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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

カルタヘナ法施行から10年 失われた10年を取り戻せるか

白井 洋一

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 2月19日は2004年に「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」が施行された日だ。国連の生物多様性条約のひとつとして、遺伝子組換え生物の国境を越えた移動(輸出入)やその使用と管理を定めたカルタヘナ議定書が成立し、日本も批准したのでできたのが「カルタヘナ議定書を担保するための法律」だ。長いので「カルタヘナ法」と呼ばれることが多い。

 カルタヘナとは議定書が採択された国際会議の開催地、南米コロンビアの都市名だ。難産の末、成立した議定書の歴史は、GMO情報「カルタヘナ議定書発効5周年 ~ルーツの1992年から振り返る~」(2008年11月)を参照。

 10年と言えば節目だが、国内のバイテク業界や学界から祝賀行事や反省会というニュースは聞こえてこない。カルタヘナ法に定める組換え生物には植物だけでなく、微生物、昆虫、動物も含まれるが、今回は植物の野外試験栽培に絞ってこの10年をふりかえる。

カルタヘナ法は生物多様性、生態系を守るための法律

 カルタヘナ法は生物の多様性、生態系を守るための法律だ。遺伝子組換え植物が野生植物と交雑しないか、有害物質を出して生態系を汚染しないか、繁殖力を増して他の生物相を駆逐することはないかなどを事前にチェックして、悪影響の可能性はゼロかひじょうに小さいと判断されれば野外での栽培が認可される。

 有害物質をたれ流したり、雑草のごとく繁茂する組換え作物を作る開発者、研究者はいない。また、近縁の野生植物と交雑する可能性があったとしても、農地やごく限られた狭い面積での試験栽培(隔離ほ場試験栽培)ではこれも問題にならない。つまり、カルタヘナ法で組換え植物の栽培、少なくとも試験栽培が認められないケースはほとんど考えられない。
参考:カルタヘナ議定書・国内法の環境省サイト

同種作物との交雑を防止するための農水省ガイドライン

 日本にはイネやトウモロコシで交雑可能な近縁野生種は存在しない。ダイズにはツルマメという近縁の野生種があるが、どちらも風や昆虫によって頻繁に他種と交雑する種ではない。組換えセイヨウナタネが日本の在来ナタネと交雑すると騒いでいる市民団体もあるが、在来ナタネといっても、アブラナやカラシナは明治以降に日本に持ち込まれた外来植物であり、カルタヘナ法で守るべき日本在来の野生植物には入っていない。

 社会的な関心、心配は、栽培作物との交雑だろう。これはイネでも、トウモロコシでも、ダイズでもおこる。遺伝子組換え作物といっても普通の植物なので当然だ。

 カルタヘナ法が施行された5日後の2月24日、農水省は「第1種使用規定承認組換え作物栽培実験指針」というガイドラインを発表した。

 第1種使用規定承認とは、カルタヘナ法によって野外での栽培が認められたと言うことだが、近隣農家の田畑の同種作物と交雑しないように隔離距離を定めた。イネは30m、ダイズは10m、トウモロコシとセイヨウナタネは600mだ。さらにあとから、イネやダイズは開花期に異常低温にさらされると交雑の可能性が高まるので実験を中止しろとか、台風のような「特段の強風」が想定される場合は防風ネットをはれなどが追加された。特段の暴風に防風ネットは効果があるのかなど、内部関係者からも疑問符のつく内容だが、今も改正されずに残っている。

 この他、指針では、一般市民や近隣農家への情報提供として、試験栽培の計画書を事前に公表することや市民向け説明会を開くことなどを指示している。

 この指針は農水省が管轄する独立行政法人(研究独法)を対象としたもので、独法以外の組織に法的拘束力は及ばないが、当時の農水省幹部は他の研究機関も参考にしてほしいと自慢げに言っていた。

 情報公開や市民向け説明会が悪いというのではない。当時、私が勤めていた独法・農業環境技術研究所など茨城県つくば市にある研究機関の研究者は市民団体への対応になれているが、他所では経験が少ないのではたして大丈夫かと心配ではあった。

 4月24日に東京・乃木坂で開かれた「ストップGMO連絡協議会発足会」で、遺伝子組み換え食品いらないキャンペーンの天笠啓祐代表は、農水省の指針を絶賛した。

 「ようやく我々が望んでいたものを農水省が作った。4月27日は東京大学農場で組換えジャガイモ、5月8日は平塚市で組換えイネの説明会がある。みんなで参加しよう」とげきをとばした。

 どちらの説明会も彼らにかき回され試験栽培は中止に追い込まれた。このあと、勢いづいた市民団体は大挙して、つくばの独法の説明会にも押しかけたが、つくばの牙城は堅かった。

国内研究機関の試験栽培動向

 カルタヘナ法施行から5年後の2009年春、環境省主催で学識経験者を集めて「カルタヘナ法の施行状況の検討会」が開かれた。これは法の附則第7条の「施行5年後に状況を検討し、必要に応じて法令を改正すること」によるものだ。

 この検討会については、GMO情報「最初の一歩と最後の一手 組換え植物の野外隔離ほ場試験」(2009年10月)で紹介した。

 検討会では、法律の改正には及ばないとしたものの、「企業の産業利用のための隔離ほ場試験に比べて、研究開発分野の申請が少ない」、「過剰規制によって研究の妨げになっているのではないか」、「限られた面積と期間でおこなう試験栽培の環境リスクは小さいはず。そこを考慮して申請書の評価をおこなうべき」などの意見が出された。

 2004~2009年の5年間で申請があり実施された隔離ほ場試験の回数は、民間企業29に対し、独法研究所・大学は10だ。民間企業の試験栽培は、実際に日本で商業栽培する予定がなくても、種子の状態で輸入する場合、日本の土壌での試験栽培を1回やるよう義務付けているためで、いわばセレモニーのようなものだ(注:これはカルタヘナ議定書の条文から見て問題もあるのだが、今回は深入りしない)。

 これに対して、日本の研究機関の試験栽培は、実験室、温室で開発した組換え植物を初めて野外環境に出し、自然条件下でも期待通りの形質が発現するかを試す段階だ。良い結果が得られれば先に進むし、望み通りの結果でなければ、改良して次のバージョンを開発するか、場合によっては開発を中止する。セレモニーではなく研究者にとって必須のステップだ。

 2009年の施行状況見直しによって変化は見られたのだろうか?

 2010~2014年の5年間の隔離ほ場試験の申請は、民間企業28に対し、独法研究所・大学14だ(2014年2月現在)。2004~09年と比べると民間企業は29→28でほぼ同じなのに対し、国内研究機関は10→14と増えており、いずれも学術研究目的の文部科学省への申請に切り替わっている。この中には2年、3年の試験栽培後、さらに期間を延長した申請もあるので、系統別の申請数にすると14ではなく9になる。しかし、野外に初めて出して機能検証をし、結果を見て次のステップに進むという、研究開発としては当然の道筋がようやく確立されたと評価すべきだろう。

沈黙を続ける西日本のアカデミー

 国内研究機関ののべ14回の申請のうち、大学は4回で残りは研究独法(生物資源研究所と作物研究所)だ。大学の4回も、東北大の紫外線抵抗性・感受性イネと筑波大の耐冷性ユーカリはそれぞれ試験期間の延長申請をしているので、野外試験にトライしたのは2大学の2件だけだ。

 西日本の大学はこの10年間、まったく音無しだ。名古屋大、奈良先端科学技術大、岡山大などは収量を増やしたり環境浄化に役立つ組換え作物の研究を盛んにやっているはずだ。10年以上やっても、まだ野外試験栽培に進める段階に達していないのか、それとも野外試験栽培申請を阻害する研究以外の別の理由があるのだろうか?

 以前、組換え植物に関わる大学研究者から「試験栽培申請の書類作り作業が大変で研究者にとって負担が大きい」、「説明会開催や自治体への説明など研究者だけでは対応できない。つくばの独法のように事務職員の支援もない」とぼやき、なげきを聞いたことがある。

 たしかに一部は理解できるし同情する。しかし、研究目的の申請はこの5年でかなり改善され、研究促進ベースになった。一度、東京で開催されている「研究開発段階の遺伝子組換え生物の第一種使用承認に係わる学識経験者の意見聴取会合」(文科省・環境省主管)を傍聴したり、つくば独法の一般市民向け説明会をライブで見学したらどうか。

 大学の先生といえども、苦手分野の克服にはそれなりに予習し、傾向をつかみ対策を練る必要があると思う。東北大や筑波大の先生方も研究以外の雑務もこなしながら試験栽培を続けている。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介