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松永和紀のアグリ話

「ヒカリ新世紀」にみる育種の未来

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2007年12月26日

 コシヒカリBLを「新潟県産コシヒカリ」という銘柄で売っていることについて、新潟県知事が「情報隠しだった」と述べたという記事を読んで、私がすぐに思い出したのは「ヒカリ新世紀」という新品種だった。こちらもコシヒカリBLと同様に、交配により新しい遺伝子が導入されているが、そのほかの塩基配列はコシヒカリとあまり変わらない。だが、新しい遺伝子の導入にプラスの意味を込めて、ヒカリ新世紀と名付けられた。品種改良は、非常に苦労の多い仕事なのに、あまりにも軽んじられている。新品種に開発者が堂々と新しい名前を付けることができ、消費者がその努力を認める社会でありたい。

 ヒカリ新世紀は、鳥取大学農学部生物資源環境学科の富田因則准教授によって開発された。その経緯は、(社)日本技術士会生物工学部会のページで、詳しく紹介されている。コシヒカリに放射線をかけて突然変異させて作った品種「関東79号」と、丈を短くする遺伝子sd1を持つ在来品種「千石」を掛け合わせ、その雑種の4代目にコシヒカリを計8回戻し交雑させて確立した品種である。sd1が導入されている以外は、その塩基配列の99.9%以上がコシヒカリである。

 sd1は、60年代に「緑の革命」に大きく貢献した遺伝子。これを有するイネは、丈が低くなり台風や風雨による被害を受けにくくなって収量が上がる。コシヒカリは丈が高く倒伏しやすいというのが最大の欠点であり、このsd1の導入によりヒカリ新世紀は、コシヒカリに比べて丈が約20cm低くなり倒れにくくなった。さらに、葉の幅が広く直立するという特徴があるというから、光合成能も上がっているのだろう。富田教授によれば、玄米収量が従来のコシヒカリに比べて15%も上がったという。富田教授の解説を読む限り、じわじわと人気を呼び、作付け面積が増えてきているようだ。

 コシヒカリBLと、品種改良の発想はよく似ている。ほしい性質の基となる遺伝子だけを導入し、あとの性質は極力コシヒカリに戻している。ただし、最後が違っていた。かたや、ヒカリ新世紀という名称でコシヒカリと違うことをアピールし、かたやコシヒカリと変わらないことを理解してもらいたかった。

 新潟県が、コシヒカリと変わらないことに固執し、新しい名称で売り出せなかった事情も分かるような気がする。宮城県が同じようにササニシキBLを開発して1995年に品種登録し、「ささろまん」という名称で売り出し、大失敗した。消費者に「味が違う」などと言われてしまったのだ。系譜図を見る限り、味が違うことはほぼあり得ないだろうと思えるが、BLの価値は理解されなかった。新潟県が別の名前をつけて宮城県の二の舞になりたくなかったのは、想像に難くない。

 さらに、コシヒカリBLには特殊事情があった。新潟県でコシヒカリBLがいっせいに作付けされ始めた2005年はちょうど、「北陸研究センター」で遺伝子組み換えイネの隔離圃場栽培実験が始まった年である。遺伝子組み換えにより複合耐病性が付加されたイネが栽培され、東京の市民活動家や周辺の有機農家が実験差し止めの仮処分を申し立て。最高裁でも認めらなかったため、06年はじめに本訴に踏み切った。

 当時、北陸研究センターの研究者らは、この組み換えイネとコシヒカリBLが混同されないように細心の注意を払っていたし、新潟県も神経質になっていた。「まさか、勘違いして混同する人なんていないでしょ」と私は最初、思ったが、市民団体などが「コシヒカリが汚染される」などと扇情的な主張を繰り返す中で、研究者や県などの不安を杞憂と笑い飛ばすことはできなかった。

 当時のややこしい状況を考えると、新潟県の選択も致し方なかった、と今も思う。「従来のコシヒカリと変わらない」と強調し「新潟県産コシヒカリ」という銘柄で売らざるを得なかったのだ。

 だから私には、新潟県のやったことを「そうすべきではなかった」とか「ミスである」などと、きっぱりと書くことができない。「自分が担当者だったら、どうしただろう」と、考えをめぐらせるばかりだ。ただ、科学的な事実を押さえ私なりに経過をたどって、「情報隠し」ではないと指摘するのみである。

 コシヒカリBLに関する計三回の原稿が、なんとも歯切れが悪く曲がりくねったものになったことを、読者にお詫びしたい。

 唯一はっきりしていることは、「ヒカリ新世紀」と命名するような明るさと希望が、品種改良という地味で困難な仕事には必要、という思いだ。いや、品種改良ではなく育種と呼ぼう。日本では、育種という言葉があまり認知されていない。それほど、新しい品種をさまざまな手法で作り上げる育種の仕事が、社会において軽んじられているのが実態だ。

 イネはゲノムが解読されて、育種にかかわる膨大な量の情報が蓄積し、手法も確立されている。コシヒカリBLやヒカリ新世紀のような、ほしい遺伝子だけをコシヒカリに導入し、あとはコシヒカリとほぼ同じという新系統はほかにもあるし、これからも出てくるだろう。ほかのコメでも、同様な品種が出てくるだろう。これから、どのような名称がつけられるのだろうか?

 育種は今後ますます重要になってくる。地球温暖化に対する重要な適応策であり、食料増産の切り札である。コメだけでなくほかの穀物や野菜などでも、その価値は極めて大きい。

 名称を巡って悩むのはもうたくさんだ、という気がする。育種を行った研究者や自治体が、新しい名称をつけないことを非難されるのではなく、胸を張って命名し「良い品種ができました」と大きな声で言える社会がいい。それには、一般消費者の育種に対する科学的な理解が必要だ。

 私の仕事はまさに、科学的な理解を促すところにあるのだろう、と考えている。(サイエンスライター 松永和紀)

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