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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

マダニが媒介する感染症 ライム病の増加は地球温暖化が原因か?

白井 洋一

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 米国環境保護庁は2014年5月28日、「気候変動の指標(第3版)」を発表した。

 日本の新聞では「首都ワシントン・ポトマック河畔に1912年、日本から送られた桜の開花期が、当時と比べて約5日も早くなった」と報道されたが、他にも山火事の発生が増えている、初霜の遅れで秋のブタクサによる花粉症の期間も長くなっているなど、30の指標をあげている。今回の第3版では、マダニが媒介するライム病の患者数が、初めて指標に加わった。

ライム病
 ライム(Lyme)病とはボレリア(Borrelia)と呼ばれるスピロヘーター細菌が病原体で、発疹、発熱、疲労感があり、重症になると関節炎や髄膜炎をおこす。米国コネチカット州ライム郡で見つかったことからライム病と命名された。人獣共通感染症のひとつで、シカ、ネズミ、野鳥が宿主で、吸血性のマダニ類(Ixodes属)によって人に感染する。欧州、北米、アジアに見られ、日本でも年間数十例の発生がある(参考文献:これだけは知っておきたい人獣共通感染症、神山恒夫著、地人書館)。

 米国環境保護庁(EPA)は、主に3つの理由から今回、ライム病の患者数を気候変動(温暖化)の指標に加えた。
1.1991~2012年までのCDC(健康福祉省・疾病管理予防センター)の統計から、ライム病の患者数は年々増加しており、人口10万人あたり、3.74人から7.01人とほぼ倍になった。
2.媒介するマダニは温度に敏感で、約7℃以上になると活動が活発になり、暖冬で生存率が高まる。ライム病の多い北米東部やカナダで、マダニ類の分布範囲が広がっている。
3.ウエストナイル熱やデング熱など蚊が媒介する感染症も温暖化との関係が指摘されるが、これらは年ごとの高温や降水量による影響が大きい。マダニは移動能力が小さく、分布範囲のゆっくりした拡大は、気候変動の長期的傾向と一致している。

EPA ライム病のサイト

気候変動以外に考えられる要因

 1991~2012年の患者数の増加は正しいのだが、EPAのサイトの図1を見ると、ピークは2009年の約10人で、2010年以降は減少している。ほんとに温暖化が原因なのだろうか?

 EPAも、気候要因、特に気温上昇だけがライム病増加の原因とは断定できない、他の要因との関係も調べる必要があると慎重なコメントを繰り返している。他の要因としてあげているのは、マダニ類が宿主とするネズミや野生シカの増加の可能性だ。

 確かに北米では近年、野生シカやイノシシが増えて、農地や田園地帯の住居を荒らす被害が報告されているので、野生動物の影響も大きいかもしれない。もっとも野生シカはライム病細菌の保毒率は低く、マダニの増殖には関係するが、人への感染の中間宿主としての役割は小さいらしい。人との関係で重要なのはネズミの方で、ネズミ→マダニ→ヒトの感染ルートや数量的な関係はよく分かっていないようだ。

 最近は、ある自然現象が増加か減少傾向にあると、すぐに「地球温暖化が原因か?」となりがちだ。少し前(2008年)の論文、「ダニが媒介する感染症の予防」と題する米国・コロラド州疾病管理予防センターの研究者の総説を読んでみた。

 EPAと同様にCDCの1982~2005年までの統計データによると、ライム病の患者数は右肩上がりで増加している。1982~1987年は少なかったが、1988年以降の増加が目立ち、約3~4倍に増えている。

 この論文では、「ライム病は確実に増え続けている」と結論しているが、増加の原因にはふれていない。まだ地球温暖化が気象学者以外の科学者の間でそれほど話題になっていなかったためか、論文の著者が予防衛生学の専門家で、生態学に関心がなかったためかは分からないが、気温の上昇によるマダニの増加やシカやネズミの増加の可能性にはまったくふれていない。

 彼らはこれからの予防のために、科学者が正しい診断・治療システムを提供する必要性を強調している。蚊が媒介する感染症は公的機関の対策システムが確立しているが、マダニ媒介の感染症はライム病を含めて、個人医や市民まかせで、ダニにかまれたことによって起こったかも分からず、正しい治療ができないケースが多いからだ。

 著者らは農薬使用に関して2つ、興味あるコメントをしている。

 一つは、旧ソビエト連邦でのライム病対策の成功だ。1965~1971年にDDT(有機塩素系殺虫剤)を大量に散布し、ワクチン接種の効果と合わせて、患者数を3分の2に減らすことができた。しかし、その後DDTの使用が世界中で禁止され、旧ソ連邦でもライム病患者が再び増えている。

 もう一つは、公園や農地の殺ダニ剤散布が有効なのだが、米国の一般市民は合成化学農薬の使用を敬遠する傾向があり、市民に抵抗感のない天然物由来の殺ダニ剤を開発する必要があるというものだ。

 合成農薬の使用禁止が、マダニの多発、ひいてはライム病増加の原因となっているとは言っていないが、今後の対策を考える上では重要だ。

データに基づく対策、先入観を持ち込まない研究を

 日本では、昨年頃からマダニが媒介する新種の感染症「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」が報告されている。

 新種のウイルスが病原体で、野生動物→マダニを介してヒトに感染するが、ウイルスを保毒している野生動物の種類など、自然界での病原体の生活環(ライフサイクル)はほとんど分かっていない。中四国、九州など西南日本に発生が集中しているが、今のところ、「地球温暖化、平均気温の上昇が原因か?」という話は聞かない。

 感染症の患者数の把握は難しい。マダニによる感染症は、ダニにかまれたことによる病気と認知されないケースが多いので、ほんとうの患者数はもっと多いのかもしれない。米国のライム病でも、CDCの統計より実際ははるかに多いだろうと指摘されている。過去にさかのぼって正確なデータを得ることは難しいだろうが、できるだけ統一した方法による調査データをもとに比較し、これからの対策を練る必要がある。

 ライム病とマダニの関係でも同様だが、病原体と野生動物、媒介生物(蚊やダニなど)の生活環、さらにヒトへの感染経路は複雑だ。気候変動との関係でも、蚊やダニが高温を好んでも、病原体が必ずしも高温を好むとは限らない。近年、発生が増えている感染症でも、気候変動(高温化)が主な原因という先入観を持たず、広い視点からの研究が必要だ。

 SFTSでは、熱中症による脱水症状と誤診された例もあり、なかなか厄介だ。現時点で最も有効なマダニ感染症対策は、マダニにかまれないことで、野山のハイキングや森林浴では肌を露出しないこと、帰宅したらすぐに入浴するか服を着替えることだそうだ。

「マダニ対策、今できること」(国立感染症研究所)

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介