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松永和紀のアグリ話

必携!虫オタクの害虫写真集

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2006年4月19日

 先週末に手元に届いてから、暇さえあれば眺めている写真集がある。「菜園の害虫と被害写真集」。元静岡県農業試験場病害虫部長の池田二三高さんが撮影し、解説している。美しく面白く、そして害虫研究40数年の池田さんの人生の重みもずしりと感じさせ、引き込まれる。適正な農薬使用に向けて、必携の書となりそうだ。

 何を隠そう、私は池田さんの大ファンである。以前から論文などは読ませていただいていたのだが、実際にお会いしたのは1年半前、セイヨウオオマルハナバチ取材でのこと。最初は「ヘンなオヤジ」という印象だった(池田さん、ごめんなさい!)。なにせ、環境省設置の会合で、気鋭の若手研究者が「セイヨウオオマルハナバチは日本の生態系を侵す大問題」と額に青筋たてて議論している時に、「根絶できるよ。私に任せてみなさい」と冗談まじりに言うのだから。

 でも、北海道の農家を一緒に視察した時に、印象が変わった。もう定年退職しているのに、どこへ行く時もしっかりと家庭用の密閉容器を携えて、暇さえあれば害虫収集し「自宅で飼って調べる」と言う現役研究者。その存在が、若手研究者の刺激になっていることが分かった。

 環境省の会合での発言も、「まだセイヨウオオマルハナバチのことなんて、何もわかっていないも同然じゃないか。視野を狭めずに、調べてみないと分からない、やってみないとわからない、という気持ちがないと、研究の本質的な意味を見失うよ」という、先輩研究者としての貴重なアドバイスを含んでいることに、気付いた。

 その池田さんが3月末、害虫の写真集を出版したのだ。133種の虫を取り上げているが、通常の害虫図鑑と大きく違う。普通なら1種につき、成虫1枚と幼虫1枚、野菜の被害写真1枚、といったところだが、この写真集は虫が、卵→幼虫→蛹→成虫と変態していくさまが、詳細に見られる。

 例えば、海外からの侵入種である「ミカンキイロアザミウマ」は、卵/1齢幼虫/2齢幼虫/1齢蛹/2齢蛹/雄成虫/雌成虫の写真が掲載され、さらに雌の高温期(単黄土色から黄色)と低温期(茶褐色となりヒラズハナアザミウマと似ている)の写真もある。野菜被害もトマトやキュウリ、イチゴなどさまざまで、掲載数は計18枚に上る。

 なぜ、写真の数が大きな意味を持つかは、農業関係者でないと分かりにくいだろう。実は、農業被害は害虫の同定が意外に難しい。「この害虫だ」と農薬を散布したけれど全く効かず、おかしいと調べてみたら違う種だった—-というような話をよく聞く。虫は、生育ステージによって形態がかなり異なり、環境によっても色などが微妙に違う。

 また、よく似た種も多い。そのため間違って、無駄な対策を講じてしまうのだ。さらに最近では、海外からの侵入種も増えており、多くの農家が苦労している。池田さん自身、県農試に勤めていた現役時代、詳細な図鑑があれば農家にとっても研究者にとっても役立つのに、と思うことがたびたびだった。それを、自分の手で実現した。

 内容は長年の研究の成果だが、写真は2002年に退職後、ほとんど撮り直した。1mmにも満たないような虫を撮るので、高価な撮影機材がいる。知人のデザイン事務所が譲ってくれた使い古しの機材を自宅に設置し、一人で撮影する。

 私は、畑で採取した虫や卵を撮るのだと思い込んでいたが、今回改めて池田さんに尋ねたところ、違っていた。「そういうものもあるけれど、ほとんどは自宅で飼って撮影するんだよ。いつも10種類くらいの害虫を飼っていて、部屋が臭くてね」と仰る。だからこそ、卵から成虫まで、各ステージの写真が揃うのだ。餌の確保にも苦労がある。それぞれ好みの野菜が違うので、自宅の庭で無農薬で育てて、餌にする。

 池田さんによれば、以前は虫に詳しく見事に同定できる人が、県や研究機関にも多かったそうだ。また、虫の飼育もうまかった。どの虫が何を好んで食べるのか、ちゃんと知っていた。しかし、昔は写真技術が進んでおらず、虫の姿をクリアにそのままの色で写し出すことは難しかった。フィルムも高かった。

 現在は、高品質の写真を撮れるしフィルムも安い。だが、研究が細分化したこともあって広く見分けられる人が減った。飼育も下手だ。「昔の人は、子どもの頃にたいてい、カイコなどを飼った経験がある。でも、今は虫を飼うと言っても、餌は市販のゼリ−や顆粒でしょう。それじゃあ、無理ですよ」と池田さん。

 「虫を飼えて、ある程度同定もできて、写真も撮れるのは、私くらいの年齢の人間だけかも。私も年を取ってもうそろそろ、ピントが合わない時があるし、こんな写真集が出るのもこれで最後かもしれないね」。いえいえ、そんなこと仰らず撮り続けてください。写真集は、「偉い研究者が社会的な使命感に燃えて出しました」という感じではなく、虫オタクが一人、ニコニコしながら撮り続けた楽しさ、温かさが伝わってくる。だから、虫にはド素人の私もついつい、ニコニコしながら見入ってしまうのだ。

 農家にとっても行政や農協で農業指導をしている人にとっても、非常に役立つ写真集であることは間違いなく、学術資料としても貴重なものなのだが、出版社はどこも引き受けてくれなかった。編集や印刷に手間がかかり神経を使ううえ、一般に広く売れる類いの本ではない。出版社も二の足を踏まざるを得ない。そこで、池田さんは思い切って自費出版した。本の価格は8400円。高い! でも、儲けなど全くないのだという。

 池田さんははっきりとは仰らないのだが、野暮な私は計算してみた。おそらく出版には1000万円近いお金がかかっている。半分は、娘さんが出してくれたそうだ。「頑張って売って、まず娘に返さなきゃ」と、池田さんはやっぱり笑っている。ぜひ、お手に取っていただきたい。この写真集には、生きた害虫を提供してくれた人、虫の同定をしてくれた人など、協力者も大勢いる。池田さんらこういう人たちが日本の農業界にいることを、私は誇りに思っている。(サイエンスライター 松永和紀)

申し込み・問い合わせは池田二三高さん fikeda@gold.ocn.ne.jp

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