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松永和紀のアグリ話

「と畜場ブルース」に見える米国産牛肉の真実

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2006年1月25日

 輸入された米国産牛肉から特定危険部位である脊柱が発見され、牛肉の米国からの輸入がストップしたというニュースに、1年ほど前に読んだ1冊の本を思い出した。「だから、アメリカの牛肉は危ない! 北米精肉産業恐怖の実態」(河出書房新社)である。悪趣味なタイトルが付いているが、社会学者が移民によって支えられる食肉産業の構造的な問題を掘り下げた内容。今回の輸入ストップという事態の背後に何があるのか、うかがえるように思える。

 原著のタイトルは「Slaughterhouse Blues」。と畜場ブルースである。本の雰囲気をとてもよく映し出した良いタイトルだが、日本の編集者はこれでは売れないと考えたのだろう。扇情的なタイトルになった。たぶんそのために、BSE問題を落ち着いて考えたいと思うこのFOOD・SCIENCE読者のような方々は、この本には手を出さない。残念なことだ。

 中身は、二人の社会学者が北米の農家や食肉処理場の現場を見て、聞き取り調査もして、地元の共同体などへの影響も丹念に調べたリポート。米国でも2004年に出版されている。「現地調査をしたうえで地理学的人類学的視点からマクロ・ミクロな分析を加えた」とある。

 とりわけインパクトがあるのは、食肉処理場の様子と大きく影響を受ける地域コミュニティを描いた第5章から第9章である。移民が主たる労働力を担っており、管理側の米国人とは文化も言語も違う。使っているトイレからして違う。労働者のトイレは不潔極まりなく、管理者が一度も足を踏み入れていない証拠だと著者は書く。労働者と管理者のコミュニケーションは成り立たず、双方は互いに信頼しない。労働者の賃金は低く抑えられ、入れ替わりが激しく技能を身につける間もない。

 米国では1906年、Chicagoの食肉処理場で働く移民たちを描いた「Jungle」という小説が出版された。この本を監修した山内一也氏の解説によれば、当時の大統領は最初、そこに書かれていた苛酷な労働条件、非衛生的な実態を信じなかったが、調査の結果事実であることを知り、食肉検査法などいくつかの法律を成立させた。「Jungle」は、今でも名作として高校の副読本などに利用されているという。

 著者たちは、現在の食肉産業が30年ほど前から、このJungleの時代に戻ってきていると指摘する。地域に食肉処理場ができると、マイノリティ人口が増加し文化、言語が多様化し、犯罪やホームレスが増加するのだという。食肉産業の約8割が四大企業によって占められ、効率が優先し猛スピードで作業が行われ、労働者も「消費」されている。

 この本を読むと、日本が要求する「輸入プログラム」の遵守が、実際に働く労働者にまで伝わり実行されるかどうか、はなはだ疑問になってくる。監修を務めた山内氏は、食品安全委員会のプリオン専門調査会の委員も務め、特定危険部位の除去についての食肉処理場での監視の実態が不明であることに、最後まで疑問を投げかけていた。その姿勢は、このSlaughterhouseの原書を山内氏が見つけ、重要だと考え出版にまでこぎつけた事実と無縁ではないだろう。

 日本の農水省と厚労省は米国産牛肉の輸入再開に当たって、米国の施設を査察した。食品安全委員会は、結果報告なども公開して議論している。しかし、食肉処理場での生産管理は、マニュアルをつくったとか書類がそろっているなどの事実だけでは判断できない。労働者の環境、意識、技能、組織の中のコミュニケーションがどのようなものかが、大きくものを言うはずだが、そんなことは査察結果報告からは何も見えてこない。

 話は飛ぶが、昨年、デンマークの食肉処理場を見学した時に案内人にこう言われた。「デンマークでは、食肉処理場で働く人たちの給料が同じような体を使う労働に比べて高いので、多くの人が技能を磨きながら長く勤め続けようとする。だから、衛生管理をしっかりしながら日本からの細かい注文にも対応して商品を出せるんです」。実際に、デンマークの豚肉の日本での評価は高く、生協も率先して取引をしている。リスクを低下へと導くのは、このような労働環境だろう。

 今回問題となった脊柱付きの子牛肉の場合、米国内では普通に流通しだれもが抵抗なく食べているもの。一方、日本は輸入プログラムとして除去を要求していた。日本向けプログラムの遵守を、実際の作業に関わる労働者が知らず、監督者も知らず、そして検査官も知らなかったらしい。

 日本だけ特別扱いをして別処理をするというのは労働者にとってはある意味、高度な作業だろうと思う。さて、脊柱付きの子牛肉をを処理し箱詰めした施設の労働環境はどうだったのだろうか? この企業の労働者に関する情報がないかと思いネットで探したが、残念ながら確かなものを見つけられなかった。

 食品安全委員会は昨年11月、「輸入プログラムが遵守されると仮定すれば、米国産牛肉(カナダ産も含む)と国産牛肉のリスクの差は非常に小さい」と評価した。その結果を受けて、国は輸入にゴーサインを出した。これは、「科学的なリスク評価」を隠れ蓑にした政治決着だ。

 誤解のないように言い添えると、私はこういう決着も仕方がない、と思っていた。日本のBSEのリスク管理は過剰であり、米国程度のリスク管理で良いというのが、私の考えである。だから、脊柱付きの子牛肉が見つかったところで、別に食の安全がないがしろにされた、などとは考えない。

 しかし、両国間で合意したルールはルール。遵守してもらわなければならない。そして、ルールを守ってもらうのは、日本人が考えるほど簡単なことではないだろう、と思う。(サイエンスライター 松永和紀)

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