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環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食|谷山 一郎

どんなコラム?
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
プロフィール
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

27 御水2・・・内宮の井戸と水の神

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2016年12月27日
写真1 内宮五十鈴川御手洗場でのお水とり。川の左の石垣奥に瀧祭神。石垣の切れ目の左から島路川が合流(2014年8月1日)

写真1 内宮五十鈴川御手洗場でのお水とり。川の左の石垣奥に瀧祭神。石垣の切れ目の左から島路川が合流(2014年8月1日)

(1)内宮の井戸

図1 内宮の御水関係の施設図(国土地理院地図を加工)

図1 内宮の御水関係の施設図(国土地理院地図を加工)

 第26回御水1では外宮の井戸を紹介しました。内宮にも井戸があります。神宮の施設・祭儀を記載した「神宮要綱(1979)」付録の内宮の宮域地図には、正宮から別宮荒祭宮(あらまつりのみや)への参道を正宮の板垣沿いに進み、立ち入りが禁止されている板垣北御門への道から、荒祭宮の南側の谷の奥に入った山中に印があります(図1)。

 御井は、神社ではありませんが、下御井神社のように、板垣で囲まれた覆屋があるとのことです(神宮司廳,1979)。御井の水は、内宮の忌火屋殿で調製される神饌の御水として使用されます。また、かつて内宮の書類の押印の際にこの水で練った赤土を朱肉としたところから、御政印(みしょういん)の水といっていました。元日には、午前0時を期して若水(わかみず)として汲み、正月を祝う歳旦祭で正宮以下の神々に供します(矢野,2006)。

 若水とは、その年の大吉である方角の「恵方(えほう)」に位置する井戸から正月に汲む水をいいます。それを神に供えるとともに、湯を沸かして茶を立て、炊事などに用います。それによって、一年の邪気を除く効能があるといわれています。もとは、6~7世紀に中国から伝来した暦や易あるいは陰陽思想の影響により、立春に行われた「立春水」または「春水」と呼ばれる宮中の行事でした。記録としては、奈良時代752年の東大寺で立春の日に行われた「お水取」とも呼ばれる修二会(しゅにえ)が初めで、仏教行事として始められました。平安時代には正月の「若水」に変わり、江戸時代になって庶民に広まりました(遠藤ら,1983)。

 しかし、内宮では、かつては井戸水ではなく、五十鈴川の水が神饌や調理用の水として用いられていたと考えられています(坂本,1998)。

(2)瀧祭神とお水とり

写真2 内宮所管社の瀧祭神(2015年1月30日)

写真2 内宮所管社の瀧祭神(2015年1月30日)

 昔、五十鈴川の水を汲んだと考えられる現在の御手洗場(みたらし)の南に、内宮所管社の瀧祭神(たきまつりのかみ)があります(写真2)。この神社は、社殿がなく、板垣の隙間から中を窺うと、白石の石畳に高さ約40cmの石が神体として祀られていることが分かります。江戸時代は今のような石の神体はなく、小柴垣で囲った祭場だったそうです。また、かつては五十鈴川の西岸にあり、その後現在の位置に移動しました(矢野,2006)。

 祭神は、神宮の案内板には瀧祭大神とありますが、諸説あり、弥都波能売神(みつはのめのかみ)という水の守り神ともいわれています(坂本,1998)。弥都波能売神は、古事記の神産みの章に、死の間際の伊弉冉尊(いざなみのみこと)の尿から生まれた神とあり、井戸、泉や灌漑用水などの水神として、奈良県の丹生川上神社など多くの神社の祭神として信仰されています。日本書紀では、罔象女(みつはのめ)と書かれ、この漢字は中国の戦国時代、紀元前3世紀頃の思想書「荘子」に出てくる人間の目に見えない水神を表しているそうです(坂本ら,1987)。このように、日本の神話や行事には大陸由来のものがあります。

 この瀧祭神は所管社にもかかわらず、別宮なみの待遇を受けています。神饌は別宮に準じた内容で、他の所管社は権禰宜が神事を行いますが、それよりも格上の禰宜が担当し、神嘗祭や月次祭の奉幣の儀も別宮荒祭宮に続いて、他の別宮よりも早い午前3時に開催されます。江戸寛政年間(1800年頃)の神宮のガイドブックである「伊勢參宮名所圖会」の復刻版(1919)の解説には、瀧祭神は瀧祭宮と記載され、「第六別宮なり」とあり、「瀧祭は荒祭に相並び、崇秘の別宮にて、神位も荒祭宮につ(次)げり。然れども御宮なき故、別宮には不入(いらず)もあり」と書かれた文献を紹介しています。社殿はないけれども、五十鈴川の水に関わる重要な神社であったことがうかがえます。

 瀧祭神は伊勢市民にとっては馴染み深い神社で、伊勢弁で取り次ぎを意味する「とっつきさん」とも呼ばれています。内宮参拝の前に天照大御神の秘書役である瀧祭神に「これから参拝に伺いますので、天照大御神によろしく伝えて下さい」とアポを頼むのが順序だそうです(矢野,2006)。

 また、御井の若水ですが、地方によっては若水を正月に限らず、月ごとの朔日または15日に汲む習慣のある地方がありました。伊勢地方では、土用の丑の日や8月1日の八朔に、五十鈴川の水を汲む「お水とり」の風習があります。現在でも、水筒やペットボトルを携えた人々が御手洗場で川の水を汲み(写真1)、瀧祭神にお供えして二礼二拍手した後、家に持ち帰り神棚に供えます。この水は、一年中腐ることがなく、取り替える必要がないと言い伝えられています(長島,1995)。また、この水を身体の痛いところに一滴塗ると痛みが緩和するとのことで、プラシーボ効果があるのかも知れません。このように、庶民も瀧祭神を、天照大御神に近い水神として、親しみ、敬ってきました。

 この別宮に準じる重要な神社と考えられた瀧祭神は、社殿はなくとも、神の依り代となる小さな石や岩があれば、そこが祭祀の場となることを示す例の一つでしょう。

(3)城之越遺跡

写真3 城之越遺跡の復元された大溝。右に井泉、流れの合流付近に立石(2016年10月12日)

写真3 城之越遺跡の復元された大溝。右に井泉、流れの合流付近に立石(2016年10月12日)

 同じような水に関する祭祀の場の古墳時代の遺跡があります。三重県伊賀市比土にある城之越遺跡です(写真3)。この遺跡は古墳時代前期(4世紀後半)に造られた、井泉から湧き出る水が流れる石で護岸された大溝です。付近からは祭祀用の木製品や土器が大量に出土し、湧水を祭祀の対象としていた施設であることが判明しました。

 大溝は、3カ所の泉から湧き出る水を合わせて1本の大溝として流す施設で、流れの合流地点にはテラスのような突き出た部分をつくり、ところどころに立石と呼ばれる石が立てられ、水辺に降りる階段や井泉の水を湛えるための板を使った堰のような施設もありました。その付近には大型掘立柱建物の2棟分の柱穴が検出され、祭祀用の建物と推定されています。

 これらの遺構から、城之越遺跡はこの地を治めた首長が祭祀を行った場所で、立石は瀧祭神のように神が降りる場所であり、水辺では水を汲んだり、みそぎのような行為が行われていたと推測されています。また、城之越遺跡の周辺では4世紀頃の水田跡が発掘されており、3つの泉から水を集めて流れる湧水は、水田の灌漑用水の水源として使用され、その水源を聖地として水神への祭祀が行われていたと考えられています(辰巳,1999)。

(4)荒祭宮

 さて、御井の近くにある内宮別宮の荒祭宮は天照大御神の荒御魂(あらみたま)を祀ります(写真4)。豊受大御神の荒御魂は、外宮別宮の多賀宮(たかのみや)に祀られています。

 荒御魂とは、古代の人々が持っていた神の性格を表す言葉で、神道大辞典(1986)によれば、外面に現れた荒々しい、戦闘的、積極的、活動的な神霊をいいます。日本書紀の神功皇后紀に天照大御神の荒御魂について以下のような話が伝わっています。神功皇后が朝鮮遠征の帰途、王族の反乱鎮圧のため、瀬戸内海を航行していましたが、大阪湾で船が進めなくなってしまいます。この時、天照大御神のお告げがあり、天照大御神の荒御魂を現在の兵庫県西宮市の廣田神社に祀ったところ、船は順調に進み、反乱を鎮圧することができたということです。

 このように、本来、荒御魂は国家の非常時に対応する神霊ですが、庶民の信仰が広がると大願成就や病気平癒などをかなえてくれる神様ということになりました。これに対し、和御魂(にぎみたま)という言葉もあり、平和・仁慈の徳を表し、静止的、調節的な状態の神霊をいいます。すると、それぞれの正宮は和御魂を祀っているかというと、どこにもそのようには書かれておらず、正宮には和御魂や荒御魂など全神格としての神が祀られていると解釈されています(神宮司廳,1951)。従って、正宮でもお願い事は聞いてもらえ、特に強いお願いをするときには荒祭宮や多賀宮にも参拝するということになるのでしょうか。

 最近は、荒御魂の意味がテレビなどで広く知れ渡ったのか、荒祭宮や多賀宮にも行列ができるほど参拝者が訪れるようになりました。神宮の衛士が正面からだけではなく、側方に回るように呼びかけていますが、やはり正面からお願いをした方が霊験あらたかと思うのか、参拝者はじっと行列に並んでいます。

写真4 荒祭宮における神嘗祭奉幣の儀。着色の装束は勅使(2014年10月16日)

写真4 荒祭宮における神嘗祭奉幣の儀。着色の装束は勅使(2014年10月16日)

 ところで、荒祭宮は内宮第一の別宮で、社殿は他の別宮よりも一回り大きく、神嘗祭などでは宮内庁から派遣された勅使は正宮に続いて荒祭宮だけに参向し(写真4)、絹と麻の布を奉納する神御衣祭(かんみそさい)は内宮正宮と荒祭宮のみで毎年5月と10月に行なわれるなど、他の別宮より重要視されています。また、荒祭宮は二つの谷に挟まれた尾根上に位置し、南側の谷の上流には御井があり、谷を流れる水は北側の川と御池で合流し(写真5)、五十鈴川へと流出します。

写真5 内宮の御池(2016年10月24日)

写真5 内宮の御池(2016年10月24日)

 荒祭宮の北方からは、東京国立博物館に所蔵されている、本来はヒスイやメノウなどの宝石製の装飾品の代わりに、祭祀に用いられる滑石製の勾玉や管状の臼玉などが出土しました。このことから、荒祭宮周辺が古墳時代の5世紀頃には大規模な祭祀場であったと推測されています。荒祭宮と近くの御井の位置の関係から、かつて荒祭宮は湧水祭祀を行う場であった可能性があります(穂積,2013)。

 また、荒祭宮を、城之越遺跡と対比して考えると、五十鈴川の水を水源とする水田、特に神宮神田(第13回神田)の湧水祭祀を行っていた場所と想像することもできます。このように、内宮の荒祭宮や瀧祭神、外宮の上御井神社や下御井神社の存在は、神宮では、弥生・古墳時代から続いている飲み水や生活用水そして農業用水を守る水神への信仰が重要な役割を果たしていることがうかがえます。

(5)ガイド

城之越遺跡・城之越学習館:伊賀市比土字城之越4724

参考資料:

遠藤元男ら(1983)飲食,日本史小百科16,p1-315,近藤出版社
原田 幹校訂(1919)伊勢參宮名所圖會,p1-694,大日本名所圖會刊行會
穂積裕昌(2013)伊勢神宮の考古学,p1-208,雄山閣
神宮司廳(1951)伊勢神宮の栞,p1-100,神宮司廳
神宮司廳(1979)神宮要綱,p1-754,東方出版
長島(1995)伊勢のお水とり,瑞垣,171,29
坂本廣太郎(1998)神宮祭祀概説,p1-519,神宮文庫
坂本太郎ら校注(1987)日本書紀上,p1-654,岩波書店
下中彌三郎編(1986)神道大辞典,p1-1474,臨川書店
辰巳和弘(1999)風土記の考古学―古代人の自然観,p1-213,白水社
矢野憲一(2006)伊勢神宮―知られざる杜のうち,p1-270,角川学芸出版

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