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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

原発事故による生物への影響 福島の水産物の場合

白井 洋一

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2016年8月3、4日に大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所で「福島第一原発事故による周辺生物への影響に関する研究会」が開かれた。

事故直後から野生動植物や帰還困難区域に残された牛の調査を続けている研究者たちが自主的に始めた勉強会で、今年で3回目になる。写真月刊誌やテレビの報道番組に登場した研究者も多く、どんな勉強会なのか、反原発色の強い集会なのかと半信半疑だったが、偏ったものではなく、大学院生を含め科学的な議論中心の純粋な研究者のワークショップだった。

ネズミ、サル、牛(黒毛和牛)、昆虫(チョウとアブラムシ)、淡水魚(コイ)、針葉樹(モミ)など23題の発表があったが、今回は国立環境研究所の研究者による原発周辺の海の生物調査に関する2つの発表と関連する論文や問題点を紹介する。

●事故後、巻貝やフジツボが減った
1つは「原発事故後の東日本沿岸における潮間帯生物の種数と生息密度」で、2月4日に国立環境研究所からプレスリリースされ、Scientific Reportsに載ったものだ。

国環研は2011~2013年に岩手県から千葉県の16か所の沿岸の潮間帯で巻貝やフジツボなどの種類や生息数を調査した。潮間帯とは潮の満ち引きで陸になったり海になったりする潮干狩りのできる場所だ。

福島第一原子力発電所付近、特に南側の大熊町と富岡町の沿岸では、種類数、生息数とも少なかった。この場所では1995年に東京電力が環境アセスメントで同様の調査を行っているが、これと比較しても種数、生息数は少なかった。

これらの結果から、種数、生息数の減少は津波による生息地のかく乱だけではなく、原発事故による放射性物質などが影響した可能性があると推測している。ただし、事故後、海に直接放出された原子炉冷却水には放射性物質だけでなく、ホウ酸やヒドラジンなどの有害化学物質も含まれていた可能性があるので、これらの物質との関係も検証しなければならないという。研究担当者も言っていたが、巻貝やフジツボの数が回復するのかを含め、今後の継続調査が重要だ。

●漁業をやめて魚は増えたか

もう1つの発表は「原発事故後の福島県沿岸域における底棲魚介類の群集構造」だ。底棲魚介類とはヒラメやメバルなど海の底にいる「そこうお」のことで、福島県沖では原発事故後、操業が自粛されている。 沿岸から30メートルの浅海域で2012年から2015年に定期的に底引き網による調査をおこない、魚の資源量を調べた。これまでの国環研の調査から、一部の海域で、2013年に比べ2014年以降、カニ類やウニ・ヒトデの仲間などが減ったことがわかった。(*)

漁業をやめたことで海の資源量がどうなったかは福島県水産試験場でも調べている。震災前3年間(2008~2010年)の平均値と2015年の底引き網調査による漁獲重量を比較したところ、ババガレイ約13倍、マダラ約8倍、ヒラメ約8倍、マガレイ約7倍と多くの魚種で資源量は増加していた。しかし、ヤナギダコ、スルメイカ、ズワイガニは1以下で、震災前より大きく減っている。小さなズワイガニはマダラのエサになるので、増えたマダラに食べられたためという説もあるが、いまのところ原因ははっきりしない。 減った魚種でも原発事故による直接影響というより、「食うもの食われるもの」のバランスが関与しているようで複雑だ。
参考 水産試験場試験研究成果情報(平成27年度版、25-26頁)

●一部の淡水魚を除きセシウム汚染のリスクは極めて低い
水産総合研究センターは2016年2月29日、米国科学アカデミー紀要に「日本近海と内水面の魚介類の放射線セシウム汚染のリスク評価」と題する論文を発表した。

事故直後の2011年4月から2015年3月にセシウム134と137の濃度検査をした計6万8900の水産物サンプルデータを解析し、今後キログラムあたり100ベクレルを超える確率(リスク度)を推定したものだ。統計モデルでは、魚種、場所ごとに、セシウムの初期濃度(2011年4月)、生態的半減期などを考慮して、2015年9月時点で100ベクレル超となる確率を求めた。

内陸の淡水魚やエビなどでもっとも高いが、それでも確率は100万分の1(0.0001%)で、海藻や海の浮き魚ではほぼゼロか0.00005%だった。淡水のイワナや海底にいるシロメバルなどでは100ベクレル超が出る可能性はゼロではないが、これらの地域の魚種は出荷制限がとられている。出荷制限が解除された地域の水産物ではほぼリスクゼロと考えてよいということだ。

これは統計モデルによる推定、実際のところはどうなんだという声もあるだろう。福島県沖で試験的に捕獲された魚の基準値超の割合は、2011年は34.2%だったが、12.8、2.3、0.6と減り、2015年度は初めてゼロ(8541分の0)になり、このモデルの予測を裏告げている(福島民報、2016年7月27日)。

●ストロンチウム90の汚染もなし
セシウムは良いとして、同じように半減期が約29年と長いストロンチウムはどうなのか、調べていないのではないかという指摘もある。水産研究・教育機構では2011年5月からストロンチウム90も測定している。もっとも高かったのは2011年12月に獲れたシロメバルの1.2ベクレル/キログラムで、他はほとんど検出限界以下の値だった。

●海洋生物への影響はほぼ終息 世界にも発信
2016年6月21日、Annual Review of Marine Science誌に「福島第一原発事故由来の海洋中の放射性物質:その移動、ゆくえ、影響」と題する総説が載った。

米国のウッズホール海洋学研究所など10人の研究者による総説論文で、日本からは福島大環境放射能研究所の青山道夫氏が入っている。原発事故後に発表された学術論文だけでなく、水産庁、福島県、東京電力が公表した報告も含め計121本の最新情報を整理したもので、先に紹介した国環研や水産総研の論文も入っている。一読した限り、日本国内から発信された情報は偏りなくほぼ正確に紹介されているが、水産庁や福島県がウェブサイトで日本語だけでなく英語版も発表していることが大きいと思う。

総説では4つの項目に分けて解説している。 1.環境中への放射性物質の放出量、2.海洋での拡散、3.海洋生物の摂取による影響、4.人の健康、社会・産業への影響。

大気中に放出され降下した放射性物質は15ペタベクレル(ペタ=京、一千兆)で、チェルノブイリ事故の約5分の1の量。放射性物質の約80%は海洋に、多くは原発周辺の沿岸部に降下した。原子炉から直接海に放出されたのは5ペタベクレル、他に地下水経由や河川から海に流れたものが1年間に20~30テラ(兆)ベクレルと推定される。 海流によるセシウムの移動がハワイ沖やカナダの北太平洋沿岸で観測されたが量は極めて少ない。海底土に沈積したセシウムは原発の近くを除きごく少ない。原発近傍を除き、事故から5年を経て、海洋生物には検出できるような影響は見られない。しかし、今も10万人以上の人が自宅に帰れず避難生活をしており、漁業だけでなく、農林業、観光など社会、経済的な影響は続いている。

以上が要約だが、日本政府が決めた魚介類や農作物のセシウム許容基準値も表にしてまとめている。事故直後はキログラムあたり500ベクレルだったが、2012年4月から100ベクレルになった。米国の基準値は1200ベクレル、欧州連合は1250ベクレルで、今の日本の値は突出している。日本政府は非常時から落ち着いた1年後に基準値をさらに厳しくしたが、これは毎日、汚染されている可能性のある食物を食べ続けることを前提とした値だ。ほとんどが検出限界値以下で、収穫や出荷時に安全性が確保されるようになった時点では、基準値は下げるのではなく上げるのが合理的なリスク管理だ。総説では日本政府の決め方には言及していないが、今も続いている「100ベクレル」という値が、科学的にはかなり奇妙な数値であることは確かだ。

●漁業が途切れてしまうことがもっとも心配
福島県沖では、今年の6月と7月にヒラメやホシガレイなどの出荷停止が解除されたが、2012年6月から、解除された魚種のいくつかで試験操業をおこなっている。獲った魚は市場に出されているが、なかなか事故以前のような本格操業には戻らない。

「安全だとわかったら積極的に買ってくれる人と『福島の魚』というだけで敬遠する人に二極化するのではないか」という声を聴く。個人個人の反応ではなく、市場(仲買人)やスーパーなどの実需者の反応が取引量全体には大きく影響する。昨年11月27日のシンポジウム「原発事故にともなう魚介類の放射能汚染問題と今後の展望」でも、「収入の損失分は東電からの補償金でカバーされるが、漁をしない、漁ができない状態が長く続くと、漁師、とくに若い漁師が戻らなくなるのが一番深刻な問題だ」との声があがった。

身近に迫る問題は、原子炉に流れこむ地下水の汚染処理後をどうするかだ。1日400トンと言われる大量の汚染地下水は、多核種除去装置(ALPS)で浄化されるが放射性トリチウム(三重水素)だけは取り除けない。物理的性質から水と分離できないためだ。地下水の流入は続いており、3、4日でタンク1基が満杯になる。低濃度のトリチウムは生物に影響がないので海へ放出するのがコスト的にはもっとも妥当というのが国の専門家の考えのようだが、福島県の漁業関係者は「海洋に汚染水が放出された」というだけで、福島産の海産物に悪いイメージが広がると反対している。汚染水処理の問題はこれから10、20年以上続く。 海へ放出するなら、政府は徹底した安全確保の広報をしなければならない。それができない、自信がないなら、コストを優先せず、海洋放出以外の手段を考えるべきだ。原発事故が福島の水産業に与えた影響はそれほど複雑で深刻なのだ。
参考 福島県漁業協同組合連合会[試験操業の取り組み]

* 「漁業をやめて魚は増えたか」の項で「これまでの国環研の調査では何が増えた、何が減ったとはっきりした傾向は出ていない」としましたが、以下のように訂正しました。

→「これまでの国環研の調査から、一部の海域で、2013年に比べ2014年以降、カニ類やウニ・ヒトデの仲間などが減ったことがわかった。」

 

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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