ホーム >  FoodScience過去記事 > 松永和紀のアグリ話 > 記事
こちらのページは以前、日経BP社 FoodScienceに掲載されていた記事になります。
当サイトから新規に投稿された記事については、こちらよりご覧ください。

松永和紀のアグリ話

英国滞在1カ月の献血線引きは非科学的

  • シェア
  • Check
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Share
2005年2月9日

 とうとう、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)の患者が日本でも確認された。英国滞在歴があったことから新聞やテレビは「英国で感染したとみられる」と報じ、あとは知らん顔、に見える。だが本当にそう信じ込んでよいのか?

 BSE感染牛が初めて発見された2001年当時、市民団体などの「牛肉が危ない」という煽りと、生じた狂牛病パニックは、やりきれないほどひどいものだった。が、今回のように厚生労働省が英国滞在歴を持ち出した途端に、もう“問題終了”という雰囲気なのも気持ちが悪い。

 市民団体の主張を鵜呑みにして「牛肉が危ない」と不買に走るのも、「英国で感染濃厚」という新聞を見て落ち着いているのも、結局は“ご託宣”を拠り所とする同種の行動でしかない。そこで、あえて「英国原因説」の是非を検討してみた。

 厚生労働省のプレスリリースを見ると、「発症原因:輸血歴はなく、平成元年頃の海外渡航歴から見て、短期間ではあるが、英国滞在時の曝露の可能性が現時点では有力と考えられる」と簡潔な記述がある。「現時点では有力」と控えめな書き方なのだが、新聞の見出しでは「英国で感染濃厚」などと、かなり進んだ表現になってしまっている。

 英国での曝露の可能性の根拠は、主に次の4つだろう。
(1)vCJDは、BSEを引き起こす異常プリオンタンパク質を食べることによって感染するというプリオン説が有力。
(2)英国でBSE感染牛が約18万頭発生しており、vCJDの患者も153人確認されている。一方、他の国ではBSE感染牛は総計でも5000頭あまりで患者発生は計15人。そのうち5人には英国滞在歴がある。
(3)英国では、86年に初めてBSE感染牛が見つかりしばらくは適切な対策が講じらないままBSE感染牛が続々発生した。英国では、プリオンが蓄積しやすい脳などを食べる習慣があったが、89年11月に脳などを食用とすることは禁じられた。
(4)日本で初の患者となった男性は、この89年頃に約1カ月程度の英国滞在歴があった。

 プリオンをどのくらいの量食べたら感染し発症するのか、少しずつ食べたものが蓄積して発症するようなことが起こりうるのか、などのvCJD発症のメカニズムは、未だ分かっていない。

 発症する最少量について、牛での実験は行われている。英国獣医研究所によると、BSE発症牛の脳0.1gを経口投与すると15頭中3頭、0.01g投与で15頭中1頭、0.001g投与で15頭中1頭が感染したという。牛から人への感染は、種の壁があるために牛から牛への感染ほど容易ではないはずだが、牛は脳0.001g=1mgというごく微量でも感染するのだから、人でもプリオンが微量で感染すると考えてよいだろう。1回の食事でも感染の可能性がある。英国に1カ月滞在した時に食事から、ということは十分考えられる。

 では、日本で感染した可能性はないのか?食品安全委員会が昨年9月に出した「日本におけるBSE対策について 中間とりまとめ」によれば、国内におけるvCJDのリスクは、2001年10月以前にと畜され、摘発されずにフードチェーンに入ったと考えられるBSE感染牛によるリスクである。BSE感染牛と分からないまま食べられた頭数は、2通りの試算結果が出されており、試算1が5頭、試算2が35頭だ。

 vCJDの潜伏期間ははっきりせず、仮説は数年から25年以上までと幅広い。今回分かった男性患者は2001年12月に発症しており、96、97年ごろに国内のBSE感染牛を食べたのが原因、と考えることは可能だ。では、男性患者がプリオンの蓄積した特定危険部位を食べた、あるいは脊髄など特に汚染された肉を食べた確率は? よく分からないとしか言いようがない。

 さて、これらの状況証拠を勘案すると、どうだろうか。やはり、英国での食事が原因とするのが妥当だと思うが、国内感染を否定する根拠もない。中間とりまとめは、国内でBSE感染牛5頭がフードチェーンに入ったという試算1に基づき、vCJD患者が0.1人発生すると予測している。また、BSE感染牛35頭という試算2に基づくと、患者発生は0.9人だ。今回の男性患者発生は、試算に近い数字が出たということかもしれない。

 今回書いたことは、科学ライターの「頭の体操」みたいなものだが(と書くと、亡くなった患者の方に失礼な気もするが、私自身はとても真面目に考えてみたのでお許しを)、分かってきたことがある。結局のところ、全世界でわずか160人あまりしか患者が出ておらず、非常に限られた科学的な事実を基に推論に推論を重ねてリスクマネージメントをしなければならないのが、vCJD問題なのだ。

 男性患者の原因が英国の食事としても国内感染だっとしても、今残された私たちが、当時を思い出して悩むことにはあまり意味がない。なにせ、18万頭もBSE感染牛が見つかり日常的に脳などを食べていたはずの英国で、たったの153人しか患者が発生していないのだから。日本人は遺伝型から見れば白人よりは感染発症しやすいが、それでもどう考えても、タバコや交通事故、通常の食中毒などで死ぬ確率の方が格段に高い。

 それよりも気になるのは、献血問題。新聞やテレビなどは、「わずか1カ月の滞在で感染」というところにニュースバリューを見出したらしく、大きな見出しをつけたり放送した。そのためか厚生労働省は、英国滞在歴が1カ月以上の人の献血を禁じた。

 しかし、1回の食事で感染するかもしれず、プリオンを少しずつ食べることによる蓄積効果もよくわからないことを考えれば、1カ月という線引きは科学的でない。これは、非科学的なマスメディアの雰囲気に乗じ、リスクを一部の英国滞在経験者に押しつけ、大多数の国民を安心させる「策略」かも、などと考えてしまう。

 かく言う私も、89年に1週間程度だが英国に滞在したことがある。何を食べたかさっぱり思い出せないが、ハンバーガーは食べたに違いない。その中に脳が入っていなかったという保証はない。献血して良いですか? 厚生労働省に聞いてみたい。 (サイエンスライター 松永和紀)

関連の記事:
「松永和紀のアグリ話」バックナンバーページ

筆者のホームページ:
松永和紀のページ「ワキラボ」

⇒ 松永和紀のアグリ話記事一覧へ

専門家コラム一覧

FoodScience 過去記事

以前、他のサイトで掲載されていた記事をこちらより選択してご覧いただけます。

お知らせ

FOOCOM会員、執筆者がかかわる催し、講演(10/17)
<FOOCOM事務局よりのお願い> 「FOOCOM.NET」にアクセスいただきありがとうございます。私たちは201…【全文を読む】
FOOCOM.NET 会員募集 科学的根拠に基づく食情報を消費者に提供するために、ご協力ください。