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松永和紀のアグリ話

「沈黙の春」の検証が進まない不思議な国ニッポン

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2006年6月7日

 内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)の危険性をいち早く訴えたと世間では評価が高い「奪われし未来」(原題:Our Stolen Future)が出版されて、今年で10周年だという。わざわざ“世間 では”と書いたのは、米国の科学者団体が最近出したこの10年の 総括が、痛烈な内容だったからだ。同様に、40年以上前の名著 「沈黙の春」(Sirent Spring)もこの数年、欧米では批判の的。ところが、日本ではそんな見直し論はさっぱり紹介されない。議論のないヘンな国、ニッポン……。

 「奪われし未来」の10年目の総括を先月発表したのは、米国の 科学者団体「The American Council on Science and Health」 (ACSH)。のっけから「科学推理小説」と表現し、「筆者たちが脅したようにはなっていないよ」と説明している。詳しくは、ACSHのペー ジをご覧になっていただきたい。

 「奪われし未来」は、90年代の「沈黙の春」とも呼ばれ、両書は並んで高い評価を受けることが多い。Rachel Carsonによって執筆され62年に出版された「沈黙の春」は、農薬を「死の妙薬」と表現した。農薬の使い過ぎにより環境中に農薬が蓄積し、多くの生物の繁殖、生命が脅かされている、と告発した。特に、DDTは生物濃縮によりヒトにも蓄積し、肝臓が冒されたりがんを引き起こしていると強く非難した。

 これを受けて、米国がEPA(環境保護庁)を設立するなど各国は農薬への規制を強化し、DDTなども使用禁止となった。しかし、欧米の研究者やメディアの間では最近、「どうも違うよ」ということになっているのだ。大きな理由は、次の二つである。(1)DDTの評価が誤っている(2)農薬など化学物質が、それほど生物に蓄積していない

(1)DDTの評価の誤り 「沈黙の春」出版後、各国はDDTを禁止した。その結果、何が起きたか?発展途上国でマラリア感染が爆発的に増えてしまった。例えば、スリランカではDDT使用開始以前は年間280万人もの患者がいたのに対してDDTが使われていた1963年には患者は110人にまで減少した。しかし、使用禁止後の68年には再び100万人もの患者が発生し、現在も患者は年間200万人を超えるという。

 WHO(世界保健機構)によれば、マラリアにかかる患者は世界で年間3億人。そして、100万人以上が死亡しその多くが体力のない子どもだ。マラリアを媒介する蚊にもっとも効くのがDDT。ほかの農薬は、蚊が耐性を獲得しやすく、すぐに効き目が薄れるのだという。また、WHOなどは蚊帳を使うように呼びかけているが、蚊帳になじみのない国も多くなかなか普及しない。そのため、発展途上国の一部では現在も、DDTがマラリアを防ぐ「特効薬」として使われ続けている。

 一方で、英国の医学誌「The Lancet」は05年8月27日付けでDDTに関する総説を掲載した(ウェブサイトで登録すれば、無料で論文を読める)。ヒトへの発がん性を示す確たる証拠がないこと、神経系や内分泌系への影響も実験結果がさまざまで、はっきりしたことがまだ言えないことなどを書いている。つまり、「『沈黙の春』は、真実ではない恐怖を煽ってDDTを禁止させ、大勢の子どもの命をマラリアで失わせたのではないか」という批判が、浮上しているのだ。

 英国の新聞「Gurdian」で、関連記事が読める。このほかのメディアも取り上げており、私が見た中には「Rachel Carsonの生態学的大虐殺」という見出しの記事まであった。

(2)農薬など化学物質は、それほど生物に蓄積していない 昨年、CDC(米疾病管理センター)が、米国民の尿や血液から検出された148化学物質をリストにして発表した。99-2000年の調査結果で、DDTをはじめとする農薬は、検出されないか検出されても微量。多かったのは鉛とコチニン(ニコチンの代謝物)だった。もちろんこれは、「沈黙の春」などの警告に基づき、化学物質管理が進んだ結果でもある。ただ、「沈黙の春」が、化学物質を排出したり分解したりする生物の機能を軽視し過ぎたことは否めない。

 英国の学術誌「Outlooks on Pest Management」05年12月号も、「毒性のある化合物の負荷について、摂取と排出の動態的なプロセスではなく、生命の終焉のように印象づけた」と「沈黙の春」を批判している。

 もっとも、40年前の書物の見通しに誤りがあるのは当たり前。「沈黙の春」は、生物多様性保全の重要性をいち早く訴えたという点で、やっぱり大きな価値がある、と私には思える。「奪われし未来」とは比較にならない。読者は、良い点に学び誤りは誤りとしてしっかり認識すればいい。

 問題なのは、そうした批判がさっぱり聞かれない日本の状況だ。欧米でこんなに批判が巻き起こっているというのに、日本ではメディアがそのことを紹介しない。相変わらず環境問題のバイブル扱いで、農薬は悪と思い込んでいる人が多い。わずかに、日本の専門紙「新農林技術新聞」が今年5月5日号で、「沈黙の春に疑問符 農薬などへの評価新展開」として前述のCDCリポートや学術誌を紹介している。

 さて、「奪われし未来」の日本での再評価は? 実は私自身、昔は「農薬は悪だ」と偉そうに思い込んでいた。農薬の歴史や「沈黙の春」の影響の大きさ、ポジティブリスト制やマイナー作物問題の問題点などを取材するうちに、「現在の農薬の真の功罪を多くの人に知ってもらいたい」と考えた。

 『踊る「食の安全」〜農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)を上梓したので、関心のある方は手に取っていただきたい。多岐にわたる内容で、素朴に、でも深く、農薬の真の姿に迫ったつもりだ。今回紹介した「沈黙の春」批判も書いた。どれほどよいものでも、批判と議論が起きないのは不健全だ。微力ながら一石を投じたいと願った。

 私の愚著にもご批判願いたい。学び、誤りを正しながら進む。努力していくしかない、と思っている。(サイエンスライター 松永和紀)

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