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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

合成生物って何? 国際的な規制・管理は必要か? 生物多様性会議で検討始まる

白井 洋一

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 合成生物(Synthetic Biology)とは社会一般ではあまりなじみのない言葉だが、もともとは合成生物学と訳され、コンピュータ工学を使って、生物のゲノム(全遺伝子情報)を人工的にデザインすることを目的とした異分野融合の学問分野だ。今でも合成生物学と訳されることも多いが、今回とりあげるのは、人工(合成)ゲノムを利用して細菌や藻類に香料、医薬品、バイオ燃料などを作らせる合成生物応用技術だ。

 その合成生物が今年(2014年)10月、韓国・平昌(ピョンチャン)で開かれた生物多様性条約第12回締約国会議(COP12)の議題に初めて登場した。人工的に作った微生物や藻類が生物多様性や環境に悪影響をあたえないのか、国際的な規制の対象とすべきかどうかという議論だ。

合成生物とは

 合成生物が社会的に話題になったのは、2010年5月21日のサイエンス誌が「米国のクレイグ・ベンター博士ら、人工生物の作成に成功」の論文を載せ、メディアが広く紹介したときだろう。

 「合成ゲノムで生きた細菌、人工生命さらに前進」(毎日新聞)、「生物を巨大情報システムと見なす研究進展」(日経新聞)などと報じている。

 合成生物とは何かと一言で言うのは難しい。専門家の間でも具体的に何を指すのか、定義、対象範囲が決まっておらず、これから検討していこうという段階だ。ベンター博士の研究や、すでに実用化段階に近づいている香料を作る微生物やバイオ燃料用の藻類を例にすれば、有用な機能を発揮する遺伝子やタンパクを人工的に作り出し、不要な部分を取り除いて、微生物や藻類に導入して働かせるというものだ。微生物や藻類のすべてのゲノムを人工的に合成し、新しい生物種を作り出せるわけではない。

 遺伝子組換え技術では、異なる生物種の遺伝子を取り出して、遺伝子配列は変えずにそのまま導入するが、合成生物では、人工的に配列をデザインして合成した遺伝子を導入する。遺伝子組換えがたんに遺伝子「導入」なのに対し、合成生物はゲノムを置き換えるので科学的にはより「組換え」に近いとも言える。合成生物は従来の遺伝子組換え技術も包含するより広い技術だという考え方や、重なる部分もあるがまったく異なる部分もあるし、微生物や藻類では人工合成は可能でも、高等植物や動物では簡単にこの技術を利用することはできないなど、さまざまな見解が出ている。

2014年COP12までの動き

・2010年10月 カナダの環境市民団体「ETCグループ」、名古屋のCOP10でサイドイベントを開き、合成生物も遺伝子組換え生物(GMO)同様に規制の対象とすべきと主張。ETCは当然、GMOにも懸念・反対の立場で、反GMOのグリーンピースやフレンドオブアースなど他の有力環境団体もこれに同調。

・2011年 COP10では正式議題にならなかったが、生物多様性条約事務局は議題とすべきか検討を開始。

・2012年10月 インド・ハイデラバードのCOP11でも新規課題とするか結論出ず、検討を継続。

・2014年6月 欧州委員会、COPの動きとは別に、健康と環境へのリスク、新規の健康リスク、消費者安全に関する3つの科学委員会が共同で、合成生物の定義や対象範囲などについて最初の見解(案)を示し意見募集。対象範囲は漠然としたものではなく、「ゲノムサイズの○%以上を改変」など具体的に定義すべき、合成生物は遺伝子組換え技術も含むより広い概念などの見解を示す。

「合成生物の定義について最初の予備的見解へのパブリックコメント募集」(2014年6月4日)

・2014年6月 COP12の事前準備会合で正式議題とすることが決まり、本会議で論戦が始まる。

COP12での議論と今後のゆくえ

 本会議(10月8日)では、ボリビア、フィリピン、マレーシア、ノルウェーなどが、合成生物もモダンバイオテクノロジーを用いた生物改変技術であり、国際的な規制の枠組みを作ることを強く要求した。EU(欧州連合)、カナダ、ブラジル、豪州などは情報も少なく時期尚早と慎重で、日本もこの立場だったようだ。論戦の末、特別専門家会合を作り、2016年メキシコで開かれる次のCOP13までに次の5項目を中心に検討し、提言(案)をまとめることになった。

 検討するのは、(1)遺伝子組換え生物(GMO)と合成生物の類似点と相違点の比較整理、(2)各国の規制の状況、(3)科学的な知見による合成生物の定義作り、(4)潜在的なリスクと利益の特定、(5)(生物多様性へのリスクがある場合)既存の取り組み(法令)で対応できるかの5つだ。

 1と5が重要になるだろう。GMOと同等か、多くが重なる技術と見なされれば、GMO並みの規制管理が必要と言うことで、カルタヘナ議定書で扱う課題になる。GMOとはかなり異なるかまったく別ものとなれば、2つの選択肢が考えられる。1つはGMOのような国際的な規制は不必要、もう1つはGMOとは別に新たな規制の枠組みを作る必要があるというシナリオだ。

環境省からの結果報告(添付資料1の3頁に合成生物関連)

COP12会議レポート(15,16頁に合成生物関連)

NBT(新育種技術)の扱いにも影響か?

 合成生物に国際的な規制管理が必要か不要かは、おそらく2016年のCOP13で結論は出ないだろう。定義や対象範囲を決めるだけで一騒動だし、技術は日進月歩で進むので、定義や範囲を決めても追いつかないことが想定されるからだ。特別専門家会合では、生物多様性への影響だけでなく、社会・経済的影響も考慮しろという要求も出ているので、この点でももめるだろう。もし合成生物が今のGMOも含む、より広い範囲のものと定義されれば、GMOの国際移動や利用について定めたカルタヘナ議定書も見直さなければならない。仕事ができて喜ぶ人、団体もあるかもしれないが、いずれにせよ事務的、科学的に簡単に進む作業ではない。

 注意したいのは、新育種技術(NBT, New Breeding Technology)と呼ばれる新しい技術のこれからにも影響する可能性があると言うことだ。

 新育種技術(NBT)も一般には聞き慣れない言葉だが、遺伝子組換え技術を使って、植物の改良を目指している分子生物学や育種学の研究者にとっては今話題の有望な新技術だ。

 新規の人工制限酵素を使ったゲノム編集、組換え体を台木とした接ぎ木など多くの新技術が開発されつつあるが、共通するのはGMOと同様に遺伝子操作技術を使うが、最終的に生産され、利用される生物体(作物体)に新たな外来遺伝子が残らないということだ。

 この技術に対しても、「やっぱり組換えだろう、規制の対象とすべきだ」、「最終産物に導入遺伝子が残らないのだから従来の組換え体とはちがう。(GMOと同じような)規制対象とすべきではない」などさまざまな意見が国内外の専門家や市民団体から出ており、論戦が始まっている。

 NBTは今年のCOP12MOP7の段階では、検討課題とすべきかの話題には上がっていないが、合成生物も新育種技術もモダンバイオテクノロジーを用いた生物体改変技術であることは確かだ。GMOと同様に扱うべきか否か、もし規制するならその対象範囲はどうするかなど、いずれ国際舞台で議題になるだろう。NBTのことだけでなく合成生物をめぐる国際動向にも注意が必要だ。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介