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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

生物多様性条約会議(COP14) デジタルシーケンス情報、合成生物学、注目議題は次回へ先送り

白井 洋一

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2018年11月17日から29日まで、エジプト・シナイ半島南部のリゾート地、シャルム・エル・シェイクで、生物多様性条約第14回締約国会議(COP14)が開かれた。2年に一回、この時期に生物多様性や環境保全を中心に話し合われるが、遺伝子組換え生物の規制や遺伝資源の利益配分など、先進国と新興国・開発途上国の主張が対立するホットな議題も多い。

前回2016年12月のメキシコでの会議(COP13)、合成生物学、デジタルシーケンス情報(DSI)、遺伝子ドライブなどの新ネタが登場して盛り上がり、生物多様性という自然科学の問題よりも、政治や経済的利害が前面に出る傾向がより強くなった会議だった。

今回のCOP14でも、論争の焦点は、DSI、合成生物学、遺伝子ドライブと言われていた。これらの議題は11月18日の作業部会にあがったものの、以後公式の席では扱われず、コンタクトグルーブ(小委員会)による非公式会合で終日議論された。大きな進展や合意はほとんど得られず、専門家会合をさらに継続して議論を深めることになった。2020年COP15への先送りだ。

 環境省発表(2018年11月30日)別添2に簡潔に書いてある通りの結果なのだが3つの注目事項について国際会議情報サイトと合わせて紹介する。

●合成生物学 ほとんど前回から進展なし

合成生物(学)とは、コンピュータ工学を使って、生物のゲノム(全遺伝子情報)を人工的にデザインする異分野融合領域だ。2014年のCOP12で、初めて公式議題に登場し、定義や遺伝子組換え生物のような規制は必要かなどを検討することになった。2016年のCOP13では、運用上の定義だけ決まった。「科学、技術、工学が結合した、遺伝資源、生物、生物システムに対する理解、デザイン、再デザイン、製造、改変に関するモダンテクノロジーのさらなる開発と新規領域」というのが運用上の定義だ。

COP13ではさらに「合成生物学によってできる生物は遺伝子組換え生物と似ているものの、同じ定義の範囲に収まるかはまだ明確ではないことを認識すること」と釘を刺している。現在、考えられる合成生物学による生成品は、組換え生物に該当し、カルタヘナ議定書の規制管理下に入るものが多いが、規制強化派は「香料や医薬品でも植物の遺伝情報や化学構造式を利用して合成すれば、合成生物であり、規制対象とすべき」と主張している。産業界はすでに利用している化学合成物まで規制対象になることを警戒している。

今回のCOP14では、合成生物学の範囲、分類、どのようなものをどのように規制すべきかなど、さらに専門家会合を継続して、次のCOP15で検討することになった。詳細は明らかではないが、この2年間で作業はほとんど進展しなかったようだ。

●遺伝子ドライブ 事前評価は必要だが、モラトリアムには至らず

合成生物学に関連して、より注目を集めたのは遺伝子ドライブだ。遺伝子ドライブとは、改変した遺伝子を組み込んだ生物が交配によって、目的の遺伝子を集団内に急速に広げることができる「遺伝子浸透、置き換え」だ。ねらった遺伝子だけを効率的に操作できるゲノム編集技術、特にクリスパーキャスナインが2012年に登場し、野外での利用が現実味を増した。マラリアを媒介する蚊や島に侵入した外来ネズミの駆除、根絶を目的とした研究などが計画されている。

目的は悪くはないのだが、ある種の全個体を根絶したり、同じ性質に変えてしまうことは、生態系のバランスを崩し、人間にとっても予想外の不利益をもたらす可能性がある。これは多くのまともな科学者も認めている見解だ。

前回のCOP13では、次のCOP14で「遺伝子ドライブを含む合成生物学の野外での利用の事前評価」を議題にすることを決めた。今回、規制強化派は、遺伝子ドライブの野外での利用はすべてモラトリアム(一時猶予)とすべきと主張したが、合意は得られなかった。しかし、予防的アプローチを用いることで同意し、野外での利用は、事例ごとに事前のアセスメントを実施することを確認した。

これを規制強化派は厳しい事前アセスがなければ実際は利用できないと解釈し、一方、利用推進派は適切な事前評価をすれば野外利用できるととらえ、玉虫色の決定になったようだ(Nature News, 2018年11月29日)。

なお、ゲノム編集技術を使った遺伝子ドライブは、制限酵素切断システムを働かせるため、ハサミに相当する外来遺伝子は常に存在する。今、日本で話題になっているゲノム編集技術で作った生物、食品のように、「小規模の変異誘導で数塩基の遺伝子機能をなくし、最終的に外来遺伝子が残らない場合は規制の対象外」といったものは存在しない。遺伝子ドライブを野外で利用する場合、すべて遺伝子組換え生物を管理する法律(カルタヘナ議定書国内担保法)の対象となる。日本でも昆虫や魚類の研究者が、遺伝子ドライブの利用を考えているようだが、小規模な野外試験でもハードルはかなり高いのだ。

●デジタルシーケンス情報 政治や少数民族も含めてさらなる議論

遺伝資源のデジタルシーケンス情報(DSI)とは、4つの塩基からなるATCACCG・・・という塩基配列情報のことだ。合成生物学はこの配列情報を駆使して新規の生物を合成するのだから、「遺伝資源にあたる」という理屈で、遺伝資源の利用と利益配分に関する名古屋議定書(2010年COP10で採択)の対象とするべきだとCOP13の前の作業部会に途上国連合が追加提案してきた。

COP13ではもめにもめ、次のCOP14までに、DSIの利用が生物多様性条約や名古屋議定書で定める目的達成にどのような影響を与えるのか検討することになった。

生物多様性条約の目的とは、(1)生物多様性の保全、(2)生物多様性の構成要素の持続可能な利用、   (3)遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分の3つだ。COP14では、DSIは多様性条約の3つの目的にとって重要であることは認識された。しかし、DSIの用語の定義や範囲を含む概念などはまだ十分整理されていないため、政府代表や少数民族グループなども含む拡大専門家会合を開いて検討し、次のCOP15で改めて検討することになった。学術論文やデータベースバンクに登録されたDSIは、利益配分の対象としないなどの動きもあるようだが、経済的利害が絡むだけに、定義や範囲を決めるのは難航するだろう。

●COPこれまでとこれから

2010年以降の生物多様性条約締約国会議(COP)と今後の予定を見てみよう。

2010年10月 COP10 名古屋 

・遺伝子組換え生物が生物多様性に重大な損害を与えた場合の責任と救済(修復)に関する「名古屋クアランプール補足議定書」を採択。日本は2017年12月批准、2018年3月国際発効。

・遺伝資源の利用と利益配分に関する「名古屋議定書」を採択。2014年10月国際発効、日本は2017年5月批准。

2012年10月 COP11 ハイデラバード(インド)

・特に争点なし

2014年10月 COP12 ピョンチャン(韓国)

・合成生物学 公式議題に

2016年12月 COP13 カンクン(メキシコ)

・合成生物学に遺伝子ドライブを絡めた議論

・デジタルシーケンス情報が公式議題に

2018年11月 COP14 シャルム・エル・シェイク(エジプト)

2020年10月 COP15 北京(中国)

2022年秋 COP16 トルコ

DSIと合成生物学のほとんどの議題は、COP15に先送りになったが、これから2年の間に専門家会合と科学技術助言補助機関会合で検討が続く。補助機関会合は2019年10月頃と2020年5月頃に予定されており、専門家会合はいまのところ未定だ。遺伝子ドライブも今回のどちらにもとれる玉虫色文書のままでは済まないだろう。

ゲノム編集の応用技術が急速に進む中、積極的に利用したい側と規制したい側の攻防はCOP15でも続くだろうし、その間の専門家会合でも新たな動きがあるかもしれない。

ゲノム編集絡みは予測しにくい点が多いが、DSIが名古屋議定書の遺伝資源の利益配分に含まれるかどうかは、COP15でも決着せず、さらにCOP16へ先送りになると思う。先進国、開発途上国側両者の対立は続くとして、「すぐに決着をつける必要はない」、「もっと議論を深めるべき、そのための資金援助が必要」というプロのネゴシエーター(外交交渉人)の思惑が優先するのではないか。今までの生物多様性条約の国際会議のなりゆきを2000年代初めから見てきて、そんな風に思えるのだ。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介