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環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食|谷山 一郎

どんなコラム?
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
プロフィール
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

23 伊我理神社・・・イノシシを狩る女神を祀る? 外宮の末社

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2016年7月1日
写真1 イノシシの侵入防止のため、三重県度会町上久具の水田に張られた金網と電気柵の複合型進入防止柵(2015年8月23日)。かわいらしいウリ坊も、成長すると水田などを荒らす害獣となってしまう

写真1 イノシシの侵入防止のため、三重県度会町上久具の水田に張られた金網と電気柵の複合型進入防止柵(2015年8月23日)。かわいらしいウリ坊も、成長すると水田などを荒らす害獣となってしまう

(1)伊我理神社

伊我理(いがり)神社は外宮の末社で、外宮正宮から直線で400mほど東南の外宮敷地内にありますが、参拝するには一旦外宮を出る必要があります。丘の中腹の斜面を削った敷地に社殿は建てられ、大楠がそばに立ち、玉垣に囲まれ、井中神社が同座しています(写真2)。平安時代初期に編さんされ、外宮の行事を記述した「止由気(とよけ)宮儀式帳」にもその名が記されている古い神社です。

写真1 伊我理神社と井中神社(2015年9月29日)

写真2 伊我理神社と井中神社(2015年9月29日)

伊我理神社の祭神は伊我利(ママ)比米命(いがりひめのみこと)で、井中神社が井戸または泉を意味する井中神(いなかのかみ)とされています。伊我利比女命の名は「猪狩」に由来し、五穀を食い荒らすイノシシを狩る女神という説があります。しかし、神宮の概要を解説した神宮要綱には「祭神詳ならず」と記され、神道大辞典では、現在の神田下種祭に相当する外宮で行われていた鍬山伊賀(ママ)利神事の伊賀利の意味について、稲田を意味する五十苅(いかり)・稲許(いがり)などではないかと説明していますが、ここではイノシシを狩る女神として、イノシシに関する話を進めます。

写真2 伊勢市岡本町にある旧神田。背後の丘陵の右側に伊我理神社が鎮座(2015年9月29日)

写真3 伊勢市岡本町にある旧神田。背後の丘陵の右側に伊我理神社が鎮座(2015年9月29日)

こうした神が祀られているのは、神社の近くに昭和の中頃まで「豊宮崎の神田」と呼ばれる外宮で使用される米を生産する水田があったためといわれています。神田は水質汚染などのため廃止され、現在は神宮の建築物の製材・加工所である神宮司廳山田工作場の貯木場になっています(写真3)。

(2)食材としてのイノシシ
イノシシはユーラシア大陸に広く分布し、アフリカ大陸には近縁種のイボイノシシなどが生息するとともに北南米大陸やオーストラリアなどには人間によって移入され、ほぼ全地球的に生存しています。日本では17万年以前の大陸と陸続きであった時代に日本に到達し、大陸のイノシシとは異なる進化を遂げたグループと人間が大陸から渡ってきた3万6千年以降に、人為的に持ち込まれたと考えられるグループが存在します。

写真3 箱わなにかかったウリ坊(2015年6月20日)

写真4 箱わなにかかったウリ坊(2015年6月20日)

イノシシは、ドングリなどの木の実、ヤマイモなどの根、タケノコなどの地下茎や穀物のほかに、腐肉、カエル、昆虫なども食べます。また、四肢が短く首が太いため毛繕いができず、泥浴びによって汚れやダニなどの寄生虫を落とすノタウチ(のたうち回るの語源)が特徴的な行動です。雌は4ヶ月ほどの妊娠期間で5~6子を産み、シカやウシなどを含む偶蹄類の中では多産です。子は生後5ヶ月までは体表に縞模様があり、ウリ坊と呼ばれます(写真4)。

縄文時代の遺跡からイノシシの骨が出土するとともに、イノシシが飼養されていた痕跡があり、イノシシは原始時代から貴重な食料とされてきました。仏教伝来以降、獣肉を食べることを禁ずる通達が何度も出て、日本書紀には675年、天武天皇が農耕期間でもある4月から9月の間、牛、馬、犬、サル、鶏を食することを禁止しましたが、イノシシとシカは除外されたことが記されています。奈良時代には、肉だけでなく、内蔵や脳などを「なます(生肉を塩や酢などの調味料で和えたもの)」にして食べていました(木下,2007)。平安時代の法令書である延喜式には、宮廷の正月行事にイノシシ肉を用いたとの記載がありますが、貴族の饗応食では獣肉が次第に忌避され、カモやキジの肉に代用されていきます(江原ら,2009)。江戸時代は生類憐れみの令などもあり、獣肉を食べることは控えられていましたが、イノシシを山鯨と称し、薬喰いと銘打ってイノシシ肉が珍重され、ネギを入れて味噌煮にするぼたん鍋などが食べられていました(和仁,1990)。

明治以降、獣肉に対する忌避感は薄まり、食用とされる機会は増えましたが、本格的に普及し始めるのはヨーロッパのジビエ料理の情報などが入り、グルメブームが起こった1980年代後半以降のことで、牛肉に比べて高タンパク、低脂肪および低カロリーで健康にもよいとされました(田畑,2011)。イノシシなどの野生鳥獣肉の処理は家畜と異なり、と畜場法に基づく処理の義務はありませんが、処理・販売には食品衛生法による許可を受けなければなりません。特に、成長段階で衛生管理がされていない野生鳥獣の肉や臓物の生食については、FOOCOMのブログでもリスクに関して何度も警告されています(瀬古,2014)。しかし、譲渡や自家消費については法律の適用を受けず、マダニなどの寄生虫や病原微生物に感染しても自己責任とされています。

私の農園の周辺の農家ではイノシシやシカによる農作物被害に悩まされており、駆除のため周囲の林地には地主によって、箱わなや足わなが設置されています。時々わなにかかった動物の屠殺や解体を手伝うことがあり、肉のお裾分けをいただいています。冬に捕獲し、血抜きなどを適切に行ったイノシシのロース肉は適度に脂肪分があり、軟らかく、臭みもなくておいしいものですが、処理については厚生労働省の定めた「野生鳥獣肉の衛生管理に関する指針(ガイドライン)」に沿って十分に注意を払っています。ところで、箱わなにかかるイノシシの90%以上は子であり、地元の人の話では母親は、箱わな内の餌に気がつくと子をわな内に追い込み、安全かどうかを確認し、子が箱わなに閉じ込められても平然と?見捨てていくとのことでした。イタリアルネサンス期の女傑カテリーナ・スフォルツァの行動を彷彿とさせる話です。

(3)害獣としてのイノシシ

縄文時代に焼き畑などの農耕が開始されるとともにイノシシによる農作物被害は始まりました。その対策としては駆除と防除があります。駆除ではイノシシの皮が硬く、やぶの中で行動するので弓矢で射るには適さず、落とし穴やわなが利用されるとともに、犬で追い出したイノシシを待ち伏せてやりで倒す方法がとられました。

写真5 紀北町熊野古道伊勢路の猪垣。写真右側の杉植林地が旧田畑(2016年6月11日)

写真5 紀北町熊野古道伊勢路の猪垣。写真右側の杉植林地が旧田畑(2016年6月11日)

江戸時代には火縄銃も用いられましたが、生類憐れみの令が出ると防除に重点が移りました。作物の収穫期が近づくと田畑の脇に番小屋を作り、イノシシを威嚇するため、夜通し声を上げる、鳴子を鳴す、威し鉄砲と呼ばれる空砲を撃つなどの対策がとられました。また、イノシシは火を嫌い、臭いに敏感なので、たいまつを焚いたり、人の髪の毛を燃やすしたり、イノシシの天敵であるオオカミのお札を拝む神頼みも行われました(長澤,2005)。さらに、猪垣(ししがき)または猪土手(ししどて)と呼ばれる、幅・深さ1.8mほど地面を掘って土を盛り上げた土手、掘った土を盛り上げた上に木柵を施したものや自然石を高く積んだ石垣などが日本全国に作られました。石積みの猪垣は三重県でも山中に残っており、熊野古道伊勢路の沿道でも見ることができます(写真5)。

写真6 内宮島路川沿いの電気柵(2016年6月1日)

写真6 内宮島路川沿いの電気柵(2016年6月1日)

明治時代になると、狩猟が自由になり、火縄銃から村田銃への転換など猟銃の性能が向上し、豚コレラの流行や多雪化傾向による食糧難などの要素が重なって、生息数は減少しました。しかし、1980年代からイノシシによる農業被害が増え始め、特に限界集落では深刻な問題となり、居住放棄の一因ともなっています。このため、駆除と防除を組み合わせた対策が進められ、5000V以上の電気パルスを発生させる現代版猪垣である電気柵が普及しています(写真1)。神宮でも、野生動物の進入を防ぐため、フェンスやネットが設置されていますが、2016年以降は電気柵も使用しています(写真6)。

(4)神饌としてのイノシシ

写真7 銀鏡神楽の花の舞。楽士の頭上の棚に6個のイノシシの頭部(2015年12月14日)

写真7 銀鏡神楽の花の舞。楽士の頭上の棚に6個のイノシシの頭部(2015年12月14日)

イノシシは神饌の品目としても取り上げられ、宮崎県西都市銀鏡(しろみ)にある銀鏡神社では、イノシシの頭部を供え、その前で神楽が舞われます(写真7)。銀鏡神社は石長比米(いわながひめ)が鏡に映った自分の醜い容姿を嘆くあまり、遠くに投げたとされる鏡をご神体として祀り、石長比米などを祭神としています。銀鏡神楽は国の重要民俗文化財に指定され、12月14日の夜から15日の朝にかけて33の演目を徹夜で舞います。

演目のうち、式3番の「花の舞」では、4人の少年が神饌を載せる折敷(おしき)と呼ばれる盆と鈴を持ち神饌を供え(写真7)、式22番は「伊勢神楽」と称し、天照大御神が天の岩戸に籠ったため、その前で神々がとった様々な行動を「伊勢の縁起」として語りながら舞います。式29番「獅子舞」は、イノシシを象徴する獅子が体についてダニを取り除くため畳の上を転げ回るノタウチの生態をなぞらえた舞です。式32番の「ししとぎり」はイノシシ狩りを象徴した神楽というよりは田遊びと呼ばれる民俗芸能で、約1時間かけて老夫婦の滑稽な演技が繰り広げられます。

神楽がすべて終了すると、直会としてイノシシ肉を入れた粥の「シシズーシー」を参拝者とともに食べます。16日には「ししば祭り」として近くの銀鏡川の河原でイノシシを解体し、耳を七切れにして竹串に刺し、大石の前に供えて鳥獣供養の神事を行い、残りの肉の串焼きを肴にして、直会の宴を開きます。このように銀鏡では、イノシシから畑を守るとともに、貴重なタンパク源の補給としてイノシシを捕獲することが重要であったことを神事として今に伝えています(濱砂,2012)。

(5)ガイド
伊我理神社:三重県伊勢市豊川町
列車:JR参宮線・近鉄山田線伊勢市駅南口(JR側)より外宮参道を通って徒歩10分
自家用車:伊勢自動車道伊勢西ICより御木本道路を北へ約5分。外宮前駐車場から徒歩10分
銀鏡神社:宮崎県西都市大字銀鏡518
バス:宮交シティからバスで西都バスセンター(120分)。西都バスセンターから三和交通バスで銀鏡バス停(60分)。徒歩10分
自家用車:東九州自動車道西都ICから北西約50km

参考資料:
江原絢子ら(2009)日本食物史,p1-452,吉川弘文堂
濵砂武昭(2012)銀鏡神楽-日向山地の生活誌,p1-216,弘文堂
木下正史(2007)万葉時代の食生活,河野眞知郎ら,食べ物の考古学,p85-133,学生社
長澤 武(2005)動物民俗Ⅰ,ものと人間の文化史124-Ⅰ,p1-247,法政大学出版局
瀬古博子(2014)ジビエにガイドライン作成、その理由は
田畑美奈(2011)いのしし,農文協編地域食材大百科4,p21-26,農文協
和仁皓明(1990)いのしし,川上行藏ら監,日本料理由来事典上,p119-120,同朋舎

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