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執筆者

谷山 一郎

農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食

31 神酒2・・・白酒と黒酒のなぞ

谷山 一郎

写真1 神宮神田の抜穂祭祭場での白と黒の鯨幕(中央)および報道陣(2016年9月3日)

写真1 神宮神田の抜穂祭祭場での白と黒の鯨幕(中央)および報道陣(2016年9月3日)

(1)神宮と皇室の白酒・黒酒の歴史

 神宮の三節祭で用いられる4種の神酒のうち白酒(しろき)と黒酒(くろき)は、現在でも皇室で勤労感謝の日に催される新穀を供える新嘗祭(にいなめさい)や天皇即位後最初の新嘗祭である大嘗祭(だいじょうさい)で用意される神酒です。

 大嘗祭は、神宮の式年遷宮のシステムと同じように天武天皇朝に創設され、天武天皇妃であった持統天皇のもとで691年に初めて開催されました。その後、聖武天皇の大嘗祭(724年)において供えられたであろう「白酒」と書かれていた木簡が平城宮内におかれた酒や酢の醸造を担当する役所の造酒司(ぞうしゅしまたはみきのつかさ)跡から発見されました(奈文研,2015)。白酒・黒酒の最初の記録は万葉集で、奈良時代の公卿で鑑真とも交流のあった文室智努真人(ふんやのちぬのまひと:他に様々な名前や呼び方があります)が、753年の孝謙天皇主催の新嘗祭の宴会で「この黒酒白酒を万代にわたって造りましょう」という歌を残していますが、どのような酒だったかは分かりません。

 奈良時代の歴史書「続日本紀」には、765年の称徳天皇の大嘗祭では黒紀・白紀御酒、769年の新嘗祭では黒記・白記御酒を用意したとあります。紀または記は、その後に御酒とあるので酒ではなく、木を意味するとも言われています(加茂,2010)。

 804年に成立した内宮の神事や行事などについて記述した「皇大神宮儀式帳」には、酒作物忌(さかとくのものいみ)が白酒を忌火屋殿で、清酒作物忌(きよさかとくのものいみ)が黒酒とその他2種類の酒を、忌火屋殿とは別の仮の酒殿で造っていたことが記されています。酒作物忌と清酒作物忌は少女ですが、実際には物忌父(ものいみのちち)という父親が付き添っており、酒造り専門の神職がいました。ところが、鎌倉時代になると物忌は廃絶し、酒作内人(さかとくのうちんど)と清酒作内人(きよさかとくのうちんど)と呼ばれる神職が対応し、それが明治維新まで続きます。

写真2 神宮神田の黒木造りの鳥居と下種祭祭場(2017年4月4日)

写真2 神宮神田の黒木造りの鳥居と下種祭祭場(2017年4月4日)

 870年代に記されたと考えられ、宮中の行事や神事を定めた「儀式践祚大嘗祭儀」では、造酒童女(さかつこ)と呼ばれる少女およびそれを補佐する大人の男女が白酒と黒酒を醸造し、それに「薬灰」を同量入れて混合し、目の粗い絹織物である「あしぎぬ」で作られた篩(ふるい)で、粕と炭および酒を分離すると書かれています。白酒と黒酒の製造方法はまったく同じで、それぞれを醸造する施設が樹皮を剥いだ白木造りの白酒殿と樹皮を残した黒木造り(写真2)の黒酒殿と呼ばれたために、白酒および黒酒と称したとされています(加茂,2010)。

 しかし、その後50年ほどを経た927年に編纂された「延喜式」の造酒司の章では、米、麹、水で10日間ほど醸造して得た酒に久佐木灰を入れた酒を黒貴(くろき)、何も加えない酒を白貴(しろき)としています。久佐木灰は、クマツヅラ科の落葉小高木であるクサギから作られた灰とされていますが、完全灰化した白炭ではなく、不完全燃焼の黒炭であったようです。

 つまり、9世紀から10世紀にかけて、白酒と黒酒は製造されていた施設の色の呼称から、酒の色による区分へ変化したことになります。

 1430年の後花園天皇の大嘗祭では、黒酒は白酒に烏麻粉(磨り黒ゴマの粉)を振りかけたものであることが記録されています。それから後、200年以上にわたり宮中の大嘗祭や新嘗祭は中絶したことから、混乱期で炭製造の手間を省き、黒く着色するため、黒ゴマを使用したと思われます。1687年の東山天皇の大嘗祭でようやく復活し、そこでは白酒・黒酒を「延喜式」の醸造法に従ったとされているため、黒酒は白酒に久佐木灰を添加したものとして引き継がれていくことになります(加茂,2010)。

 1871年の神宮改正により、神宮の酒作・清酒作内人が廃絶すると、神宮で扱う白酒・黒酒は、宮内省から供与されるようになりました。宮内省では、1871年の新嘗祭から白酒・黒酒の醸造を、東京の酒類卸商加島総本店の代表加島十兵衛(代々十兵衛を称する)に依頼しました。大正、昭和の京都で行われた大嘗祭の白酒・黒酒の醸造も京都の上賀茂神社内に醸造所を設置して、加島が指導しました(吉田,2015)。ちなみに、2015年に放映されたNHKの朝の連続ドラマ「あさが来た」のヒロイン「あさ」が嫁いだ加野屋は、加島が東京へ進出する前の大阪の両替商「加島屋」がモデルとなっています(加島屋,2017)。

 第二次世界大戦後の新嘗祭や平成の大嘗祭における白酒・黒酒の醸造・納入は、加島屋と滋賀県の酒造会社が担当して今日に至っています(吉田,2015)。皇室では現在でも、新嘗祭で白酒・黒酒が供えられ、直会では参列者に白酒・黒酒が振る舞われます。河野太郎衆議院議員のブログには、そのときの模様や白酒・黒酒の概要が記されています(河野,2015)。神宮では、第二次世界大戦後、宮内庁からの白酒・黒酒の供給が止められたため、加島十兵衛を招聘して醸造技術の指導を受け、その後神職が酒造りを担当して、現在に至っているとのことです(石垣,1991)。

(2)神宮の白酒・黒酒の製造法

 神宮の白酒・黒酒は内宮の忌火屋殿で醸造されますが、その原料や製造方法は明らかにされていません。しかし、1977年に元国税局鑑定官が各地の鑑定官室や税務署などに問い合わせて、いろいろな神社の神酒の製造方法の概略を報告しています(加藤,1979)。それによれば、神宮の白酒・黒酒の製造方法は以下の通りです。

写真3 内宮忌火屋殿前での祈年祭のお祓い(2015年2月17日)

写真3 内宮忌火屋殿前での祈年祭のお祓い(2015年2月17日)

 神宮神田で収穫された抜穂(28 抜穂祭参照)を臼殿において手搗きで脱穀・精米し、その白米を内宮の忌火屋殿(写真3)に設置してあるかまどに釜をかけて湯をわかし、その上にこしきを載せて蒸します。麹は、四日市市垂坂の麹業者から納入され、御酒殿祭(31 神酒1参照)の際に御酒殿へ納められた後、忌火屋殿に運ばれたものが用いられます。仕込み水は外宮の上御井神社(26 御水1参照)の井戸水を使います。

 白酒の仕込み配合は、白米25kg、米麹2.7kg、水30Lで、麹歩合は9%となり、普通の清酒の麹歩合が約23%であるのに比べるとかなり低くなっています。また、調査当時、神酒を造っていたその他の42神社の麹歩合の範囲が14~50%であったのに比べても低い値です。「延喜式」に書かれているいろいろな酒の麹歩合は29~33%と推定されており、専門家もその理由が分からず、古代の酒造方法が伝承されているとすれば、その理由が知りたいと感想を述べています(加藤,1978)。ちなみに、神宮の白酒・黒酒は麹歩合が15%以下なので、純米酒などの特定名称を名乗ることはできません。

 その後の仕込みでは、酵母を加え培養した酒母を用いることなく、麹、水および蒸米を混ぜたいわゆる「どぶろく仕込み」となっています。仕込み後12日ほどで熟成するので、これをザルでこして、酒と粕に分離します。目の粗いザルで漉しているので、濾過した酒も白濁していますが、税法上は、濾過処理を行っているので清酒(せいしゅ)に分類されています。

 税務署の係官が酒を検定した後、酒を二分し、ある種の草木灰を加えた方が黒酒となり、加えない方が白酒です。1977年度の醸造量は180Lでした。この灰の植物名を神宮では秘伝としていますが、「延喜式」の酒造技術で指導を受けたことを考えると、クサギの灰を用いている可能性があります。

 6月の月次祭や10月の神嘗祭のための酒造りは、気温が高いため早くできるものの、雑菌の侵入による汚染・腐敗が起こりやすく、かなり困難が伴うものと思われます。神酒を自給している神社では、製造を酒造会社に委託したり、会社の技術者の派遣を依頼している場合がありますが、神宮には酒造専門の神職がいたようです(加藤,1978)。

(3)白酒、黒酒、クサギの灰の由来

 白酒に不完全燃焼の黒炭を入れるのは、アルコール発酵が進むと酸が生成して酸味がでるので、灰のアルカリ分で中和するためという説がありますが、そうであれば、完全灰化した白炭を用いる方が効率は上がります。また、活性炭を含む灰を用いるのは、中和とともに、醪(もろみ)の沈殿促進や不純物の吸着除去といった効果への期待などの解釈があります。しかし、品質の劣る白酒の存在や黒ゴマの利用などを考えれば、神酒の性状や醸造法の改善よりは着色が主な目的であったと思われます。

 それでは、建物の色にしろ、酒の色にしろ、なぜ白と黒の組み合わせの神酒が用いられるのでしょうか。現代の我々からみると、あまりおめでたい色の組み合わせとは思われません。葬式には白と黒の縞模様の鯨幕が用いられます。

写真4 外宮正宮・新御敷地の白石と清石、遠景の社殿は心の御柱覆屋(しんのみはしらのおおいや)(2014年10月3日)

写真4 外宮正宮・新御敷地の白石と清石、遠景の社殿は心の御柱覆屋(しんのみはしらのおおいや)(2014年10月3日)

 しかし、弔事での鯨幕の利用は西欧の影響を受けて大正以降に始まったのに対し、神宮での祭典や行事(写真1)および皇室での慶事では古くから黒白の幕を使用しているとのことです(矢野,2013)。さらに、神宮の敷地には白い白石(しらいし)と黒または灰色の清石(すがいし)が分けて敷き詰められています(写真4:9 白石参照)。

 このような白と黒の組み合わせは、中国古代の「陰陽五行説」という考え方に基づくという解釈があります(岩瀬,1994)。この世のあらゆる現象は陰と陽の2つの対立する気によって起こるとするのが陰陽説です。また、森羅万象すべてが木・火・土・金・水という5気によって構成されるというのが五行説で、両説を合わせて陰陽五行説と言います。陰陽説では白色は陽、黒色は陰、五行説では白は金気、黒は水気に当てはめられ、水気の代表が酒であり、白酒・黒酒は、中国の古代思想に基づいて構想された神酒だったというのです。

 それでは、神酒を黒く実際には灰色に着色するのに、なぜクサギの根の灰または炭が用いられるのでしょうか。「儀式践祚大嘗祭儀」では久佐木灰を薬灰としており、クサギの葉茎や根にはアルカロイドのクレロデンドリンやクレロドンを含み、降圧・鎮痛作用があるとされています(三橋,1988)。しかし、灰化によって有機性の有効成分は分解してしまうので、薬効を期待したのではないと思われます。

 「延喜式」の宮中の医薬を扱った典薬寮の章では、クサギを古代中国で用いられた漢字「恒山」と表記し、伊勢国から恒山10斤を朝廷に納めることを規定しています。この恒山とは、中国の泰山などの名山五嶽の一つとされ、山西省北東部、北京の西約200kmにあり、古代中国皇帝が居を構えた中原地方からは北に位置します。五行説では北は黒色を意味し、クサギは黒を象徴することから用いられたという考え方があります(岩瀬,1994)。

写真5 内宮別宮・伊雑宮の御田植祭・竹取神事のサシバと呼ばれる団扇に書かれた太一の文字(2014年6月24日)

写真5 内宮別宮・伊雑宮の御田植祭・竹取神事のサシバと呼ばれる団扇に書かれた太一の文字(2014年6月24日)

 さらに、神宮に奉納される神饌の材料の行列には「太一御用」と書かれた幟が先頭に掲げられ、内宮別宮・伊雑宮(いざわのみや)の田植えの神事では「太一」と墨書された団扇(うちわ)が立てられます(写真5)。太一とは、中国の「易」によれば、宇宙の根源で、天の中心に位置する北極の神または北極星を意味しています。推古天皇の時代に易の思想が日本に伝来すると、日本の伝統思想と習合し、太一は天照大御神を表すとされるようになりました(矢野,2013)。

 このように、神宮の神饌として取り上げられる食材や神事には、古代中国の思想の影響を受けているものがあるようです。

(4)現代の白酒(しろき)

 日本の神社での新嘗祭(にいなめさい)には、かつては白酒と黒酒が出されていたところもありましたが、今では白酒だけとなりました。いくつかの神社では、白酒に相当する濁り酒を税務署の許可を得て自家醸造していますが、多くの都道府県の神社では、滋賀県の酒造会社などから白酒の提供を受けています(藤居本家,2017)。

 三重県や奈良県などでは県の神社庁から依頼を受けた地元の酒造会社が、新嘗祭に合わせて白酒を神社に提供しています。三重県では「三重の新嘗(にいなえ)」として、三重県神社庁からの依頼で四日市の酒造会社が醸造した白酒を、三重県下の817の神社で催される新嘗祭に奉納します。神宮でも新嘗祭では、白酒として三重の新嘗を供えているようです。酒米は酒造好適米「神の穂」100%で、製造量は1升瓶で2016年が約4,000本でした(佐野,2016)。市販はされていないため、神社の氏子として新嘗祭に出席して直会で頂くか、関係者から譲り受けるしかありません。

 「神の穂」は、三重県農業研究所伊賀農業研究室が開発し、2010年に品種登録された酒造好適米です(三重県,2017)。祖父は「山田錦」、祖母は「キヌヒカリ」で、神宮の所在地三重の「神の田」でとれたおいしい酒米という意味を込め「神の穂」と名付けられました。背が低いため稲が倒れにくく、収穫量も多いという特徴があります。神の穂は粒が柔らかく、他のコメよりも削ることができないので、主に吟醸酒の醸造に用いられています。なお、「神の穂」は、神宮神田でも2013年の記録では栽培されており(13 神宮神田参照)、神宮の神酒に使用されていた可能性があります。

写真6 白鷹製造「伊勢詣しろき」(2017年3月12日)

写真6 白鷹製造「伊勢詣しろき」(2017年3月12日)

 ところで、神宮に清酒を納入している株式会社白鷹は、「しろき」と称する濁り酒を内宮前のおはらい町にある酒店だけで販売しています。店にはカウンターがあるので、塩を肴にグラスの「しろき」を立ち飲みすることができ、ボトルでも購入できます(写真6)。神宮で醸造している白酒とは直接関係はありませんが、神宮近くだけで販売している濁り酒で白酒の雰囲気を味わうことは可能です。

(5)ガイド

内宮忌火屋殿:三重県伊勢市宇治館町1

参考資料:

藤居本家(2017)藤居本家HP
石垣仁久(1991)白黒醴清-神宮の酒-,瑞垣,159,60-68
岩瀬 平(1994)「延喜式」新嘗会白黒二酒と易・陰陽五行説,日本醸造協会誌,89,805-811
加島屋(2017)加島屋HP
加茂正典(2010)白酒・黒酒のこと,悠久,122,53-64
加藤百一(1978)神酒造りの伝承,日本醸造協會雜誌,73,855-863
加藤百一(1979)清酒を造る神社,日本醸造協會雜誌,74,282-289
河野太郎(2015)新嘗祭神嘉殿の儀,衆議院議員河野太郎公式サイト
佐野 裕(2016)神酒の仕上がりを祝う「醸終祭」,毎日新聞朝刊2016年11月4日三重版
三重県(2017)新しい酒米品種「神の穂(かみのほ)」
三橋 博編(1988)原色牧野和漢薬草大圖鑑,p1-782,北隆館
宮崎本店(2017)宮崎本店HP
奈良文化財研究所編(2015)造酒司木簡の世界,p1-15,奈文研
矢野憲一(2013)伊勢神宮の衣食住,p1-252,角川学芸出版
吉田 元(2015)酒,ものと人間の文化史172,p1-251,法政大学出版部

執筆者

谷山 一郎

農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食

食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る