科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

ゲノム編集技術 研究者・専門家にも欠ける基本知識

白井 洋一

キーワード:

今、話題のゲノム編集技術。DNA切断酵素システムを使って、ゲノム(全遺伝情報)の標的とする領域を正確に取り除いたり、導入操作できる技術だ。 日本はこの技術を使った作物や魚の品種改良で、小規模な変異を誘導し、遺伝子の機能をなくしただけのものは、遺伝子組換え生物を規制する法律の対象としないことを決めた。最終産物に外来遺伝子が残っていない産物は、規制の対象外という今までの基準に沿った判断だ。

しかし、消費者団体や報道機関には長年、組換え生物・食品に対する懸念、不信感が定着しており、ゲノム編集食品も組換え食品と同様に規制すべきとか、選択の権利として、表示を義務化すべきという意見、論調が多い。

農林水産省と厚生労働省はゲノム編集作物・食品の栽培者、製造者に対して、国に届けでる内容案を示し、7月末まで意見募集をしている。法律による規制対象としないものでも、この技術による生産物の知見が少ないので、まずは情報を蓄積し、今後に活用しようというのが当初の目的だったが、この辺がうまく伝わらず、「法的拘束力のない、お願いベースの通知では不十分」という批判も多い。

農水省、厚労省の意見募集を経て、ゲノム編集食品の届け出方法や表示に関する取扱い方針が、厚労省と消費者庁から夏頃(9月頃?)に出る予定で、これで昨年7月の環境省の検討会から始まった行政対応は一区切りとなる。行政の物事の進め方の検証は、また改めて触れるが、今年(2019年)7月に2つの専門家・研究者向け集会に参加して、ゲノム編集技術にかかわる研究者や専門家の間でも、基本的な情報が十分に共有されていないと感じた。

 ●外来遺伝子が残っていないことの確認方法 新育種技術(NPBT)の情報が共有されていない

7月13日に全国大学等遺伝子研究支援施設連絡協議会(大学遺伝子協)主催の組換え実験安全研修会が開かれた。

毎年この時期に開かれており、今年のサブタイトルは「いよいよ決まったゲノム編集のルール」だ。環境省、農水省、厚労省、経済産業省、文部科学省の担当者が、組換え生物との比較や規制の対象となる場合、ならない場合について説明した。研究者から多かった質問は、最終産物に外来遺伝子が残っていないことの確認方法だった。小規模な変異誘導を起こすために使うDNA切断酵素(制限酵素)は外来遺伝子だが、役目を終えれば不要になるので、残っていない個体だけを選抜する。

残っていないことの確認を、どんな方法でやればよいのかという質問だが、行政側の回答は「あくまで、申請者の判断で。こちらから方法は指定しない」だった。確認する方法としては、PCR法、サザンブロット法、次世代シーケンスなどが考えられるが、1つの方法でやるか複数の方法でやるかは申請者の判断でということだ。事例ごとに様々だろうし、申請者(研究者、研究機関)の力量にも差があるので、私はこれで良いと思う。

しかし、過去の判断事例をきちんと公表しておくのが親切だろう。農水省、厚労省、環境省は、過去に品種改良の途中段階で組換え技術を使うが、最終産物に外来遺伝子が残らない場合は、組換え生物に該当せず、規制対象外とすることをすでに3件、認めている。

これらは新育種技術(NPBT)としてまとめられている、デュポン社の種子生産技術(SPT)によるトウモロコシ、岩手大のリンゴ小球形潜在ウイルス(ALSV)を利用した開花促進・世代促進リンドウ、弘前大のエピゲノム編集と接ぎ木技術応用のジャガイモだ。農水省は2015年9月11日に「新たな育種技術(NPBT)研究会報告書」を公表し、ゲノム編集技術も新育種技術の1つという位置付けだった。

ところが、クリスパーキャス技術の急速な普及や、ゲノム編集食品の開発に多額な研究予算が付いたためか、農水省は他の新技術の紹介、解説をほとんどやらなくなった。今回のゲノム編集技術を応用した作物や食品でも、最終産物が残っていないことを確認した結果、規制対象外にするのは初めてではないことをメディアにきちんと知らせておけば反応は違ったかもしれない。

今、「ゲノム編集、ゲノム食品」とさかんに報道しているメディアの記者や科学ジャーナリストでも、新育種技術の全体像を把握している人は少ないのではないか。組換え技術に関わる研究者でも、これら3つの技術の詳細(対象外と判断した根拠、その後の利活用状況など)はよく知られていない。

デュポン社の種子生産技術は2013年1月に厚労省が組換え食品として扱わないとしたときの企業提出資料が公表されている。

岩手大の開花促進リンドウ(2017年11月)弘前大のエピゲノム編集ジャガイモ(2017年2月)は、当コラムでも紹介したが、農水省や文科・環境省のサイトできちんとした情報は提示されていない。

すべての組換え生物の監督に関わっている環境省が中心になって(農水省でも良いが)、新育種技術を事例ごとにまとめ、どんな方法で外来遺伝子が残っていないことを確認し、規制対象外としたのか一覧できるサイトを作ってほしい。研究者向けだけでなく、メディアの理解にも役立つはずだ。

 ●米国のゲノム編集ダイズは日本で審査済??

7月6日、日本学術会議の公開シンポジウム「ゲノム編集生物と社会について考える」が開かれた。

大阪の生協もパネリストとして発表し、在京の消費者団体も何人か参加していたが、驚いたのは、大学の研究者が講演で「米国で開発されたゲノム編集の高オレイン酸ダイズは、すでに日本で安全性の審査を終えている。そのうち入ってくるだろう」と発言したことだった。

別の講演者が米国の商品化が近いゲノム編集食品の例として、Calyxt社の高オレイン酸ダイズとデュポン社のワキシーコーン(デンプンの多いトウモロコシ)を挙げたのを受けての発言だった。日本に入ってくるのが早いものとして、Calyxt社のダイズは予想できるが、「すでに日本で安全性の審査が終わっている」とはどういうことなのか。

私は「日本ですでに審査したというが、ほんとにゲノム編集ダイズなのか?」と質問した。研究者は「日本はまだゲノム編集食品の扱いが決まっていない。申請者が組換え体として審査してくれと申請したので審査した」と答えた。この回答にも納得できなかったので、シンポジウムの最後に、私は「誤認していると思うので、よく注意して発言してほしい」と再度注文をつけた。

シンポジウムはこれでお開きになったが、主催者が後日、発表者に確認し、「デュポン社が以前に申請した組換え体の高オレイン酸ダイズと誤認したこと」、「ゲノム編集ダイズを日本で審査したことはないこと」が明らかになり、出席者にはメールで連絡があった。

当日会場にいたメディアからも主催者に問い合わせがあったという。発言した研究者は、厚労省の食品衛生分科会や食品安全委員会の遺伝子組換え専門調査会の委員を務めている影響力の大きい人物だ。思い込みで軽率な発言をせず、きちんと確認したうえで自説を主張してほしい。

●海外の審査・承認情報はきちんと確認してから

過去にも、米国の新育種技術で、組換え体の規制対象外になるだろうという不確かな情報が、農水省や独法の研究者から、公開の会場で流されたことがあった。2015年9月に農水省が発表したNPBT報告書の資料1の20頁にある、「アクリルアミド産生抑制ポテト」だ。

このポテトを新育種技術として、米国が規制対象外にする事例の一つとして紹介していた。導入する遺伝子が同種のポテト由来と、交雑可能な近縁種由来であることが理由かもしれないが、米国でも規制対象外とするか否かの議論はなく、農務省で遺伝子組換え(GE)品種として審査し、承認している。

日本でも、厚労省は組換え体か否か、対象外かどうかの議論などせず、通常の組換え食品として、2014年2月から食品安全委員会で審査した。

この件は、農水省の担当者に個人的に話して修正を求めた。彼は受け入れてくれたが、どういう根拠から、「米国が規制対象外と判断した」というストーリーが作られたのかは不明だ。ゲノム編集応用食品をめぐって、これからも消費者、市民向けの説明会、意見交換会が開かれるのだろうが、行政や研究者は、きちんと事実関係を確認して、根拠に基づく情報発信をしてほしい。これはゲノム編集、組換え食品に限ったことではないが。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介