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松永和紀のアグリ話

歪んで報道されやすい農薬–「ケルセン」販売中止の意味

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2004年4月7日

 先月、農業現場にちょっとした衝撃が走った。ケルセンというミカンやお茶などの栽培に使われていた殺ダニ剤(国際的にはジコホル=dicofolと呼ばれる)の農薬登録が取り下げられ、販売中止となったのだ。

 朝日新聞は、「殺虫剤『ケルセン』6社が自主回収 環境ホルモンの疑い」と報道した。だが、実際の経緯は報道から受ける印象と少し異なり、内分泌攪乱化学物質(いわゆる環境ホルモン)の疑いとは関係がない。農薬がいかに誤解され歪んだ形で報道されやすいかを示す「好例」だと思う。ことの経緯を簡単にご紹介したい。

 ケルセンは、1956年に農薬登録された有機塩素系化合物た。ダウ・ケミカル日本が年間、約76t(99年)の原体を輸入し、5社が製品化して売っていた。

 ところが、「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」(化審法)が昨年改正されて、化学物質を新規に認可する場合に生態系への影響に着目した審査・規制が行われることとなった。既存物質についても難分解性・高濃縮性の場合には、新たに環境影響を試験し審査を受けなければならなくなった。

 (改正化審法については、独立行政法人「製品評価技術基盤機構」のウェブページ、環境gooの五箇公一さんインタビューなど参照を)

 ケルセンの場合は、農薬としての安全性には問題がないが、経済産業省により「難分解性かつ高濃縮性」の既存化学物質と判断され、新たな試験審査が必要となった。そのため、ダウ社は「試験費用と収益がとても釣り合わない」と事業撤退を決めたのだ。そして、「市場での混乱を避ける」との目的で、自主回収を始めた。

 これが、販売中止までのいきさつだ。ほかの殺ダニ剤が同じ経過をたどっても、朝日新聞は記事にしなかっただろう。ケルセンは「環境ホルモンの疑いがある」という枕詞が必ずつく農薬。この枕詞により、記事化されたのは間違いない。

 確かに、ケルセンは環境省の「内分泌攪乱作用を有すると疑われる物質リスト」に載っている。リストアップされたのは、米アポプカ湖近くで80年、農薬工場の事故が起こり、ケルセンが湖に大量に漏れた結果、ワニのメス化や卵の孵化率減少、個体数減少などが報告されたのが最大の要因だ。環境ホルモンの恐怖を訴え大量に出版された本には、この事例が必ず載っている。

 だが、よくよく考えると、これは極めて特殊な事故であり、大量曝露の結果。しかも、ケルセンはDDTと類似構造を持ち、当時のケルセンは不純物としてDDTを10%以上含んでいたという(現在は、米国の基準で不純物0.1%以下)。これでは、現在のケルセンが微量で作用を及ぼす環境ホルモンであるかどうか皆目分からない。

 ちなみに、環境省はリストに載った65物質群を順次調べている(ケルセンは、03年度にリスク評価が始まっており、結果はまだ未発表)。今のところ魚類に対する環境ホルモン作用が示されたのは4-オクチルフェノール、ノニルフェノールの2つ。その他、ビスフェノールAで疑いが濃くなり追加試験が実施されている。ほ乳類への作用は、どの物質でも認められていない。

 農薬の場合は、農薬取締法で定められた毒性試験で、ラットを使って次世代に及ぼす影響を調べる繁殖毒性試験が行われている。製剤の不純物の影響を見逃さないように製剤自体の試験も行われる。私の知人の研究者など「農薬の方が、シャンプーなんかよりよっぽど良く調べられてるよ」と言うほど。とりたてて農薬を弁護するつもりもないが、「現在登録されている農薬は、環境ホルモンとしてはシロなのでは」と予測する人が多いのは事実だ。

 ケルセンは今年2月、農薬として再登録されたばかりだった。農家の間では「安くて効果もまあまあ。使いやすい」との定評があった農薬だ。関連企業6社の連名で出されたプレスリリースでは、「米国を含む世界40カ国で登録されており、農薬としての安全性は確保されている」と説明している。3月22日に登録が失効し、メーカーや販売企業は自主回収しているが、法的には製品の有効期限内であれば、販売や使用に問題はない。

 それでも、新聞の見出しは「殺虫剤『ケルセン』6社が自主回収 環境ホルモンの疑い」になってしまう。この記事、よく読めば事情はある程度書いてあるのだが、見出しはセンセーショナル。さらに一部地域では、見出しはそのままで、経緯を書いた原稿後半部分がばっさりと削られて掲載されている。

 難分解性かつ高濃縮性が本当なら、どれほど効果のある農薬であれ、どのような経緯であれ、消え去る運命なのかもしれない。が、ダニや虫や雑草と格闘し、必要最小限の農薬を利用しながら真面目に農業に取り組んでいる農家を見るにつけ、「農薬=環境ホルモン=恐怖の毒物」という単純な「理解」は、もうそろそろ終わりにしたい、と思う。(サイエンスライター松永和紀)

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