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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

原発事故後の野生生物と研究者の責任

白井 洋一

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2014年8月15日、共同通信が「原発事故で生物影響の恐れ 日米研究者が専門誌に」の見出しで報じた。8月14日、英字版も出たので、海外でも話題になったかもしれない。

【ワシントン発共同】東京電力福島第1原発事故に伴って放出された放射性物質が、周辺の鳥類や昆虫に遺伝子異常を引き起こしている可能性があるとする論文を、日本や米国の研究者が14日、米専門誌ジャーナル・オブ・へレディティーに発表した。米サウスカロライナ大のティモシー・ムソー(Timothy Mousseau)教授は、1986年のチェルノブイリ原発事故後に周辺でツバメの羽毛に白い斑点ができる異常が見つかったと指摘。福島でも白斑のあるツバメが見つかったとの報告があることから「遺伝子レベルの分析や生態系への影響など広範で長期的な調査が必要だ」と訴えた。

ツバメの羽の白斑異常が増えている?

記事にあるように、Journal of Heredity誌2014年5号に、「福島事故の結果」シンポジウムで発表された論文が公開された。ムソー教授の「野生動物への影響」の他、日本人研究者による「ヤマトシジミ蝶の翅型への影響」と「低線量ガンマ線に対するイネ苗の反応」の3本の論文が載っている。

ムソー教授の論文を読むと「チェルノブイリと同様に、福島でも2012年に日本野鳥の会の調査で羽に白斑のあるツバメが見つかった。2013年と2014年の調査ではその頻度は高くなっている」と書いてある。

2013,14年のデータは「未発表」として数字が示されていない。「ほんとに増えているのか?」と私が思ったのは、2014年3月12日、環境省自然環境局主催の「野生動植物への放射線影響に関する意見交換会」で日本野鳥の会の山本裕氏の「ツバメと水鳥への放射性物質の影響調査」を聞いたからだ。

山本氏によると「ツバメの喉の白斑は線量の高かった地域で2012年に1例、2013年に8例(約10%)見つかった(非汚染地の東京都ではゼロ%)。しかし、調査数が少なく、今後の継続調査が必要」、「見つかった白斑もムソーらの論文のチェルノブイリのような大きなものではない」とのことだった。

サウスカロライナ大学のムソー教授らのグループによる論文は、2012年6月6日の当コラム「イノシシ、ツキノワグマ、サル、スズメ 大震災・原発事故による野生生物への影響」でも紹介した。

 2012年、Environmental Pollution(環境汚染)誌の論文で「チェルノブイリと福島での鳥類の個体数調査の結果、どちらも多くの鳥類が減っており、影響は福島の方が大きい」というものだった。

私は「4回のチェルノブイリ調査に比べて、福島は2011年7月の1回だけ。両者を比較したり、増えた減ったと結論するのは早すぎる」と批判した。

ムソー教授は論文を大量に生産する精力的な研究者のようだ。今後も日本人研究者や鳥類観察家のデータを元に英語で「フクシマ関連」論文を量産するだろうが、白斑の有無だけでなくダメージの程度(白斑の大きさ)なども詳しく説明するかは疑問だ。

ムソー教授を悪質な研究者とは思わないが、彼の言うこと書くことを鵜呑みにするのは要注意という気がする。

参考 サウスカロライナ大学「チェルノブイリとフクシマ研究の文献リスト」

ニホンザルの血球数が減少?

 「福島の野生ニホンザルの血球数が減少している」という論文が2014年7月24日、ネイチャー系列のScientific Reports電子版に載った。

日本獣医生命科学大の研究者らによる論文で、2012年4月から13年3月に原発から70キロ離れた福島市の山林で捕獲した野生のニホンザルと400キロ離れた青森県下北半島の個体を比較した。筋肉中のセシウム濃度は福島では78~1778ベクレル/キログラムなのに対し下北では検出されず、セシウム濃度の高い個体ほど赤血球、白血球、血色素(ヘモグロビン)数が減少していたという内容だ。

この論文に対して、英国のサイエンスメディアセンターは、結果を疑問視する2人の専門家の見解を紹介している。

「がん治療のような短期高線量照射が血球数を減らすのは明らかだが、福島に降下したセシウム量で血球数に影響するとは疑問」、「筋肉中のセシウム濃度の個体間のばらつき(変動)が大きく、血球数との相関関係を示すには問題あり」などのコメントだ。

今回の論文は同じ研究者グループが2013年7月、PLoS ONE電子版に発表した「福島原発事故から15カ月間における野生ニホンザルの放射性セシウムの体内蓄積」に次ぐ第2報だ。

筋肉中のセシウム濃度のばらつきが大きいのは、ニホンザルの捕獲時期による影響が大きいようだ。PLoS ONEの論文では、冬期に捕獲された個体は筋肉中のセシウム濃度が上昇する傾向があり、セシウム濃度の高い冬芽や樹皮を食べたためではないかと推測している。血球数との関係では、捕獲時期を区別せず2012年4月から13年3月に捕獲して解剖した全個体をまとめて解析しているので、解析方法、サンプリングのやり方に問題ありとの批判を受けたのだろう。

福島、青森とも放射線被ばくの影響調査を目的にニホンザルを捕獲して解剖したのではない。鳥獣保護法による個体数管理計画によって認められた数だけ捕獲し、それらが解剖実験に使われたので、捕獲数や捕獲時期を研究者が自由に決められないという制約がある。野生生物の調査では鳥獣保護や動物福祉といった問題も考慮しなければならない。

筋肉や骨髄のセシウム濃度を調べるには、捕獲して殺さなければならないが、血球数など血液学的調査だけなら、生け捕りにして採血してから再び放すことができる。ニホンザルの寿命は20~25年と長いので、継続した追跡調査には採血方式が良いのかもしれない。

現地調査の継続を

森林地域の除染作業はほとんどおこなわれていないし、傾斜地の樹木の伐採や表土のはぎ取りは実際には不可能だ。樹木や土壌から出る外部被ばくと、木の実や芽、野草、渓流の魚、昆虫などを食べることによる内部被ばく。放射性セシウムによる野生動物への低線量被ばくは今後10年、20年続くことになる。

今回紹介した論文は原発事故直後(2011年後半から1,2年間)の調査データによるものだが、今後も長期にわたる継続調査が必要だ。ツバメの羽の白斑異常やサルの血球数がどう変化(悪化)するのか、それとも回復するのか、あるいはそのままなのか、ほかにも新たな異変が見つかるのかを継続して調査し定期的に発表を続けてほしい。

現在は環境省や文部科学省の予算で、北は北海道大学から南は琉球大学まで多くの生物学者、生態学者が福島や東北、北関東へ出かけて調査をおこなっている。しかし、数年後には、研究予算が切れたり、大幅減額になるだろう。そのとき研究者はどうするのか? 現地調査の旅費や滞在費だけでも相当かかる。

今は予算もつき、興味ある研究テーマで、初めての調査報告と言うことで論文にもなりやすい。問題はこれからだ。研究をリードする立場にある教授クラスは、社会的責任を自覚して、調査を継続してほしい。予算が切れたから追跡調査もやめましたでは無責任だ。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介