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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

生物多様性条約締約国会議 合成生物学、デジタルシーケンス情報、遺伝子ドライブ 新ネタ続々登場で盛り上がる

白井 洋一

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2016年12月2日~17日、メキシコ・カンクン市で生物多様性条約第13回締約国会議(COP13)が開かれた。初日の閣僚会合で「農林水産業や観光業も生物多様性に配慮した取り組みを」というカンクン宣言が採択された。一見穏やかな国際会議のように見えるが、4日~17日(18日早朝まで)の実務者レベルの会合では、とくにモダンバイオテクノロジー関連で、新たな規制対象を巡ってもめにもめた。前回2014年のCOP12で初めて議題にあがった合成生物学だけでなく、遺伝資源のデジタルシーケンス情報も規制対象にしろ、ゲノム編集を使った遺伝子ドライブもモラトリアム(当面利用禁止)にしろと途上国連合や環境団体が強硬に主張した。

環境省が12月19日に発表した会議結果報告の別添2と3にさらりと書いてあるが、現地からの会議レポートライブ版で今回の会議をふり返る。

合成生物学 運用上の定義だけは合意

今回の会議ではCOP13と同時並行で、遺伝子組換え生物に関するカルタヘナ議定書第8回締約会議(C-MOP8)と遺伝資源の利用と利益配分に関する名古屋議定書第2回締約国会議(N-MOP2)も進められた。合成生物学やそこから派生したデジタルシーケンス情報と遺伝子ドライブはCOP13の議題として討議された。 定例の作業部会だけでなく、別に小委員(コンタクトグループ)を作り、夜中まで議論が続いたが、大方は次の2018年COP14まで先送りとなった。もし、これらが遺伝子組換え生物の範囲に入ることが決まるとC-MOPやN-MOPの議題になる。

合成生物(学)とは、コンピュータ工学を使って、生物のゲノム(全遺伝子情報)を人工的にデザインする異分野融合の学問領域だが、定義は決まっておらず、各人さまざまだ。現在利用されている香料や医薬品も植物の遺伝情報や化学式を利用して合成したものは、合成生物だと主張するグループもあり、昔からある合成物まで規制対象にされてはと産業界は警戒している。

合成生物学を生物多様性条約の議題にして規制対象とするべきという主張は、2010年COP10の環境団体のサイドイベントで初登場した。団体はその後ロビー活動を続け、2014年COP12で初めて公式議題となった。ここまでの経緯は当コラム「合成生物て何? 国際的な規制・管理は必要か? 生物多様性会議で検討始まる」(2014年11月27日)を参照。

COP12では、合成生物学をカルタヘナ議定書の対象にするかどうか決める前に、定義を含めてあいまいな点が多いので、専門家による特別作業部会(AHTEG)を作って次のCOP13で議論することにした。

2015年9月に特別作業部会、2016年4月に科学技術助言補助機関会合(SBSTTA)が開かれ、COP13で議論するたたき台を作った。

定義があいまいだと議論がかみ合わないが、これは比較的すんなり合意した。合成生物学の運用上の定義は「科学、技術、工学が結合した、遺伝資源、生物、生物システムに対する理解、デザイン、再デザイン、製造、改変に関するモダンバイオテクノロジーのさらなる開発と新規領域」だ。さらに「合成生物学から生ずる生物は遺伝子組換え生物と似ているものの、同じ定義の範囲に収まるかはまだ明確ではないことを認識すること」と釘がさされた。

扱うのは生物であり、化学合成品は化学物質を規制する別の法の対象となるが、今後蒸し返される可能性はある。

遺伝資源のデジタルシーケンス情報の扱いでもめる

もっとももめたのはデジタルシーケンス情報の扱いだ。遺伝資源のデジタルシーケンス情報とはATCACCG・・という塩基配列情報のことだ。合成生物学はこの配列情報を駆使して新規の生物を合成するのだから「遺伝資源」だという論理で、遺伝資源の利用と利益配分に関する名古屋議定書の対象とすべきだと、この2年間の作業部会の中で途上国が追加してきた。

デジタル情報は遺伝資源に含まれないというのが共通認識のはずだったが、アマゾン原生林に棲む希少生物の写真をデジタル化して商売にしても、遺伝資源の利用と利益配分の問題になるという主張が幅をきかすのが昨今の生物多様性の社会だ。

デジタルシーケンス情報の利用が生物多様性条約や名古屋議定書で定めた目的達成にどのような影響を与えるのか、これから2年間で幅広い専門家の意見を取り入れ、特別作業部会を開いて、次のCOP14でさらに検討することでようやく決着した。

遺伝子ドライブも俎上に 次回も争点に

遺伝子ドライブとは、改変した遺伝子を組み込んだ生物が交配によって、集団全体にその遺伝子を広げる「集団内への浸透、置き換え」技術だ。ねらった遺伝子を効率的に操作できるゲノム編集技術の普及で現実味が増し、感染症を媒介する蚊の根絶や外来魚の駆除など、有性生殖でかつ動き回る生物種で研究がさかんになっている。

COP13では初日から、環境団体が、「遺伝子ドライブの開発が急速に進んでおり、非常に危険。リスク評価が行われないうちはモラトリアム(一時猶予)にすべき」と主張し、その後の委員会でも議題にあがった。最終的にはCOP13の公式文書には載せないことになったが、生態影響としては大きな負の可能性も考えられるので、次のCOP14でも取り上げられるだろう。会議レポートでは、「遺伝子ドライブを含む合成生物学」という表現がいくつかあり、今後「遺伝子ドライブは合成生物学の範囲、使っているゲノム編集技術も規制対象とすべき」という奇妙な論理がでてくるのではないか気になった。

「責任と救済」補足議定書 もう関心なし?

遺伝子組換え生物が生物多様性に重大な損害を与えた場合の責任と救済を定めた補足議定書の批准国は36国で2年前より10国増えたが、まだ国際発効に必要な40国に達していない。しかし、会議ではとくに紛糾することもなく、まだの国は早期に批准しましょう、啓蒙普及活動の資料を作りましょうという呼びかけで終わった。

会議レポートでも、合成生物学関連の会合には多くの傍聴者が詰めかけたとあるが、2010年までもめにもめた「責任と救済」への関心はすっかり冷めてしまったようだ。輸入前の事前通知としっかりした審査システムが整っていれば、ほとんど必要ない補足議定書だが、日本政府は2010年COP10MOP5の議長国だったこともあり、この補足議定書を批准し、カルタヘナ国内法を改正する準備に入っている(環境省2016年10月27日)

これから予想されること

遺伝子組換え生物について国際的な規制、管理システムを定めたカルタヘナ議定書は1992~2000年まで幾多の会議、作業部会を開いてもめにもめた。2003年に国際成立した際、中味が決まらず空白とした議定書第27条「責任と救済」の扱いでも、その後、紛糾が続き、2010年名古屋のMOP5でさらに別な補足議定書として採択された。しかし、あれほど救済措置を要求した途上国側の批准は進んでいない。カルタヘナ議定書の運用状況報告書を提出しない国も多い。今年のCOPMOPの動きをみると、途上国や支援する環境団体は、科学的に内容を詳しく検討するのではなく、新規の技術(モダンバイオテクノロジー)はとりあえずなんでも反対、遺伝子組換え生物並みかそれ以上の規制対象に持ち込もうとしているようだ。その点で、次回に先送りになったが、デジタルシーケンス情報の利用をアクセスと利益配分を定めた名古屋議定書のもとで考慮して、専門家会合などで検討することで妥結したのは、彼らにとって大きな収穫だったろう。

モダンバイオテクノロジーをめぐる国際論争は、環境や人の健康への影響を科学ベース(生物学や生態学)で検討する場から離れ、経済や倫理ベースが主役になっているが、今回の会議では思想や政治的色彩がますます濃くなったようだ。2018年のエジプト、2020年の中国、2022年のトルコと生物多様性条約会議は続くが、新規のモダンバイオテクノロジーをめぐって科学的には不毛な論争が延々と続くのだろう。

参考 当コラムで紹介した関連記事
2012年会議COP11MOP6

2014年会議COP12MOP7

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白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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