科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

児林 聡美

九州大学で農学修士、東京大学で公衆衛生学修士、保健学博士を取得。現在はヘルスM&S代表として食情報の取扱いアドバイスや栄養疫学研究の支援を行う.

食情報、栄養疫学で読み解く!

ようこそ私たちの研究室へ:東大・社会予防疫学分野の日常

児林 聡美

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 2年間にわたって担当してきたコラム連載は、今回が最後になります。
 最後に、私たちの研究室である東京大学大学院医学系研究科の社会予防疫学分野がどのようなところなのか、ご紹介しておきたいと思います。

写真1. 研究室入口

写真1. 研究室入口

 研究室には現在、10人の大学院の学生(修士課程4人と博士課程6人)が所属しており、修了(大学院の卒業)に向けて自分の研究活動を進めています。
 室内には他にも、現在進行中の大規模疫学調査の運営や学内事務のために雇われているスタッフが13人います。
 そして全体を教員3人(教授1人と助教2人)が取りまとめている、といった構造です。
 それでは、研究室の扉を開けてどうぞ中にお入りください(写真1)。

●玄関に並んだ数々の業績

写真2. 受理された論文コーナー

写真2. 受理された論文コーナー

 中に入ってすぐに目に留まるのは、クリップ止めして掲示された数々の論文の束(写真2)。
 「ご自由にお持ちください」の案内もあります。
 ここは受理された論文の紹介コーナーです。

 新しく公開された論文を来訪者の方に自由に読んでいただけるようにここに掲示してあります。

 論文が受理されるまでにどのくらいの時間がかかるかということは、 連載第18回 科学的根拠が生まれるまで:論文発表の裏側お見せします でご紹介したとおりです。
 1報の論文が世に出るまでに、論文査読者と1年以上意見をやりとりすることもあります。
 ここに並んでいる論文すべてが、そのような過程を経ています。
 このコラムの中でも、私たちの研究室で発表した研究論文の結果をいくつかはご紹介しましたが、それらは本当にごくわずかでした。
 ここ数年は毎年50報程度の論文が、この研究室のメンバーが関わる形で作成され、世の中に発信されています。
 そしてそれぞれが、世の中にとって重要な「食情報」の科学的根拠のひとつひとつになっていくのです。

●大型装置や実験器具は見当たらない

写真3. 学生たちのデスク

写真3. 学生たちのデスク

 この多数の科学的根拠を生み出す研究室がいったいどんな室内なのか、さらに歩みを進めて部屋の奥に入っていくと…。
 見えてきたのは学生たちのデスクですね(写真3)。
 そこに置いてあるものは、パソコン、書類のような紙、筆記用具など。
 そして、パソコン画面とにらめっこしている学生やスタッフの姿です。
 しーんとした室内にキーボードを打つ音がカタカタしているところへ、ときどき大量の紙を印刷するプリンターの大きな音も聞こえてきます。
 一般的な事務室のような雰囲気で、科学系の研究室で想像するような大型機械の動く音は聞こえず、フラスコ・ビーカー・試験管といった類の実験器具もありません。
 というのは、私たちが普段研究室内で行っている主な研究活動は、調査で得られたデータをパソコンで分析したり、新しく発表された論文をインターネット上で探したり、それを読んだり、ということだからです。

●大量の紙の束発見!

写真4. 食事記録票保管棚

写真4. 食事記録票保管棚

 ほかにはどのようなものがあるのかと振り返ってみたところ、目に入ったのは、棚にところせましと並べられた大量の紙です(写真4)。
 これは食事記録調査で対象者の方に書いていただいた、食事記録票です。
 この連載で似たような風景を見た記憶はありませんか?
 大量の紙と言えば、 連載第7回 47万ページの確認作業:疫学調査の裏側お見せします5 で疫学調査がどのように行われるかをご紹介したときにも、大量の山積みの質問票の風景がありました。
 ひとつの調査が終わっても、また別の調査が行われ、こうしてデータが作られていきます。
 現在は、日本全国32都道府県でおよそ4000人の対象者の方に、1年間に8日間の食事記録を行っていただく調査の真っ最中です。
 全国のおよそ450人の栄養士さんたちに食事記録票作成で調査の運営に協力していただき、その記入済みの記録票がこの研究室に届けられ、この棚に並んでいます。
 研究室のスタッフ(そのうち10人は栄養士)たちで、この記録票の仕分けと確認作業を行っているところです。

 とくにこの食事記録調査は、秤を使って食べた食材ごとに重さをはかる大変な労力のかかる調査であることを、 連載第14回 はかるだけなら簡単?:食事記録法の裏側お見せします でご紹介しました。
 今回は調査対象者の数も多く、対象者1人が記録する日数も多いことから、調査は2年に分けて実施していて、その2年目が進行中です。
 このように研究室内では、論文作成と新たな調査実施という別々のプロジェクトが同時に行われています。

●学生たちの過ごし方

 それでは、普段の研究室生活はどのようなものなのか、所属している学生たちに焦点をあててみたいと思います。
 学生たちが研究室に配属される目的は、修了の要件で必須となっている研究を行い、論文を作成することです。
 修士課程は2年間の課程で、その間に授業を受け、課題研究を行って論文を作成し、発表会での発表を終えると修了となり、修士号が得られます。

 博士課程は修士号を得た人が進む課程で、3年間(課程によっては4年間)に行った研究内容を学位論文としてまとめると修了となり、博士号が得られます。
 それぞれの学生たちは、研究室で行われている調査に関わりながら、自分の修了のために必要な研究活動を行って、日々を過ごすことになります。

 学生たちが研究室に配属されてから修了するまでの所属期間は、修士課程の場合1年半ほどです。
 修了のためにはその間に研究論文をまとめ、発表会で成果を発表しなければなりません。
 となると、数日間で結果が出るような実験研究とは違って、準備から始めると結果が出るまでに数年もかかる疫学研究を学んでいる学生たちは、どうやって研究成果を発表しているの? と思われるかもしれません。
 その様子を図1に示しました。

図1. 社会予防疫学分野で実施した研究とその調査期間およびデータ利用期間

図1. 社会予防疫学分野で実施した研究とその調査期間およびデータ利用期間

 図1は、研究室でどのような調査がいつごろ行われたか、そしてその結果作られたデータがいつごろから使えるようになったのかを示したものです。
 左側の「2002年食事記録研究」「3世代研究」「塩研究1」…という名前は、研究室内で呼んでいる、各研究の通称名です。

 この中の「3世代研究」での調査の裏側は、 連載第3回 「減塩で高血圧予防」も疫学が生きている:疫学調査の裏側お見せします1 から6回にわたる連載でご紹介しました。
 その他の研究内容を少し説明すると、「2002年食事記録研究」は中年男女約500人に食事記録を実施した研究、「超高齢者研究」は85歳以上の高齢者80人に食事記録を実施した研究、「塩研究1」と「塩研究2」は、全国の福祉施設勤務者約800~2000人を対象に24時間蓄尿や随時尿検査などを実施して日本人の食塩摂取量を明らかにした研究、「小中学校食事記録研究」は全国の小学3年生、5年生と中学2年生約900人に食事記録調査などを実施した研究、そして「どんぐり研究」は保育所に通う1~6歳の小児約750人に食事記録調査などを実施した研究です。

 調査の準備と実施などのデータが作成されるまでの期間は緑色で示しています。
 この間はデータが出来上がっていないので、研究結果として発表できるものはありません。
 そしてデータが完成して使用可能となった水色の期間に、ようやく論文作成に取り掛かることができるのです。

 例えば、黄色の囲みで実施した作業は私が行ったことです。
 修士課程の学生として研究室に配属されたのは2009年夏です。
 修了するための研究発表は配属の翌年度末には行わなければなりません。
 研究室内には「2002年食事記録研究」などの、既に調査実施済みで利用可能となったデータがいくつかありました。
 これは先輩方が実施し、研究室に残してくださった、研究室の財産です。
 一度の調査で調べたい項目をたくさん含んだデータが出来上がっています。
 そのため、まだ検討できていないことも残されていました。

 そこで、まずはこの「2002年食事記録研究」のデータを使って、研究論文の作成を行いました。
 どのようにデータを分析するとよいのか、どのように論文の文章を書けばよいのか、ゼロから学んでゆきました。
 そして、論文の書き方を学んでいる途中で、2010年から「3世代研究」を行うための準備が始まりました。
 ここで調査事務局を担当する中で実際の調査がどのように行われるのか身をもって体験し、「2002年食事記録研究」がどんな大変な過程を経て作成されたのかを知ることになりました。

●研究が受け継がれていく

 私が関わって出来上がった「3世代研究」のデータは、今度は後輩たちの論文作成のために利用されました。
 例えば、2013年から研究室に所属することになったAさんが実施したことを図1の赤色の囲みで示しました。
 Aさんが入学したとき、研究室では既に「3世代研究」のデータは利用可能な状態になっていました。
 Aさんはこのデータで論文を作成する経験をしながら、所属中に始まった「塩研究1」などで調査の実施に携わり、疫学研究の全体を学んでいきました。

 そのころ私は博士課程に進んでいて研究室にはいましたが、「塩研究1」では調査の中心からははずれ、以前の「3世代研究」のノウハウや反省点などをAさんや他の事務局メンバーに伝え、調査がうまく進むように補助しました。
 すると今度は、Bさんが入学してきました。

 Bさんが実施したことは図1の青色の囲みで示したように、最初はすでに利用可能となった「塩研究1」のデータを用いた論文の作成です。
 そして、Aさんに教わりながら「塩研究2」の調査を補助し、調査をどのように実施するかを学びました。
 Aさんが修了して研究室を離れた後は、Bさんが「どんぐり研究」で調査事務局の中心的な役割を果たしながら、データ収集を行いました。
 このような研究の受け渡しが行われ続けることで、学生たちは調査の実施と論文の作成の両方を経験し、日々成長していきます。

●未来の疫学者との共同研究

 学生たちが研究室に所属している期間が長ければ、自分が実施した調査で集めたデータを使って論文を作成する機会にも恵まれます。
 実際に、私は「3世代研究」のデータを自分で収集し、それを使って論文を書くことができました。
 一方で、「3世代研究」の調査期間中しか研究室に所属しておらず、データ完成前に修了したため、調査の実施には関わったけれど、自分でそのデータを使うことが叶わなかった学生たちは何人もいました。

 けれども、その学生たちは先輩たちの作ったデータを使わせてもらいながら別の調査を実施する中で、未来の後輩たちのために自分たちがデータを研究室に残すことの大切さを学んでいきます。
 現在所属している学生たちは、未来の疫学者たちとの共同研究のために研究室に新たな財産を作りあげ、社会へと羽ばたいていくのです。

●来たれ、社会予防疫学分野へ

 研究室の中の様子と、そこで過ごす学生たちの日常、いかがだったでしょうか。
 栄養疫学分野の研究は、まだまだ実施しなければならないことが多く残されているにも関わらず、日本でこの分野の教育と研究は大変不足していると感じます。
 私たちと一緒に研究活動を行い、日本の栄養と健康の分野で重要とされるような「食情報」の「科学的根拠」を一緒に作ってみませんか?
 この分野の重要性に気づき、研究室の扉を実際に開いてくれる、多くの未来の仲間たちをお待ちしています。

 2年間ありがとうございました。

執筆者

児林 聡美

九州大学で農学修士、東京大学で公衆衛生学修士、保健学博士を取得。現在はヘルスM&S代表として食情報の取扱いアドバイスや栄養疫学研究の支援を行う.

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栄養疫学って何?どんなことが分かるの?どうやって調べるの? 研究者が、この分野の現状、研究で得られた結果、そして研究の裏側などを、分かりやすくお伝えします