科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

食肉の原産国表示訴訟 米国敗訴の意味するところ

白井 洋一

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 5月18日、WTO(世界貿易機関)の紛争処理委員会(上級委員会)は、牛豚の精肉に原産国表示(Country of Origin Labelling, COOL)を義務付けた米国の制度は公平な自由貿易を定めたWTOルールに違反するとして、カナダとメキシコの訴えを支持した。

 この件は昨年10月29日の当コラム「牛肉・豚肉の原産地表示 WTO訴訟で米国また敗訴」で紹介したように、1審(紛争処理小委員会)の決定文書から、控訴しても米国が負けるだろうと大方が予想したとおりの裁定となった。

 なぜ負けると分かっている訴訟を続けたのか、負ければ報復関税で肉類以外の産品の輸出にも影響するのに無謀ではないかと米国内では批判が相次いでいる。米国の国内問題はさておき、今回の決定から、今後の食品や農産物の貿易問題に影響する2つの点が明らかになったとも言える。一つは原料の供給地が1国、1材料に限定していないものに、現行の製造・流通システムを無視した規制をするとこうなるということ。もう一つは自由貿易が進む中で、紛争処理機関としてのWTOの役割が相対的に大きくなるということだ。

これまでのうごき

・2009年3月 米国農務省、食品の原料原産地表示(COOL)を義務化。食肉(精肉のみで合挽き肉は対象外)、魚介類、野菜、果物などが対象。

・2009年5月 カナダとメキシコが牛豚肉生産は隣国をまたいだ分業制となっており、出生、肥育、と畜を区別することは、両国の家畜と精肉輸出に不利になるとWTOに訴える。

・2011年11月 紛争処理小委員会で米国敗訴、米国は控訴。

・2012年6月 上級委員会でも米国敗訴。対象は牛豚肉のCOOLだけで、魚介類、野菜などではいずれの国とも問題は起こっていない。精肉のCOOLについてもWTOは消費者の知る権利、選択の権利確保として、制度自体は認めたが、表示の仕方や生産者、事業者に求める事務手続きに注文がついた。

・2013年3月 米国はCOOL改訂版を作り再び施行。2009年のオリジナル版では「米国、カナダ産」となっていた表示を「カナダで出生と肥育、米国で肥育とと畜」に、「米国、カナダおよびメキシコ産」は「メキシコで出生と肥育、カナダで肥育、米国で肥育とと畜」に改めるなど、出生地や肥育地も細かく表示した。

・2013年10月 カナダとメキシコは改訂版にも納得せず米国に再考を求めたが米国は妥協せず、再び紛争処理委員会の場に。

・2014年10月 小委員会は改訂版COOLもTBT(貿易の技術的障壁)協定に違反していると判断。カナダ、メキシコの生産者、事業者の負担を不必要に増やす改悪だと厳しい内容。改訂版は元より悪い改悪版と評価された時点で、上級委員会でも米国の敗訴は見えていたが、米国は11月末に不服申し立て。

・米国の主要な畜産、酪農団体は負ければ報復関税を課せられ、農産物の輸出に大きな影響がでるとして、議会、政府にCOOLの廃止や大幅改訂を求めた。一方、純米国産牛肉の生産者団体や消費者団体は、WTOの圧力に屈するな、米国の消費者の安全と選択の権利を守れとCOOL維持を求めた。2015年2月に、4年ぶりにカナダでBSE(牛海綿状脳症)が見つかったこともあり、カナダ産牛肉は危ない、やっぱりCOOL制度は必要だと消費者団体の声は高まった。

今回の決定の意味するところ

 2015年5月18日の上級委員会は、昨年10月の小委員会の決定をおおむね支持し、米国のCOOL改訂版はWTOルールに違反すると結論した。主な理由はTBT協定の2条1項(同種の産品に対し自国産より不利な条件を与えてはならない)だ。2条2項(不必要な障害が生ずることを目的とした強制規格を適用しない)については、米国側が意図的に適用したかは証明されないとして小委員会の判断を否定しているが、全体としてTBT協定違反であるという結論はくつがえらなかった。

 農畜産業振興機構ニュース(5月19日)によると、米国が今回の決定に従い、食肉のCOOL制度を改定するか撤廃するかは不明だ。カナダとメキシコが報復関税を発動するにしてもまだまだいくつかのプロセスがあるようだ。

 米国の今後のうごきやカナダとメキシコの対抗措置よりも、興味があるのは日本を含めた貿易との関係だ。2つの問題が浮かび上がる。一つは現行の複雑な製造・流通システムを無視して、自国産にだけ有利になる制度を作ると、WTOルール違反と判断されるということだ。北米の牛豚肉市場は国境をまたいで出生、肥育、と畜業者がかかわっている。メキシコと米国の鶏肉市場も同様だ。原料の供給地が1国、1材料に限定していない場合、自国産と他国産を区別して、強調表示することは実際には不可能だし、多くの消費者にとっても利益にはならない。

 日本でも、一部の消費者団体が、加工食品の原料原産地表示で、食用油にもCOOLを求めているが、サラダ油はダイズ、ナタネ、トウモロコシ油などの調合油だ。原材料の輸入国も調合比率も時々で変わる。このような加工食品にCOOL制度を導入することは実際には不可能だ。消費者の知る権利、選択のためとCOOLを導入しても、WTO的に見ればルール違反になるだろう。日本の業界が反対するだろうし、国も食用油にCOOLは導入しないと思うが、今回の例をよく勉強してほしい。

 もう一つは、関税の撤廃や大幅引き下げなど自由貿易が進む中で、自国産品を保護するための表示制度が、貿易上のトラブルになり、WTOの紛争処理機関としての役割が相対的に大きくなる可能性だ。

 Food Policy誌の論文「牛肉市場におけるCOOL制度の経済的影響の違い」によると、COOLがWTOの紛争処理の場に登場したのは、今回のカナダ・メキシコ対米国が初めてのようだ。

 3国とも1994年に発足した北米自由貿易協定(NAFTA)の加盟国だ。今回の例は原則関税撤廃の自由貿易協定を結んだ国家間でも、関税以外の問題で貿易紛争がおこることを示している。

 米国のCOOLは、消費者の知る権利、消費者により多くの情報を提供して選択する権利を保証することを大義名分としているが、「米国産を買おう(Buy American)」政策も背景にある。自国産を買おうは、自国産保護につながるし、外国産の輸入阻止と表裏一体の関係にある。

 最近は、パルマハムやカマンベールチーズなど産地名と農産物を組み合わせた「地理的表示(GI)」産品の売り込みが盛んだが、これも度が過ぎて、他国の産品の生産や輸入を阻害するようになると、TBT協定違反で紛争沙汰になる例もでてくるだろう。食品の安全性の本質にかかわる問題ではないので、平和な時代の産物とも言えるが、表示の問題は消費者の知る権利や食の安全も絡めて話題にされるので、一見深刻な社会問題として扱われることになる。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介