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松永和紀のアグリ話

科学的でない出荷自粛と記者発表がもたらしたもの

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2005年5月18日

 農薬使用や残留にちょっとした問題が起きると、農作物は「食の安全を守るため」と称して当たり前のように廃棄されてしまう。「リスクがほとんどないのに廃棄するもったいない行為は、止めようよ」というのが私の従来からの提案だが、実際には社会はそう合理的には動かない。規制する側の自治体が、「実際のリスク」と「消費者の安心」の狭間でいかに悩み苦しんでいるか、裏事情をご紹介しよう。

 毎日新聞が4月22日、「農薬散布に細心注意を ミズナ畑に隣から飛来」という見出しの記事を載せた。西日本新聞も「ミズナから適用外農薬」という記事を載せた。5月12日には、このFOOD・SCIENCEの「楽しい農薬」でも取り上げられている。記事の基になったのは、北九州市の4月21日の記者発表資料「平成16年度ファームレンジャー活動実績」だ。

 北九州市は昨年度、直売所に出荷される農作物から46検体を無作為抽出して検査した。その結果、問題事例が1検体見つかった。ミズナから、使っては行けない殺虫剤(いわゆる適用外農薬)のシペルメトリンが0.17ppm検出されたのだ。市が農薬の使用履歴や畑の状況などを調べた結果、隣のうねのコマツナにシペルメトリンを使用した際にドリフト(飛散、漂流)し、ミズナの一部に付着したと判断された。

 といっても故意の使用ではないため、農薬取締法上は問題ない。また、ミズナの残留基準は5ppmなので、食品衛生法にも抵触しない。ちなみに、残留農薬ポジティブリスト制(2006年施行)による規制基準を当てはめたとしても、問題ない。つまり、法的には出荷に一点の曇りもない。しかし、農家は出荷を取り止めた。

(筆者注:このくだり、一部誤りがありました。食品衛生法上はミズナ=キョウナとして扱うことになっており、キョウナは現行では残留基準はありません。ポジティブリスト制に向けて現在検討されている残留基準案では、ミズナ=きょうなの基準は5ppmです。いずれにしても、このミズナが食品衛生法上問題がないことには変わりありません。05年5月19日)

 これに対して、農薬企業の社員などから疑問の声が上がっている。「法的には何の問題もないのになぜ市は公表したのか」「なぜ出荷させないのか?」「国内ではドリフトは必ず起きる。このような些細なドリフトで廃棄する前例ができてしまっては、この先全国で大変なことになる」。

 九州の事例だが、遠く離れた東京の農薬企業社員などが議論している。ドリフトへの危機感が強いうえ、このような発表が珍しいからだろう。私も、一科学ライターとしての立場なら、「リスクがないのに捨てるなんて非科学的、もったいない」と言うはずだ。

 しかし、今回の場合はそうはいかない。なぜならば、同市は「農業行動指針」を策定し新しい都市型農業の構築を目指しており、私は、指針実現に向けてアドバイスする「フォローアップ委員会」委員を務めているからだ。科学的な合理性だけでは押し通せない市の苦しい立場がよく分かる。

 まず、自主的な出荷取りやめの事情は次の通りだ。市は人口100万人弱の政令指定都市であり、多くの農地が工業地域や住宅地などに挟まれ狭く、生産性が高いとは言えない。そのため、多品目を少量ずつ栽培して新鮮さを売りに地元消費を伸ばそうとする農家が増えている。しかし、狭い畑で多品目を栽培すれば、農薬のドリフトの可能性が高まってしまうのは明らかだ。

 悪意なきドリフトであっても、運悪くポジティブリスト制の一律基準値などに引っ掛かりマスメディアで「法律違反」と大きく報道されてしまうと、市の農業は大きな打撃を受けてしまう。そのため市は、ドリフト防止を強く指導し「適用外農薬のドリフトが検出された場合は、事実上出荷できない」と以前から農家に伝えていた。だから、農家も残りのミズナ(3万5000円相当)の出荷をすんなり取り止めたのだ。

 同様に検査しドリフトを検出している自治体は、少なくないはずだ。しかし、法的に問題がない場合はほとんど公表されない。マスメディアに妙な報道をされるのが怖いからだ。ではなぜ、北九州市は公表してしまったのか。

 同市は、職員の「説明責任」が非常に重視されている自治体だ。どうも内部でちらっと「わざわざ発表する必要もないのでは」という声も出たようだが、幹部が「透明性を保って、痛くもない腹を探られることのないようにしなければ」と筋を通した。市は、記者会見で昨年度の活動実績の一部として検査結果を公表した。「農産物をきちんと調べて、安全を確認し対処もしている」ことの証拠として判断してもらいたいと考え言葉を尽くして説明したというが、記者たちはかなり食い下がったらしい。

 以上が、北九州市のドリフト問題の顛末だ。だが、科学的ではない出荷自粛と記者発表は、意外な効用をもたらした。記事化された結果、ドリフトに対する農家の危機感は大きく高まったという。市はこれまで幾度となくドリフト防止を農家に呼びかけたはずだが、おそらく100回の呼びかけよりも1回の出荷自粛の方が、農家の理解は進んだはずだ。

 これが、行政の難しさなのだと思う。規制と生産振興と市民への説明責任を考え合わせて、一つの選択をしなければならない。おそらく、多くの自治体が同じ悩みを抱えているだろう。マスメディアも消費者も、この事情を理解して情報公開を促し、落ち着いた対応をしていかなければならないはずだ。(サイエンスライター 松永和紀)

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