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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

新育種技術(NBT) 最初の申請はエピゲノム編集ポテト

白井 洋一

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 遺伝子組換え技術を使うけど最終産物には導入した遺伝子が残らないか、残ってもごくわずかで自然に起こる変異と区別しにくいのが新育種技術(New Breeding Techniques, NBT)。当コラムで紹介したのは昨年3月18日だが、最近はメディアでも取り上げられることが多くなった。とくに注目されているのが、CRISPR/Cas9(クリスパーキャスナイン)というDNA切断酵素システムを使い、狙ったところを自由自在に操作できるというゲノム編集だ。
 
 NBTが注目されるのは、技術としての有効性だけでなく、できあがった作物や食品が今までの遺伝子組換え技術と同じように規制の対象となるのかどうかだ。規制対象になれば、野外での栽培は試験栽培を含めカルタヘナ法の管理下におかれるし、食品衛生法による安全性審査も受けなければならない。開発者や商品化する企業にとっては重大な関心事だが、この技術は規制対象、この技術は対象外と判断できるだけのデータが十分に蓄積されていない。当面は、1つ1つの事例ごとに判断せざるを得ないのが実情だ。

新育種技術の栽培試験 弘前大学から初申請

 多くの大学や農林水産省傘下の研究所が、作物や魚でNBTを使った新しい品種育成を実験室段階でやっているので、どこが最初に野外試験にトライするのか注目していた。第一弾は弘前大学のエピゲノム編集技術を使ったアミロースとアクリルアミドを減らすジャガイモだ。アミロースはデンプンの成分で、アミロースが減ると粘性が増しモチモチ感が出る。工業用接着剤にも適する。アクリルアミドは加熱するとアスパラギン(アミノ酸)がブドウ糖などと反応してできる発がん性物質で、海外では低アクリルアミドのジャガイモ品種の開発が進んでいる。

 弘前大は低アミロース・低アクリルアミドポテトを、エピゲノム編集と接ぎ木技術によって、導入した遺伝子が塊茎(イモ)に残らないようにした。エピゲノム(epigenome)とは、DNA情報より一段上の段階で、DNA配列は変化せずに変異が後代に伝わる遺伝現象だ。穂木に低アミロースと低アクリルアミドを発現する遺伝子を導入するが、遺伝子発現抑制や不活化技術によって接ぎ木した台木(地下の塊茎)に導入遺伝子が転流しないようにした。

 弘前大は同じ技術を使って、台木は組換え体、穂木は導入遺伝子の残らないリンゴの研究も進めているが、台木は常に組換え体なので野外で栽培するときは組換え体扱いになる。問題は穂木にできるリンゴの実が組換え体かどうか、食品安全審査の対象となるかどうかだ。

 今回のポテトはリンゴとは逆で、穂木での遺伝子導入は実験室でやり、遺伝子の残らない台木(塊茎)を作る。できた塊茎をふつうのジャガイモ栽培と同じように栄養繁殖で増やしていくというものだ。

 2月1日に開かれた文部科学省の意見聴取会合(研究開発ルート専門家会合)の議題にあがった。

 野外で栽培するのは導入遺伝子の残っていないイモなので、カルタヘナ法の規制対象にならないはず、組換え体ではないと認めろという要求ではなく、「この系統がカルタヘナ法の規制対象となるかどうか専門家の先生方のご意見をいただきたい」という相談だ。

 開発者は野外で栽培する予定のイモは、実験室で複数世代にわたり安定して導入遺伝子が検出されないことなど、技術の確かさ、安定性を強調した。しかし、専門家は座長を含め、今の段階では規制対象外と判断することはできない、まずは組換え体の栽培を想定した隔離ほ場で栽培し、野外でも導入遺伝子がまったく残っていないことなどを証明してほしいという意見だった。

 弘前大が予定しているのは隔離ほ場ではなく、大学農場内の一般ほ場だ。弘前大には外部からの出入りを管理できるフェンスや土壌流出を防ぐ隔離ほ場がない。座長のほか2人の委員から、「初めてのケースでもあり慎重に順序だてて進めてほしい」、「試験をやめろということではない、今後に続く事例のためにも慎重にということ」、「隔離ほ場がないなら文科省が予算をつけるなど支援体制をとるべき」と繰り返し強調した。2人の委員は環境省の「カルタヘナ議定書施行状況検討会」の委員でもある。ときには組換え体の環境影響について過剰規制とも思える発言をする両名だが、今回の発言は正論だ。

 ゲノム編集も含めNBTを使った新品種、新系統は1つ1つ案件ごとに判断していくしかない。個人的には環境(生物多様性)に対して危ないものができるとは思わないが、食品安全性は審査・判断する側もかなり慎重になるだろう。そこをクリアするためにも野外試験で十分なデータをとる必要がある。 隔離ほ場設備を持った大学や研究所に委託して試験栽培をするという選択肢もあるが、実際に栽培し毎日データを取るのは学生や院生なので、本拠地に自前の隔離ほ場を作るのがベストだ。

研究開発を加速するためには相談窓口が必要

 NBTを組換え体扱いとみなすか否かは世界でも大きな関心事だ。欧州連合は3月中になんらかの見解を発表する予定だが(EurActiv 2016年1月8日)、今までも先送りされてきたのでまた遅れるかもしれない。見解が出たとしても多くのNBTを一挙に規制対象外にするとはならないだろう。もっとも期待されるゲノム編集を含め個々の事例ごとに審査される状況が続くだろう。その点で今回の弘前大の「まずはご相談」の姿勢は良いことだが、環境影響だけでなく、食品安全審査も含め国内外の状況を解説し、最低限まずはこれだけのデータが必要、そのためには何をすべきかを教えてくれる事前相談窓口のような制度が必要だと思う。今回の弘前大の提出書類でも海外の状況について、やや不正確な記述があったし、農水省や研究開発法人・農業生物資源研究所の説明スライドでも、事実と希望が混同しているところがある。現状を正しく分析して事を進めないと最終目標である実用化・産業化の達成は難しいと思う。

 ところで弘前大は隔離ほ場を作って再トライするのだろうか? トップランナーは大変だが、頑張ってほしい。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介