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環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食|谷山 一郎

どんなコラム?
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
プロフィール
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

30 神酒1・・・酒類製造免許を持ちお酒を醸造する神宮

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2017年3月28日
写真1 内宮所管社・御酒殿における御酒殿祭(2015年6月1日)

写真1 内宮所管社・御酒殿における御酒殿祭(2015年6月1日)

(1) 酒の成分と作用

写真2 内宮前おかげ横丁の酒屋の屋根で独酌する瓦製のサル(2017年3月4日)

写真2 内宮前おかげ横丁の酒屋の屋根で独酌する瓦製のサル(2017年3月4日)

 酒の成分であるエタノールは、胃で約20%、残りは小腸で吸収され、血流に乗って脳に達して脳神経の機能を抑制します。最初に抑制されるのは、いわゆる「知性」と総称される大脳新皮質の機能で、この抑制により、気分爽快となり(写真2)、談論風発、食欲も増進され、料理もおいしくなります。酒を飲み続け、抑制が進むと知覚領域が鈍麻し、催眠作用が加わり、さらに間脳にある自律神経中枢の部分麻痺が生じると泥酔状態となり、延髄にまで麻痺が及ぶと呼吸麻痺を起こし、最悪の場合、死亡することさえあります。

 しかし、適量の飲酒は、血管に沈着する低比重タンパクに結合するコレステロール(LDL)を除く働きをする高比重タンパクHDLコレステロールを増加させ、冠状動脈閉塞度を減らして、血小板凝集を抑制して脳血管障害・虚血性心疾患の発生率を低下させると言われています(厚生労働省,2017)。また、ウロキナーゼ様物質の放出を増やして、血栓防止に貢献するとも言われています(吉澤,2001)。もっとも、酒の肴として何をどのくらい食べるかによって、その効果も帳消しになる可能性はあります。

 このように適度な飲酒は人間の健康にもよい影響を与え、飲酒により人間の精神活動が通常とは異なる状態になることは古代から重要視され、酒は神と人を結ぶ媒体として、また共同体の構成員の連帯感を強める手段として広く用いられてきました。3世紀に成立した中国の史書、通称「魏志倭人伝」には、日本人は酒が好きで、葬式では弔問客が酒を飲み、歌い踊ると記されています。続いて、酒のためとは書かれてはいませんが、寿命が80~100歳とあり、日本人が長寿であると述べられています。

写真3 外宮の新御敷地から見た正宮正殿(2014年10月4日)

写真3 外宮の新御敷地から見た正宮正殿(2014年10月4日)

 外宮(写真3)の祭神である豊受大御神は、言い伝えでは雄略天皇によって丹波の国の奈具社という神社から招聘されますが、「丹後国風土記」逸文には、奈具社の縁起として次のような羽衣伝説が記載されています。

 丹波の山中に比治真奈井(ひじのまない)と呼ばれる井戸があり、天女8人が天から降りてきてそこで水浴びをしていると、それを目撃した老夫婦が1人の羽衣を隠し、天女は天に帰れなくなります。仕方なく、天女は老夫婦とともに暮らしていました。ところが、天女は一杯飲めば、万病に効くという酒を醸造し、この酒を売ることで老夫婦は大金持ちとなりますが、その後、天女を家から追い出します。天女は、今さら帰るところもないので、老夫婦と暮らしたいと懇願しますが断られ、あちこち漂泊した末に今の京都府京丹後市の村に至り、奈具社に鎮まったのが豊受大御神ということです(橘,1930)。

 伝説とはいえ、豊受大御神が機能性を有する酒を製造し、経営者はそれを売ることで利益を得、用済みの従業員を遠慮無く馘首するなど、現代の世相にも通じるところが興味深いところです。なお、「丹後国風土記」逸文のもう一つの有名な話は浦島太郎の伝説です。

(2)日本酒の歴史

 米を原料とする日本酒は、縄文晩期に大陸から渡来した水稲作とともに、酒造りの技術が伝わったと考えられています。そこでは米は神聖な食物であり、それから製造された酒は飯とともに最も大切な神饌で、神酒(みき)と呼ばれ、神の霊力が宿ると信じられていました。祭は酒を造る日から始まり、発酵という当時の人々にとっては不可思議な現象を霊力によるものと考えて、酒造りと酒を信仰の対象としてきました。

 日本酒に関する初期の記述の一つとして、奈良時代初期に編纂された「大隅国風土記」逸文に、今の鹿児島県東部では村の男女が集まって、生米を噛んでは容器に吐き入れて貯蔵し、酒の香りがし始めたら再び集まって飲む風習があったとあります(西牟田,1987)。これは唾液中のアミラーゼなどの酵素で米デンプンを糖化した後、空気中の野生酵母で発酵させる原始的な醸造法です。この方法は沖縄地方には残りましたが、その他の地方では絶えています。

 もう一つは同時代の「播磨国風土記」で、神に供えた干し飯が水に濡れてカビが生え、放置したところ酒ができ、その酒で宴会をしたという記述があります。こちらは、コメを加熱処理してデンプンをα化し、麹カビの糖化作用を利用した後に酵母によるアルコール発酵を利用した醸造法であり、現代の日本酒製造と通じるものです(一島,2007)。

 8世紀末には宮廷を中心に、米と米麹を用いる酒造りがほぼ確立し、10世紀に編纂された法令書の「延喜式」には、造酒司(さけのつかさ)と呼ばれる役所で15種類の酒が造られたことや方法および道具などが記録されています。酒のほとんどは濁酒(にごりさけ)とそれを布やなどで濾過した清酒(すみさけ)で、いずれも原料の水が少なく、その代わりに麹や酒の量が多く、糖化を促進し、アルコール発酵を抑制するためきわめて甘口で、当時の人々は甘味嗜好であったためと思われています。また、3月3日の上巳(雛祭り)から9月9日の重陽の節供までは冷やで、それ以外の期間は燗をし、夏には氷室に入れて保管された氷を用いたオンザロックも楽しむこともありました(吉田,2015)。

 しかし、米は貴重な食料であり、庶民は酒の粕を湯で溶いた粕湯酒およびヒエやアワなどの雑穀を原料とした酒を飲んでいました。また、原料に対する水の割合が低い半固形の酒をそのまま箸で食べたり、それを水に溶いて飲んでいたようです。

 12世紀以降の武士の時代になると、酒造技術は進歩し、酵母を大量に増殖させた酒母の利用、もろみへの原料添加を三段階に分ける段仕込み、精白米を原料とする諸白(もろはく)造り、もろみの高度濾過による透明化した酒および低温加熱殺菌などが開発されました。また、醸造容器として焼き物の壺や瓶が用いられていましたが、容量の大きな木樽や木桶が発明されるようになると量産が可能になり、酒造技術は、奈良・京都から地方に伝わり、16世紀には全国各地の銘酒が知られるようになりました。

 江戸時代になると、関西地方に伊丹や灘などの大生産地が出現し、独身者の多い江戸の酒の消費量はきわめて大きいため、船で大量に送られました。

 ところで、清酒(せいしゅ)は、もろみを含んだ濁酒(だくしゅ)または濁り酒(にごりざけ)を布などで濾過して澄明にした酒を意味します。古くは「すみさけ」とも呼ばれましたが、「すみさけ」は灰などを添加した後の上澄みを汲んだものを指すとの説も有り、定かではありません。神宮で用いている透明な神酒は、近代の製造法に従ったものを用いているためか「せいしゅ」と呼ばれています。

(3)神宮の神酒

写真4 神宮の神饌に用いられる土器の御酒壺と盃(皇學館大学佐川神道博物館:2016年3月27日)

写真4 神宮の神饌に用いられる土器の御酒壺と盃(皇學館大学佐川神道博物館:2016年3月27日)

 神宮では、6月と12月の月次祭および10月の神嘗祭の由貴大御饌では、白酒(しろき)、黒酒(くろき)、醴酒(れいしゅ)、清酒(せいしゅ)の4種類、その他の祭の大御饌には醴酒と清酒の2種類、常典御饌では清酒のみが、いずれも3献ずつ、御酒壺(みさかつぼ)から三寸土器の盃に注がれ、御盃台に載せて(写真4)、神饌の最後に供えられます(石垣,1991)。

 酒が3献提供されるのは、古代の宮廷での神事や節供には酒宴が催され,大きな盃に満たされた酒が一座の全員にまわされました。それが1巡すると1献であり,これが3回繰り返されたことによります。元々中国に由来する儀式で、陽の数である三や九が用いられました。中世になると、これが武家に伝わり、膳を三回変え、その度に三度酒を飲み干す「式三献」となり、結婚式の「三三九度」として、今に伝わっています(神崎,2007)。

 しかし、常典御饌では、平安時代の神宮の神事について書かれた「止由気儀式帳」には、酒の記載はありません。三節祭の由貴大御饌と正月元日など節供以外で、毎日神酒がお供えされるようになったのは明治以降のことです。

 現在では行われていませんが、かつて神宮では節供に、特別な神酒を神前に供えるとともに、直会や饗膳で飲まれていました。元日には、延命長寿のため、屠蘇散と似たような原材料の、肉桂(熱帯原産のクスノキ科の常緑樹の樹皮:シナモン)、山椒(サンショウの実)や人参(チョウセンニンジンの根)などの漢方薬を加えた神明白散という散薬入りの神酒を供えました。3月3日には桃花御饌として破魔・招福の象徴である桃の花を酒に浮かべた桃花酒を飲み、5月5日の菖蒲御饌では、魔除けとなるショウブの根を刻んで酒に浸した菖蒲酒、9月9日の菊花御饌には、延命長寿の霊草とされる菊花を神酒に浮かべる菊酒を供えたと言われています(中西,2007)。これらの節供に伴う季節感ゆたかな神事は、残念ながら1873年にすべて廃止されました。その原因は、明治維新の神職の入れ替えによる伝統神事継承の断絶、太陽暦の採用や外国伝来の風習を嫌ったことなどが考えられます。

写真5 内宮忌火屋殿前における御酒殿祭のお祓い(2015年6月1日)

写真5 内宮忌火屋殿前における御酒殿祭のお祓い(2015年6月1日)

 現在、神宮では、主な祭の際に供される白酒、黒酒および醴酒は、忌火屋殿(写真5)で醸造します。その性状や製造方法の詳細は明らかにされていませんが、いろいろな推定については次回説明します。また、毎日供される清酒は歴史も新しく、神宮では毎日あるいは大量に醸造できないので、業者が醸造したものを用いています。

 神宮では、酒を自ら醸造するため、酒類製造免許を有し、酒の種類、製造期間、製造見込数量、製造方法などを税務署に届け出て、数量やアルコール濃度などの検査を受け、神事で使用し、境内から運び出さないことや販売しないことなどを条件に許可されています。醴酒も同時に製造されますが、アルコール度数は1%以下で、法律上は酒ではなく、税務署への届け出は不要です(吉田,2015)。

(4)御酒殿祭

 神宮では6月と12月の月次(つきなみ)祭と10月の神嘗(かんなめ)祭の由貴大御饌に供える神酒の醸造の開始に合わせて、6、10、12月の1日に内宮所管社の御酒殿(みさかどの)で、御酒殿祭(みさかどのさい)が行われます(写真1)。

 御酒殿は、御酒殿神と呼ばれることがあり、神宮司廳の資料でも混用されています。本来は宮中や神社の酒造りのための施設の一般名として御酒殿があり、それと神社としての御酒殿を区別するために御酒殿神と名付けたのかも知れませんが、とりあえず神宮司廳のホームページに従って、神宮の神社としても(the)御酒殿としておきます。

 内宮の御酒殿は、神楽殿の東側、五丈殿の北、かつて由貴大御饌祭の前に魚貝類や果物などの御贄(みにえ)を納めていた神明造りの由貴御倉の隣にある、板葺き、切妻造の建物です(写真6)。外宮の御酒殿は忌火屋殿の西側に内宮御酒殿よりも一回り小さい構造といわれていますが、立ち入り禁止区域内にあり、よく分かりません。125社参りの際には、忌火屋殿前の北御門口参道から遙拝します。祭神は内宮・外宮とも御酒殿の守護神、御酒殿神とされていますが、かつては豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)、すなわち「丹後国風土記」逸文にある天女、豊受大御神とされていたことがあります(阪本,1988)。酒造りの伝説から考えるとそれも相応しいといえましょう。

写真6 造替中の御酒殿(左)と由貴御倉(右)(2015年2月9日)

写真6 造替中の御酒殿(左)と由貴御倉(右)(2015年2月9日)

 ところで、正宮・別宮では、20年ごとに式年遷宮として社殿を建て替えますが、写真6のように摂社・末社・所管社でも20年ごとに社殿の全部を建て替える「造替(ぞうたい)」または鳥居、板垣や屋根など直接雨が当たる部分など傷みが激しい場所を補修する「修繕」(写真7)を行います。これらのことをまとめて解説した文献を探し出せなかったので、以下は神宮の記録などからの推定になります。

 まず、造替後20年を経過すると修繕を、それから20年後に造替を行うので、社殿すべてを建て替えるのは40年ごとになります。

写真7 修繕後の外宮摂社・草奈伎神社。門扉、棟持柱や壁板はそのまま。右側の砂利面が仮殿の敷地(2016年11月16日)

写真7 修繕後の外宮摂社・草奈伎神社。門扉、棟持柱や壁板はそのまま。右側の砂利面が仮殿の敷地(2016年11月16日)

 摂社・末社・所管社では、正宮や別宮の遷宮とは異なり、新旧の御敷地がないので、新旧の社殿を並べた上で御霊または神体を移すわけにいきません。そこで、近くに敷地がある場合には仮殿を新たに敷地に建て、一旦御霊を仮殿に移し、新社殿が完成後、再び御霊を移し、その後仮殿を撤去します。仮殿を新たに建てるスペースがない場合、近くの神宮の神社を仮殿として、そちらへ御霊を移し、造替・修繕が終了後、御霊を仮殿から本殿に移します。内宮の御酒殿の場合は、由貴御倉とともに御稲御倉に移っていたようです。

 また、本殿から仮殿に御霊を移すことは造替も修繕も「遷座」と言いますが、仮殿から本殿に戻すのは、造替の場合には「新殿遷座」、修繕の場合には「本殿還座」と使い分けており、なるほどと納得してしまいます。1つの神社を1ヶ月ほどかけて、1年に7社程度を造替・修繕します。手間がかかり、宮大工も忙しいことです。また、造替や修繕の順番は必ずしも、20年前と同じではないようです。

 さて、話を御酒殿祭に戻すと、まず忌火屋殿前でお祓いを受けた後(写真5)、御酒殿前に移動し、神饌と四日市市垂坂町の麹生産業者から志氐(しで)神社を経由して献納された忌麹(いみこうじ)を供え、よい白酒・黒酒ができるようにと祈り、あわせて全国の酒造業界の発展を祈願します(写真1)。麹が四日市市から納められるのは、江戸時代まで朝明郡垂坂御厨の麹が用いられたことによります(矢野,2015)。その後、内宮・外宮の忌火屋殿で、忌麹を使って完成した白酒、黒酒および醴酒と奉納された清酒を両宮の御酒殿に保管した後、神嘗祭や月次祭の由貴大御饌に供えられます。

(5)ガイド

内宮所管社・御酒殿:三重県伊勢市宇治館町1

参考資料:

一島英治(2007)麹,ものと人間の文化史138,p1-218,法政大学出版部
石垣仁久(1991)白黒醴清-神宮の酒-,瑞垣,159,60-68
神崎宣武編(2007)乾杯の文化史,p1-287,ドメス出版
厚生労働省(2017)アルコールと高脂血症,生活習慣病予防のための健康情報サイト
中西正幸(2007)神宮祭祀の研究,p1-701,図書刊行会
西牟田崇生(1987)みき神酒,神道要語集祭祀篇3,p82-95,神道文化舎
阪本廣太郎(1988)神宮祭祀概説,p1-519,神宮文庫
橘 純一(1930)豊受大神御神霊考,p1-223,四海書房
矢野憲一(2014)伊勢神宮の衣食住,p1-262,角川学芸出版
吉田 元(2015)酒,ものと人間の文化史172,p1-251,法政大学出版部
吉澤 淑(2001)酒の文化史,吉澤 淑編,酒の科学,p1-9,朝倉書店

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