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松永和紀のアグリ話

「予防原則」の絶対崇拝を再確認しよう

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2006年7月26日

 親しい農薬関係者からこの半年ほど、「農薬散布の周辺住民への影響について、海外で今、大きな動きが出てきているから要注意だよ」と言われ続けてきた。英国の環境食料農村省(Department for Environment, Food and Rural Affairs=DEFRA)が7月20日、極めて重要な情報を公表したので紹介しておきたい。今後、日本の農薬政策や反対運動にもじわじわと影響が出てくるはずだ。

 話の発端は2003年。DEFRAは、農薬を散布する地域と居住地の間に緩衝地帯をもうける必要性について、パブリックコンサルテーションを実施した。これは、日本のパブリックコメントと同じ手法に加えて、関係者に直接手紙も出し意見を求める方法だ。

 多数の意見が寄せられ、賛否両論まっぷたつ。結局、DEFRAは緩衝地帯を設けないことにしたものの、王立委員会に意見を求めた。そこで、王立委員会は検討を重ねて、昨年9月に報告書を出し、さまざまな提言を行ったのだ。

 この報告書は、農薬利用側にとっては非常に厳しいものだった。 周辺住民の農薬暴露と慢性疾患には関係があるかもしれないとして、その因果関係のメカニズムがはっきりしていなくても予防的なアプローチをとるべきだと主張した。

 そして、農薬の健康影響をモニタリングしていくこと/風などを受けて変化する暴露ルートのモデルを構築し調べていくこと/緩衝地帯を設けるなどして居住者などの農薬暴露量を減らしていくこと—-などを具体的に提言した。

 この報告書を受けて、DEFRAはパブリックコメントを求めたり、保健省(Depart of Health)の諮問機関である「The Committees on Toxicity and on Carcinogenicity of Chemicals in Food, Consumer Products and the Environment」(COT)の意見も聞く などして検討してきた。

 その結果出てきたのが、20日のニュースリリースである。政府としての公式回答になっている。ではその中身は?

 政府は、王立委員会の報告書の35の提言のうち25は既に実施されているか、今後実施していく予定だ、と回答した。「農薬散布に対する周辺住民などの懸念については十分に理解していますよ」というメッセージを送り、モニタリング強化などについては理解を示しつつも、これまでの規制や対策の正当性を強調する内容。緩衝地帯設置についても否定した。

 肝心の予防原則に基づく新たな規制の必要性については、王立委員会に全く同意していない。科学的根拠が薄い、というのがその理由だ。

 注目すべきは、多種化学物質過敏反応(multiple chemical sensitivity いわゆる化学物質過敏症)や慢性疲労疾患(chronic fatigue syndrome)に対する記述。これらについて、王立委員会は農薬が関与している可能性があるとして特別研究を提言しているが、DEFRAは否定している。

 DEFRAは、化学物質過敏症の原因として、精神的なものと生理学的なものという2つの考え方があることや、化学物質過敏症と慢性疲労疾患の区別がはっきりしないことを明記。慢性疾患のすべての原因の中で、農薬だけを優先的に研究する科学的根拠がない、と説明しているのだ。

 これは、保健省の諮問機関であるCOTの考え方に沿ったもの。農薬を使いたい側が化学物質過敏症を否定したがる傾向にあるのはうなずける話だが、このDEFRAの判断はそうではない。毒性学の専門家が下した判断が基になっている。これは、見過ごせない。

 この辺りまでくれば、なぜ英国の動きが日本に影響が出てくるかがおわかりだろう。英国は、米国などと違い、日本ほどではないにせよ、かなり狭い国土で農地と住宅地が接近するという条件下で、食料生産していかなければならない。そして、日本でも化学物質過敏症の研究データを基に、農薬の使用制限を求める運動家や研究者がいる。実際にそうした施策を展開し始めた自治体もある。

 DEFRA、いや英国政府の判断が、日本でのこうした動きにどのような影響をもたらすだろうか?日本では、「予防原則」という言葉を頭からよいものだとみなす風潮が、マスメディアや市民団体にある。確かに、予防原則に基づいて講じた措置により公害などが防げればいい。しかし、予防原則によって判断を誤り、間違った措置を講じてしまい、かえってリスクの増大を招いたり産業育成に失敗した場合の問題点にまで考えを巡らせたうえでの発言や報道は、少ないのではないか。

 英国のこの問題も、これで決着というわけではないだろう。日本の関係者は、予防原則や化学物質過敏症に対する日本社会の認識も踏まえて英国の推移を注視し、今後の日本での対処の仕方を考えて行く必要がある。

 DEFRAも、予防原則に基づく新たな規制や化学物質過敏症と農薬との関連を探る特別研究は要らないとしたものの、だからといって、安易に農薬散布をしてもいいよ、とは言っていない。今年2月に策定された農薬の適切な使用方法(通称、グリーンコード)に従い、住民と農家が十分に対話し理解し合ったうえで農薬を使用するように求めているのだ。

 日本の農薬使用者側も、農薬散布が周辺住民にとって極めて深刻な問題として認識される前に、襟を正して使い方を考えてほしい。高温多雨、害虫の多い日本は、英国以上に農薬が必需品だ。大事なものだからこそ、関係者はくれぐれも慎重になってほしい。(サイエンスライター 松永和紀)

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