありませんでした。また、正宮の懸税は2日後に見に行った時にはなく、風宮の懸税も10月25日には取り外されていました。このあたりの場所や期間の決まりのようなものはよく分かりません。新嘗祭においても懸税は掛けられますが、天皇陛下の御初穂はありません。

 それにしても、第二次世界大戦が終了した直後、世情は不安定で食糧不足に悩まされていた1946年に、このような習わしの復活を思いつき、実行した人がいたことに驚きます。

(3)伊勢おおまつり

写真3 外宮別宮月夜見宮前を通過する初穂の陸曳3番車(2014年10月15日)

写真3 外宮別宮月夜見宮前を通過する初穂の陸曳3番車(2014年10月15日)

 神宮で行われる神嘗祭と同時に伊勢の人々は「おおまつり」として、各町でお祭りを行ってきましたが、1895年に各町のお祭りを廃止・統合し、当時の宇治山田町全体の祭りとして祝ってきました。その後、1972年にその年に収穫された新穀を外宮へは陸曳(おかびき)で、内宮へは川曳(かわびき)で奉曳・奉納する「初穂曳」が始まり、2001年に全国の主な祭り(例えば、沖縄のエイサーや越中おわら風の盆など)が神様をお慰めするためにやって来る「神嘗祭奉祝事業(祭のまつり)」が始まりました。

 陸曳は、2014年は10月15日10時から伊勢市街中心部から外宮北御門まで約1㎞を80分ほどかけて練り歩きました。3台の奉曳き車のうち1番車は皇學館大学の学生、2番車は幼稚園児を含む伊勢市民、3番車は全国から集まった伊勢市民以外の一日神領民と呼ばれる人たちのグループ、計1,600人が曳行しました。

写真4 五十鈴川における初穂の川曳(2014年10月16日)

写真4 五十鈴川における初穂の川曳(2014年10月16日)

 川曳は、旧内宮領の各学校区で連合奉曳団を結成し、10月16日10時、三重県立体育館裏から五十鈴川を遡りました。2014年のこの日は台風19号が通過して3日後で、五十鈴川の水量は多く、約600人の参加者は深いところでは胸まで水に浸かって初穂を乗せた船を曳きました。水温も低いので、途中で川岸に上がってたき火に当たっていましたが、それでも参加者は嬉々として水を掛け合いながら五十鈴川を進み、宇治橋手前で内宮境内に曳き上げました。その間、距離は約500m、時間は4時間かかりました。船が五十鈴川に架けられた橋の下を通過する際には、初穂に失礼のないように警察が橋上の車や人の通行を止めていました。

 このように神宮の祭事は、神饌の食材を収穫・調製する人々だけでなく、伊勢市民や全国の篤志家に支えられているのです。

(4)ガイド
神嘗祭奉幣の儀 外宮:10月16日12:00~13:10、内宮:10月17日12:00~13:10
外宮領陸曳:10月15日10:00~12:30 高柳商店街~外宮外御門
内宮領川曳:10月16日10:00~14:30 三重県立体育館裏~内宮宇治橋脇
祭のまつり:10月15日10:00~15:40 外宮前、伊勢観光文化会館

参考資料:
金森敦子(2004)伊勢参宮,伊勢詣と江戸の旅,文春新書375,p23-107,文藝春秋
神嘗祭奉祝委員会(2014)
中西正幸(2001)神宮の祭祀(2)-神嘗祭-,瑞垣,190,1-14
南里空海(2003)神宮の祭り,伊勢の神宮,p57-146,世界文化社
音羽 悟(2014)神嘗祭の古儀について,瑞垣,224,40-51
辻嘉一・高橋忠之(1987)御饌祭と饗膳,神々の饗,p11-32,小学館

⇒ 環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食記事一覧へ

専門家コラム一覧

FoodScience 過去記事

以前、他のサイトで掲載されていた記事をこちらより選択してご覧いただけます。
FOOCOM.NET 会員募集 科学的根拠に基づく食情報を消費者に提供するために、ご協力ください。

お知らせ

FOOCOMが「第1回食生活ジャーナリスト大賞」を頂くことに決まりました(3/28)
FOOCOMはこのほど、食生活ジャーナリストの会(JFJ)の「第1回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)」…【全文を読む】
FOOCOM お役立ちリンク集