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食情報、栄養疫学で読み解く!|児林 聡美

どんなコラム?
栄養疫学って何?どんなことが分かるの?どうやって調べるの? 研究者が、この分野の現状、研究で得られた結果、そして研究の裏側などを、分かりやすくお伝えします
プロフィール
九州大学で農学修士、東京大学で公衆衛生学修士、保健学博士を取得。現在同大学特任助教。専門は栄養疫学。国家公務員の経験も持つ

感謝されないお医者さんとの出会い

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2016年11月14日

(まとめに代えて)

農は命を支えます
農は国を支えます
…故に、 国家戦略のために使われた歴史があります。
…今こそ、国家の繁栄と命の恵みのために使ってください。
そのために、正しい「食と健康のための科学」を
正しく使ってください。

(教訓)                         
「こうと分かっていれば、自分は時計職人にでもなるべきだった」
アルバート・アインシュタイン
晴山陽一 すごい言葉 文春新書, 2004

主な参考文献:佐々木敏 わかりやすいEBNと栄養疫学 同文書院、2005

 

 このコラムを読むまで、栄養疫学という言葉を聞いたことのなかった人も多かったのではないでしょうか。
 この分野で新たな知見を発表するためには多くの時間と労力を使います。
 そして得られた知見は、行政、医療、保健などの様々な領域で活用されます。
 その一方、多くの人がこの分野の内容どころか、存在すら知るきっかけを得られません。
 少し残念な気がします。

 縁の下の力持ちのようなこの分野を私がどのように知り、さらにどうしてこのような研究・教育に携わることになったのか、今回はそのあたりを少し詳しくお伝えしてみたいと思います。

●公務員生活の始まり

 学生時代は大学の農学部で実験研究をしていた私ですが、これだけでは社会の健康づくりに貢献するのは難しそうだと気づき、卒業後は研究者ではなく、技術系の公務員として働き始めました(連載第1回  きっかけは鮭茶漬け?栄養疫学が自分のフィールドになったわけ参照)。
 職場として農林水産省を選んだ理由は、農学部で食べ物や健康をテーマに学んだことを生かし、食べ物を通じて広く社会の健康づくりに貢献したいという思いがあったためです。
 ちょうど「食育」という言葉も社会に浸透し始め、そのようなことに取り組んでいる部署も設置されていたことから、自分のやりたいことができる場所はここなのではないかと思い、決めました。

●ふくらむ違和感

 私が最初に所属した部署は、お米の流通を管理したり、消費拡大を推進したりする部署でした。
 そこでは、ごはんを中心とした日本型食生活が良いようだと耳にすることがある中で、食育も絡めて健康のためにと、ごはんをたくさん食べることだけを勧めるような場面もありました。
 そうなると、毎日丼ぶりものなどを食べるとよいのではないかという発想も生まれてしまいますが、それでは健康的な食事とは言えなさそうです。
 一方食育は別の部署で取り組んでいましたが、まだ始まったばかりで目指すべき方向性が見えていないようでした。

 働き始めて1年ほどで、「国には世の中を変える力も、それを支える頭脳もあるはずなのに、食べ物を通して社会の健康づくりを目指すには何か根本的に足りないものがある。」という気持ちが生まれてきました。
 当時まだ栄養疫学という分野を知らなかった私は、その「足りないもの」が何なのか分からないまま、どんどん膨らむ違和感を抱えながら日々を過ごしていました。

●感謝されないお医者さん

 公務員生活2年目が終わるころ、省内の委託事業を請け負っていた東京大学の佐々木敏教授が、省内勉強会の講師を務められました。
 テーマは「食を支える農林水産省職員こそ知っておきたい栄養学の知識」。
 一般的によく聞くような食事と健康の関連の情報に関して、事実なのかそれとも誤りなのか、栄養疫学の研究結果に基づいて、丁寧な説明がありました。

 佐々木教授はその日の講演を次のような言葉で始めました。

 ぼくは感謝されない医者なのです。
 ふつうの医者は目の前の患者さんを治療することが仕事で、治療をすれば毎回患者さんから感謝をされます。
 でも栄養疫学でできるのは、治療ではなくて予防です。
 多くのこれから病気になるかもしれない人たちを、いかに病院に来てもらわなくてよいようにするかが重要なのです。
 それが成功しても、だれもぼくに「ありがとう」とは言ってくれません。
 でも、そのことで目の前のたったひとりの患者さんよりも、多くの人を救うことができるのです。
 それでよいのです。

 この講演で初めて、栄養疫学という分野があること、医学の世界には予防の重要性を認識し、個人ではなく社会を対象に取り組む分野があることを知りました。
 私の学びたい学問をやっと見つけた!と思った瞬間です。

 その後、佐々木教授の研究室に足を運ぶようになり、日本で栄養疫学研究が十分実施されていないこと、研究結果に基づいた施策を実施することがいかに大切であるかということなどを知りました。
 私が仕事で抱いていた違和感というのは、要となる根拠の不足するまま何らかの対策を講じなければならないという、この状況に対する閉塞感だったのだと、ようやく気付くことができたのです。

 それが認識できると、つい若気の至りで、「栄養疫学研究の結果が不足しているとなれば、それをつくる人が必要で、まだそういう人が十分いないのであれば自分がやらなければ」というような、大それた使命感を抱いてしまいました。
 元々研究者志望であったこと、学びたい学問が見つかったこと、それを極めることで自分の目指した「社会の健康づくり」に最も必要とされるものを作り出せそうだと感じたことから、公務員生活を3年で辞め、大学に入り直し、栄養疫学者を目指すことになりました。

●研究者として忘れてはならないこと

 栄養疫学研究では、どんなに突き詰めても、決してノーベル賞候補になるようなものは生まれません。
 私たちの使命は、ごくあたりまえで経験的には感じているような事柄や現象を科学的に明らかにし、たくさんの人に認めてもらい、その結果を様々な分野で役立ててもらうことです。
 「黒子になりなさい」と教授には言われています。
 新しい治療法を開発して目の前の患者さんを治療することはできませんが、すべての人に高度な医療が必要なくなり、社会全体が健康になるよう、陰ながら支えていきたいと思っています。

 冒頭に掲げたのは、佐々木教授が農水省の勉強会で配布された資料の最終ページの内容です。講演の締めくくりで、アインシュタインのこの言葉が引用されました。

「こうと分かっていれば、自分は時計職人にでもなるべきだった」

 アインシュタインが、自らの研究成果を用いて作成された原子爆弾がもたらした惨事を知ったときに発した言葉だそうです。
 現代社会では、「○○という食べ物が□□という病気を防ぐ」というような情報が、根拠が不十分なまま次々と作り出されています。
 そのような情報を目にするたび、私たちが研究を進めることが果たして本当に世の中のためになっているのだろうかという悩みも生じます。

 とはいえ、研究が進まなければ、行政の施策も、個人の食事指導の方針も、根拠を持ち得ません。
 アインシュタインのこの言葉を決して忘れることなく日々研究に取り組まなければならないと、心から思います。
 そして、黒子である私たちが社会の健康づくりを支えているのだという自負も、同時に持ち続けたいと考えます。

 栄養疫学研究の存在とその重要性、そして研究者としてあるべき姿勢を教えてくださった「感謝されないお医者さん」には、心から感謝しています。

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