科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

佐藤 達夫

食生活ジャーナリスト。女子栄養大学発行『栄養と料理』の編集を経て独立。日本ペンクラブ会員

メタボの道理

リスクコミュニケーションの可能性と限界

佐藤 達夫

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2020年2月6日、東京都千代田区で、農薬に関する情報交換会(主催:農薬工業会)が開催された。講師は唐木英明氏(食の安全・安心財団理事長)。主催者が農薬工業会であるため、「農薬を題材にして、リスクコミュニケーションとは何か」が解説されたのだが、唐木氏が冒頭に「きょうの話は農薬工業会の考え方を説明するものではなく、私(唐木)個人の意見」であることを表明。

唐木氏の講演(約90分)は中身が濃く、ここですべてをご報告することが不可能なため、後半の農薬(主としてラウンドアップ)に関する部分を割愛してレポートする。

■「自分でコントロールできないもの」に対する不安

現在、日本人の平均寿命は男女とも世界のトップレベルである。ということは(イコールではないが)日本の「食」はきわめて安全なレベルにあるといってよいだろう。食べ物が安全でない国の平均寿命が長いはずがない。にもかかわらず、少なからぬ日本人が「食べ物の安全性」に不安を持っているのはなぜだろうか。唐木氏は、不安を生じせしめる要因として「社会」と「人間」の2つをあげた。

1つめは「社会の変化」。

昔から「農」や「食」に関する不安はあったが、以前の要因は、食中毒や腐敗や異物など五感で感ずることのできるものであり、リスク要因としては比較的わかりやすかった。ただし、わかりやすいリスクではあっても、被害者はけっして少なくはなかった。それでも、自分で管理したり確認したりできる事柄であったため、「不安」は小さかったといえよう。

その後、社会のめざましい進歩を受けて「農」や「食」のリスクがそれまでとは異なるものとなった。たとえば、化学物質や放射性物質や遺伝子組み換え作物等々。これらに共通しているのは、それまで人類が接したことのない新しいリスクであることと、ヒトが五感で感ずることができず、その存在を科学だけが証明できるものであることだ。

新しいリスクは、科学の産物であるが故に、その管理は科学的に厳しく管理されている。そのため、たとえ出現当初は被害があってもすぐに対策をとることができるし、近年では予防的に対策を実施するために被害者がきわめて少ない(ほとんどいない)というのが現実だ。

しかし、「わかりにくいこと」「他人に任せるしかないこと」は、それだけで、不信と不安が生ずる大きな要因となる。

●「よくわからないもの」を避けるのは本能

2つめの不安要因は「人間の対応」。

すべての動物は本能的に危険を回避する。動物が回避しようとする状況としては恐怖と不安がある。生命に危険を及ぼすようなものに出会ったときにわき起こる感情が恐怖で、これは「すぐに逃げる」という行動に直結する。それは当然で、もし恐怖感がない動物があったら、危険な相手に出会っても逃げないので、死に絶える。

危険から逃れるための、もう一つの本能的な反応に不安がある。恐怖と似ているが、対象がよくわからず「逃げるべきか・逃げなくても大丈夫か」を判断できずにいる状態が不安である。明らかに危険だというわけではないが、判断の遅れが場合によっては致命的となるかもしれない。そのため動物は「正体のわからないものは危険」と単純に判断し、それから逃げる行動をとる。

ヒトも、もちろん動物の1種なので、この本能を持ち合わせている。つまり人間も「よくわからないもの」には不安を感じ、本能的にそのリスクをゼロにしようと判断する。この「よくわからないもの」の中に添加物・残留農薬・遺伝子組み換え作物・放射能などがあるのだろう。

「よくわからないものは本能的に避ける」ということを、リスクコミュニケーション(以下リスコミと略す)の出発点にしなければ、リスコミは絶対に成功しない。「危険だとわかりもしないものを避けるなど非科学的な思考だ」などという発想が、頭の片隅にでもある人が行なうリスコミは例外なく失敗する。

●危険情報は好まれるので、大量に提供される

人間は不安から逃れるために、「危険かもしれない」という情報を注意深く探し出してそれを避けようとする。逆に「安全だ」という情報に接してもそれには注意を払わない。安全情報は聞き逃しても何の問題も起こらないからだ。これが「リスコミにおける情報の偏り」に大きく影響すると、唐木氏は指摘する。

マスコミなど「情報を伝える側」は、より多くの人に見たり・読んだり・聞いたりしてほしいので、どうしても「危険情報」ばかりを提供するようになる。結果的に、世間には、それが正しいかどうか・科学的であるかどうかということとは関係なく、「危険だ」という情報が「安全だ」という情報よりも大量に提供されるようになる。つまり、人々が目にするのは危険情報ばかりになり、「やっぱり危険なのか」という判断を導き出す悪循環となる。

さらに、ヒトは、集団で生活する動物として「信頼のおけるリーダーに従う」という性質を持っている。群れの全員が、すべてのことについて、多くの情報を収集し・分析し・把握し・最適な決断を下す、という能力を持ち合わせているわけではないので、知識と経験のあるリーダーの判断に従うほうがリスクを回避する可能性が高くなる。それが、長年の集団行動から得た知恵だ。

ヒトも、知識と経験豊かなリーダーのいうとおりに行動して、危険から逃れた歴史を有している。そのため、現代人にあっても、何か問題が起こったら信頼できる人に頼って解決するという手段を選択するようになっている。リスク情報も、「いわゆるリーダー」に大きく影響を受ける。

●リスコミは戦いだ!

このように、リスコミにはさまざまな「抵抗要素」が絡んでくるので、なかなか成功しない。「科学的に正しいことを、わかりやすく」提供しさえすれば(これだけでもものすごく難しいことなのだが)理解してもらえる、などということはないのだ。

それでも、長い間継続してきたおかげで、遅々とした歩みではあるのだが、成果は上がっている。例えば「食品安全モニター調査」(食品安全委員会)によると、2006年から2018年の12年間で、農薬に不安を持つ人の率は約80%から約50%へと、同じく添加物に不安を持つ人は約75%から約45%へと、大きく減少している。これはリスコミの成果だといえよう。ただし冷静に見ると、まだ約半数の人が不安を抱いているということでもある。

リスコミ当事者は多種多様な困難と対峙している。これまで説明したように、まずは、目に見えないためになかなか安全性を理解してもらえないハザード(リスクの原因)そのものと対峙。次に、危険や不安をとにかく避けようとする本能と対峙。安全情報よりも危険情報に飛びつく消費者と対峙。売らんがために危険情報ばかりを氾濫させるマスコミと対峙。

あえていわせてもらえば、「正しい情報さえ提供していればよし。あとは受け手のリテラシーの問題」と言い放つ専門家たちとも対峙。また「こんなに易しくいってるのに、なぜわかんないの?」といらだつ役人たちとさえ対峙しなくてはならない。

さらにやっかいなことに、明確な意思を持って「間違い情報」を提供し、それによって利益を得ようとする事業者とも対決しなければならない。最近では、SNS上で、手段を選ばずに閲覧数を増やして収入を得るために「間違いであろうが、不確実であろうが」とにかく注目を浴びる情報を垂れ流すブロガーたちとも戦うハメになっている。

唐木氏が、この講演の冒頭に宣言した「リスコミは戦いである!」という言葉が、強く説得力を持ってくる。リスコミは、粘り強く・あきらめることなく・やけになることなく・しかし信念を持って進めなければけっして成功しないのである。

☆文責:この原稿は2月6日に開催された「農薬に関する情報交換会」における唐木英明氏の講演内容を元に、佐藤達夫が執筆しました。
☆割愛した「農薬(ラウンドアップ)のリスコミ」に関して、ご興味のあるかたは下記を参考にしてください。
アメリカの裁判で莫大な賠償金支払いを命じられた農薬「ラウンドアップ」の発ガン性検証」(佐藤達夫)

執筆者

佐藤 達夫

食生活ジャーナリスト。女子栄養大学発行『栄養と料理』の編集を経て独立。日本ペンクラブ会員

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