ホーム >  FoodScience過去記事 > 松永和紀のアグリ話 > 記事
こちらのページは以前、日経BP社 FoodScienceに掲載されていた記事になります。
当サイトから新規に投稿された記事については、こちらよりご覧ください。

松永和紀のアグリ話

番外編●吉川泰弘・東京大学大学院 教授にBSE問題、食品安全委員会の委 員人事不同意について、とことん聞い てみた(1)

  • シェア
  • Check
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Share
2009年7月22日

 食品安全委員 会の委員として 吉川泰弘・東京 大学大学院教授 を任命する人事 案が6月5日、参議院で不同意となった。野党4党の議 員が反対した。これに対して、「日本 学術会議」が30日、金澤一郎会長の談 話を発表して事実上の抗議を行った。 また、食品安全委員会も7月1日、委員 長談話を出して、日本学術会議に同調 している。立法府に科学者組織や内閣 府機関が異議を唱える異例の展開。背 景には、食品のリスクの科学的な評価 や管理を巡る混乱、誤解がある。渦中 の人となった吉川教授は今、何を考え ているのか? 話を聞いた。今週と来 週、計4回にわたってその内容をお伝 えする。

 意外なことに、いや、食品安全委員会のリスクコミュニケーションでも国 会でも常に、穏やかに話し続けた吉川 教授だから当然なのか、反対した野党 に対する怒りは見えなかった。弁解も なかった。話は、リスク分析の難し さ、BSE(牛海綿状脳症)研究の困難 から、日本のリスク分析の特異性、こ れから科学が歩むべき道にまで及ん だ。プリオン調査会座長としてこの6 年間、苦難の道を歩み続けた研究者だ からこそ見えてきたことが2時間あま り、存分に語られた。

 米国産牛肉のBSE問題理由に委員不同 意  吉川教授のインタビューに入る前 に、簡単に問題を振り返っておこう。 2003年、米国でBSEが発生し、日本 は米国からの牛肉輸入を禁じた。その 後、米国はBSE感染牛が食用とならな いような規制と監視を強め、さらに日 本向けに特別なプログラムを実施する として輸入再開を求めた。そこで05年 5月、厚生労働省と農林水産省が食品 安全委員会に対して「日本向け輸入プ ログラムなどによって管理される米国 産牛肉と、国産牛肉のリスクが同等な のかどうか意見がほしい」と依頼し た。カナダも同様に輸入禁止となって いたため、同時にリスク評価を依頼し た。

 食品安全委員会は、専門家を集めた 「プリオン専門調査会」で検討。この 調査会の座長が、吉川教授である。半 年後、調査会は「米国・カナダに関す るデータの質・量ともに不明な点が多 いこと、管理措置の遵守を前提に評価 せざるを得なかったことから、米国・ カナダ産牛肉と国産牛肉のBSEリスク の科学的同等性を評価することは困難 と言わざるを得ない」とした。ただ し、日本向けプログラムが遵守される と仮定した上で「米国・カナダの牛に由来する牛肉等と我が国の全年齢の牛 に由来する牛肉等のリスクレベルにつ いて、そのリスクの差は非常に小さい と考えられる」とするリスク評価書案 をまとめた。食品安全委員会の7人の 委員も了承。正式に委員会から「評価 書」として答申した。

 これを受けて、両省は米国、カナダ 産牛肉の輸入再開を決めた。今回、吉 川教授の委員任命案に同意しないこと について、参議院議院運営委員会で民 主党議員の一人は次のように説明して いる。「政府が05年12月、米国産牛 肉輸入再開を決定した際には、食品安 全委員会は、科学的評価は困難だとし ながらも、輸入再開に事実上お墨付き を与える内容の答申をまとめました。 今回、食品安全委員会委員の候補者と なっている吉川泰弘氏については、当 時、食品安全委員会プリオン専門調査 会座長として問題の答申をまとめた重 大な責任があります。特に、その答申 を出したことについて同専門調査会の メンバーの半数に当たる6人が辞任さ れるに至ったことを考えれば、民主党 としては、同氏について同意すること はできません」

 これに対して、日本学術会議の金澤 一郎会長と、食品安全委員会委員長 が、事実上の抗議ともとれる談話を発 表したのは前述の通りだ。

 
リスク分析の仕組みが、日本社会にな じんでいなかった

松永:今回の問題について、どのよう にお考えですか?
吉川:リスク分析という考え方は、非 常に斬新なものです。従来は、政治家
や行政が独自に政策を決定してきた。 ギリシャ、ローマ以来、ずっと政治家 がデシジョンメーキング(政策決 定:decision making)をしてきた。 そこに、「科学的根拠によるリスク評 価」というまったく別の視点を組み込 もうというのですから。300年の歴史 しか持たない近代科学が、ついにここ まできたということです。しかし、斬 新故に、それほど社会になじんでいま せん。

 特に日本の場合、農水省がBSE発生 の可能性を外部から指摘されていたに もかかわらず認めようとしなかったと いう事実を教訓に、リスク分析が動き 出しました。しかし、食品安全基本法 もある意味、急ごしらえで、管理機関 から独立した評価機関を作った。その ため、リスク管理者も ステークホル ダーである生産者、消費者、流通業 者、リスコミ対象になるグループも、 そしてリスク評価者自身も、リスク評 価をどう扱ったらいいか、どういう位 置で見たらいいか、十分に理解できて いないのではないか、と思います。未 成熟なのです。
 リスク評価そのものを科学的に考え てみると、今回のテーマは2つの大き な難しい要因を抱えています。1つ は、プリオンが未だによく分からない ということ。専門家、科学者は、豚イ ンフルエンザや SARS については科学 的なデータを基にわりあいに明瞭に説 明できます。ところが、プリオンは未 だに説明が非常に難しい。

 プリオンの本質はまだわからないの です。やっぱり、常識から外れていま す。遺伝病なのに感染症でもある。ま た、プリオンはたんぱく質で、核酸を
持っていないのに感染する。科学者の 間でも、「プリオンは病原体ではない のでは?」という発言すらあります。 前代未聞のものなのです。

 科学的には分からないことが非常に 多い。科学者は、自分たちの限界が分 かっている。そこが、素人と違うとこ ろでしょう。潜伏期間が非常に長いこ とも、研究を難しくしています。牛で 5年以上、人では10年から15年経たな いと、評価を読み取れない。不確実性 の多い、難しいテーマです。

 もう1つは、リスク評価自体の持つ 複雑性です。専門調査会は、プリオン が分からないと評価できないので、プ リオンの専門家が集まりました。で も、大学の研究室でやっている実験 は、繰り返しの中で仮説を証明してい くもの。 要素を1つ変えて実験をや り、結果が変わればその仮説の証明を 終えるというプロセスを繰り返す。あ る意味単純。 リスク評価のような複雑 系とはまったく相容れない分野です。 リスク評価は実験科学の対極にあると 思います。

 それに、実験科学の根拠は再現性で す。でも、リスク評価は1回しかでき ない。評価してしまえば影響力を持 ち、結果を変えてしまいます。再現性 を求めるということは起こり得ない。 1回だけのものです。

 リスク評価においては、実験科学の ように本人が外ですべてを観察して客 観性を確保する、というのはできない ので、実験科学の専門家にとっては苦 手なテーマだったと思います。そのず れが、一部の研究者にとっては受け入れがたいものになってしまいました。
リスク評価という複雑系を研究して きた人は、数は少ないけれどもいま す。しかし、彼らはプリオンの不思議 さを理解できない。それでは、やっぱ りプリオン専門調査会の議論はできな いのです。

 専門調査会に参加していた研究者に とって、二重の意味でストレスだった だろうと思います。本当は、逃げだし たい、結論を出すべきではない、降り たい、先送りしたいなど、という中 で、試行錯誤してやってきたので、不 幸な面もありました。(第2回に続く)

インタビューして  松永和紀
 リスク評価と実験科学の違いは、極 めて重要な指摘だ。日本では、BSE問 題だけでなく農薬や遺伝子組み換えな どさまざまなテーマで、この問題が起 きている。
 例えば、農水省の遺伝子組み換えの 検討会における評価でも、大勢にはほ とんど影響しない重箱の隅をつつくよ うな質問が出て、開発メーカーが次回 データを提出することになり審議が停 滞するというような事態もある。実験 科学、基礎系の研究者にとっては至極 もっともな疑問なのかもしれないが、 リスク評価という点ではあまり意味が ないのだ。
 吉川教授のように、明確に意識して 対処できる基礎系研究者もいれば、 まったく無自覚な研究者もいる。不幸 なことに、この違いをマスメディアの 記者や政治家など、理科的な思考に慣れていない、あるいは科学的な知識が 不足している者たちは見分けられな い。そのために、審議を尽くしていな い、あるいは審議を恣意的に行ってい る、ととる。生物系のリスク評価にお いては、こうした混乱が今も続いてい るように私には思える。

 ただし、私は個人的には、「プリオ ンが分からないと審議できないので、 プリオンの専門家が集まった」という 専門調査会のあり方には、疑問を感じ ざるを得ない。プリオンのリスク評価 が難しいからこそ、外から包括的に問 題をとらえられる異分野の科学者を委 員として入れ、プリオンについて学ん でもらいつつ議論に加わってもらえれ ば、よりよい議論、市民にも理解しや すいリスク評価となるのではない か?
 だが、異分野の科学者が、自分の 専門分野を持ったうえでさらにプリオ ンについて学び議論も行うというの は、かなり大きな個人的負担である。 現在の委員報酬でこの役割を引き受け てくれる科学者がいるか? 現実には いないのかもしれない。

⇒ 松永和紀のアグリ話記事一覧へ

専門家コラム一覧

FoodScience 過去記事

以前、他のサイトで掲載されていた記事をこちらより選択してご覧いただけます。

お知らせ

FOOCOMが「第1回食生活ジャーナリスト大賞」を頂くことに決まりました(3/28)
FOOCOMはこのほど、食生活ジャーナリストの会(JFJ)の「第1回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)」…【全文を読む】