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松永和紀のアグリ話

凄まじかった100年前の食品恐怖。さて、100年後は?

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2005年1月5日

 この正月休み、インターネットで食品関係の記事を検索していて、面白いプレスリリースを見つけた。「1世紀前に、食品の恐怖が祭りで騒ぐ人たちを苦しめ毒殺していたことを、歴史学者が明らかにした」という内容。やれBSE(牛海綿状脳症)だ、農薬だ、食品添加物だと、食のリスクがセンセーショナルに報道され、対策が講じられる現代だが、100年前に比べれば遥かに安心らしい。

 プレスリリース は、Glasgow大学が先月出したものだが、正月のおせち料理でもたれ気味の胃には、ちょうどよい“苦さ”だろう。ごくかいつまんで書くと、以下のような内容だ。

 私たちの多くは、食品添加物や着色料、防腐剤は、よいものというよりも有害なものと思っている。しかし、Glasgow大学の研究者は、1900年代初頭の祭りの宴会は、食品の恐怖に苦しめられたことを明らかにした。

 歴史学者のJim Phillips博士によれば、1900年の冬、祭りの宴会で出されたビールを飲んで、英国人70人が死亡した。調査の結果、原材料の砂糖にヒ素と大量の硫酸が使われ汚染されていたことが分かった。

 100年前に消費された多くの食べ物は、「ピュア」とはほど遠く、硫酸やホウ酸、サリチル酸などの化学物質を含んでいた。食肉処理場やパック詰めする施設も極めて非衛生的で、BSEが発生するはるか前から、消費者をおびやかしていた。肉やミルク生産には、ホルマリンも使われていた。豆の入った野菜サラダは、硫酸銅で色付けされていた。

 しかし、食品事故が起きたことにより、法律の整備が進んだ。また、食品担当し規制する行政機関も設立され、危険な食品は押収されて処分された。

 日本でも、昔の事情は同様だったようだ。西島基弘・実践女子大教授の「食品添加物は敵?味方?」という著書によれば、明治時代、有害性着色料による中毒統計には、毎年のように緑青による中毒が載り、死亡者も報告されているという。大正時代から昭和初期には、飲食物に防腐剤がさかんに添加されており、ホウ酸、ホルマリン、水銀の化合物、レゾルシンなど毒性の強いものが使われていたそうだ。

 実態はそうであっても、「現在の食べ物に比べて、昔の食品は手作りで安全だった」と思い込んでいる人が多い。手作りは、微生物汚染を招きやすく、昔は冷蔵施設もなかったことから、毒性が高くとも効果が高い防腐剤が使われていたはずなのだが。

 西島氏は、「これは現代の目でみると当時の人は安全でないものを安心して食べていたと思われます。しかし、現在は昔に比べて安全なものを不安感をもって食べている人もいるということができます」と書いている。

 100年前に比べれば、食のリスクは遥かに小さい。それなのに、消費者の安心のためと称してBSEの全頭検査を行い、検査試薬代だけで年間数十億円をかけているのが、この国だ。企業が儲けるために売る健康食品の表示について、エキスパートを集めた食品安全委員会で、一言一句真剣な議論が行われているのが、この国だ。私たちが、100年前の食品汚染を微苦笑しながら読むように、100年後の人たちは大笑いしながら、この状況を振り返るのではないか。そんな気がしてならないのだ。(サイエンスライター 松永和紀)

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