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松永和紀のアグリ話

答えが見つからぬ種子消毒問題

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2006年6月14日

 興味深い内部資料を入手した。北海道の某JA経由で売られたある作物の種子が、種苗会社による種子消毒の段階で間違った農薬によって処理されていたことが4月、判明した。内部資料は、その種子を購入し既に播種していたJAの組合員たちが集められ、播き直しと種苗会社への補償請求を決めた会議の議事録だ。JAが風評被害に怯えるさまが、手に取るようにわかる。

 本当は、どこのJAでどの作物の種子が問題になったかを明確にした方が、話は分かりやすい。だが、ここはあえて伏せることにする。種苗会社がひっそりウェブサイトでお詫びを出しているだけで、地元紙も農業系の専門紙も報じていないからだ。私が書いて風評被害が起きるのは避けたい。

 話自体は、本欄4月12日付で紹介した熊本の事例と同様だ。種苗会社が、販売前に種子を消毒する際に、使用する農薬を誤った。誤りに気付いた時には、既に北海道の某JAで組合員たちが播種し栽培していた。

 この場合、種苗会社は農薬取締法に違反しているが、種子を斡旋したJAも播種した組合員たちも、法的には全く問題がなく、そのまま栽培してできた農産物を売ってよい。

 また、間違った農薬で種子消毒をしたところで、残留量はごく微量。その後、畑で栽培される段階でその残留農薬も分解されなくなってしまい、農産物から検出されることはない。つまり、この問題は科学的な見地からも、そのまま栽培して農産物を売ってよい。種子消毒での誤りは、食品としての安全性を揺るがすものではない。

 しかもこの事例が興味深いのは、誤りを犯した種苗会社にもある意味、同情の余地があるということだ。種苗会社は本来、「ベンレートT水和剤」という殺菌剤を使って消毒するはずだった。この農薬には有効成分としてベノミルとチウラムという二つの薬剤が20%ずつ含まれている。

 だが、北海道ではクリーン農業が進められ、減農薬が推奨されている。そこで、種苗会社の北海道担当者は「ならば、種子消毒でも、なるべく減農薬にしよう」と考えた。そして、ベノミルだけが含まれている「ベンレート水和剤」を使用した。確かに、チウラムが含まれておらず減農薬だ。しかし、なんと、ベンレート水和剤は、その作物では使用が認められていない農薬だったのだ。

 農薬の制度上、こういうことは間々ある。科学的にはベノミルとチウラムの二種の混合剤の使用が認められているのだから、ベノミル一種が含まれているベンレート水和剤を使ってもなんら問題はない。しかし、農薬取締法上、農薬は商品個々に使用しても良い作物が厳密に決まっており、この作物にベンレート水和剤は使えない。安全上の支障があるのではなく、農薬メーカーが使用できるように登録申請しても儲からないため、申請していないのだ。そして、種苗会社は「科学的に」農薬を変更したために、農薬取締法に違反してしまった。

 このような種子を、播いて既に芽が出てしまった後でわざわざ廃棄するのは、もったいない。堂々と事態を説明し、できた農産物を堂々と販売すればよいのだ。
 しかし、某JAで組合員を集めて開かれた会議でも、大勢が播き直し派であったようだ。一部から「なんとか、苗を抜かない方法を」「播き直しをせずにこのまま育て、種苗会社に現品買い取りをしてもらえばよいではないか」という意見も出たが、「播き直しをして種苗会社に補償をさせよ」という意見が続々出され、議事録では最終的には播き直しについて組合員の理解を得た、という形になっている。

 組合員にとって、既に播種が済んでいた分は、出荷時期が早く高値が期待できるものだった。その苗を廃棄してしまえば、高値で売れる機会を逃すことになる。また、播き直した分は、最盛期の価格が安い時期の出荷となり、儲けにはつながらない。メーカーが補償してくれるとしても、播き直しの影響は組合員にとって計り知れない。それでも「農薬取締法違反の農産物を出荷した」と誤解され風評被害につながるよりはマシ、だったのだ。

 もったいない。熊本県の事例を紹介した時にも思ったことだが、なんとももったいない。産地に毅然とした態度を望みたい。風評被害を恐れ、消費者に迎合していてはダメだ。そうキッパリと言い切って、このコラムを締めることができたら、どんなによいだろうか。しかし、事態はそう単純ではない。

 実は、本欄4月12日付で熊本県の事例を紹介した後に、知人の生協職員が教えてくれた。「もったいないは正論だけど、消費者には通じませんよ。消費者は種子消毒に対して、凄まじい誤解をしてますよ」という。

 多くの消費者、それも女性が種子消毒と聞いて連想するのは、妊娠中に薬を飲むことだという。サリドマイド事件などが脳裏をよぎり、消毒によって作物の種子がかなり人工的に改変されるように錯覚する。もちろん、実態は種子の表面を洗っているだけで、優れた減農薬技術なのだが、「胎児への薬」、しかも「処理を間違った」そして「その作物を私も、我が子も食べさせられる」という理解は、消費者の深刻な不安に直結する—-。

 その生協職員は、東京で顧客である消費者と毎日付き合い、学習会もたびたび開いて農業理解を進めようと努力している人。それだけに、その言葉には説得力がある。たぶんこれが、消費者の真実の姿なのだろう。ならば、産地が消費者に迎合しすぐに廃棄に走るのも、無理からぬことかもしれない。そして、一産地が廃棄し報道されると、他産地は前例に習い、事例が積み重なることで「やっぱり種子消毒は怖いもの」という固定観念が消費者に埋め込まれる。

 消費者も農業者も隘路にどんどんはまり込み、共に不幸になっている。さて、脱出するにはどうしたらよいのか。私にはまだ答えが見つからない。(サイエンスライター 松永和紀)

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