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GMOワールド

データだけの一人歩きは困る〜ロシアのGMダイズRat Study

宗谷 敏

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 一部海外メディアが伝える妊娠ラットの世代をまたぐGMダイズの飼養試験で、対照群に比べ仔ラットの死亡率が高く、成長も遅かったというロシアの研究者の発表は、これを論ずるために必要な実験の詳細が不足している。今後も、裏付けを欠いたままデータだけが一人歩きする懸念があるので、関連報道の流れおよびこの主張の疑問点などを整理しておく。

 このデータを発表したのは、ロシア科学アカデミー高次機能・神経行動学研究所所属のIrina Ermakova博士である。データ自体は、博士の発表原稿に表化されているので、詳述は避けるが、Monsanto社のラウンドアップレディーダイズ粉を給餌した妊娠ラットの仔ラットが対照群に比べて約6倍の高い死亡率を示し、残りの仔ラットにも著しい体重低下が観察されたというものだ。

 2005年10月の初出以来、筆者は本件に係わる報道をモニタリングしてきたが、おおよそ下記のような経緯をたどっている。

<05年10月 ロシア−発端と拡大>
 発端はロシアのREGNUM通信社の 10月12日ネット版記事である。同紙によれば、10月10日にGM反対派NGOである遺伝子安全のための全国会議(the National Association for Genetic Security:NAGS)が主催した遺伝子組み換えシンポジウムにおいて、Ermakova博士がこのデータを発表したという。

 10月27日には、公称1000万部を超えるPravda紙にも本件が掲載された。さらに10月31日には、国際通信社のUPIモスクワ支局からもカバー記事が出された。

<05年10月 米国−煽りと反論>
 米国において、このデータ公表に素早く反応し、いつもの通り空騒ぎしたのが、かの「偽りの種子」の作者であるJeffrey M. Smith氏だ。10月27日、アリゾナ州で開催された米国環境医学会(the American Academy of Environmental Medicine:AAEM、学会を名乗るが正味は財団組織で、姿勢的には反GM)で、Ermakova博士の許可を得てこのデータを提示し、医学会理事会に対し米国国立健康研究所US National Institutes of Health(NIH)から独自のフォローアップへの資金提供を打診するよう要請、理事会はこれに従う。

 一方、GM推進派からのリアクションとしては、アラバマ州Tuskegee大学のC.S. Prakash教授が主催するAgBioWorld財団から10月27日に反論が出された。ここに引用されているGM農産物(製品)を動物に与える実験で、Peer Review(専門家による査読)を経て学会誌、科学誌に公表された論文のデータベースによれば、それらのうちの殆ど、特に最新の研究はGM飼料の安全性を疑わせる結果を示していない。

 但し、世代をまたぐものは稀少であり、04年1月のFood Chem Toxicol誌にフォローアップ研究が掲載された南ダコタ州立大学のDenise G .BrakeとDonald P. Evensonの論文のみである。

 Brake and Evensonは、同じラウンドアップレディーダイズを最長4世代にわたりラットに給餌した結果、母子のラットに特に悪影響はなかったと報告している。Ermakova博士のデータがPeer Reviewを経ていない点は措くとしても、検体数や期間などの実験規模においてErmakova博士のデータを凌駕し、反証となっている。

<05年12月・06年1月 英国−飛び火と消火>
 年が改まり、この話題も沈静化したのかと思っていた矢先、1月10日に英国のIndependent紙が取り上げる。この種のGMOワールドにおける風説の流布を筆者は好まない。

 同紙というかこれを書いた環境問題主筆のGeoffrey Lean記者は、Arpad Pusztai博士の熱烈なシンパであり、GM報道は他紙との比較において偏向していると言ってもいいだろう。ちなみにTimes、BBCはもとより 、日頃GM嫌いのGuardianすら他の英国の有力紙は、本件を一切フォローしていない。

 これは、内容的にちょっと酷かったため、先に筆者が検証しておいた同紙のMON863のRat Study報道と同じパターンである。そして、この記事も実はLean記者の筆である。今回も、ロシアでの報道と比べ内容的にはまったく新味はない。

 しかし、商業化前に開発が中止されたオーストラリアCSIROのGMエンドウマメやMON863など、傍証?補強に余念がなく、一般読者の恐怖心をいたずらに煽る手法は、反対派のサイトならともかく、とても英国の一流紙とは思えない。

 実は、英国ではこれに先立つ12月5日、食品規格庁(the Food Standards Agency)の新規食品とプロセスに関する諮問委員会(The Advisory Committee on Novel Foods and Processes:ACNFP)から、Ermakova博士のデータに対する声明が出されている。

 現時点では、唯一政府関連機関からのリリースであり、重要な指摘をいくつも含む。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部主任研究官 畝山智香子氏の1月17日付ブログには、ACNFPコメントの行き届いた抄訳が掲載されているので参照願いたい。

 Lean記者が、この12月5日付ACNFPリリースを読んでいないなら、ジャーナリストとしての怠慢、また読んでいたとすれば、1月10日付記事中でこれに一切触れていないことは、著しく公平さを欠く作為が感じられる。

<06年1月 日本−寂しかったお披露目>
 1月23日、東大で開催された国際予防医学リスクマネージメント連盟主催の第1回医療安全国際フォーラムにおいて、Ermakova博士が「遺伝子組み換え大豆のラット実験−次世代への影響」という一般講演を行うというので、筆者も覗いてきた。聴衆は全部で15名程度しかおらず、半数近くは同じセッションで他の講演を行う台湾からのグループだった。

 あまり期待はしていなかったが、15分間のErmakova博士の講演において、やはり既存の報道以上の情報は示されなかった。しかし、どうやら個々の個体がどのような種類の飼料を、どういう割合で実際に食したのかというデータは採られていないようで、極めて杜撰な実験設計という印象は拭えなかった。

<Ermakova博士の発表への疑問点>
(1)Peer Reviewされた科学論文として、しかるべきところに公表されていない。
(2)予算がなかったことを弁明理由としているが、実験の規模が極めて小さい。
(3)GMダイズ飼養群のみならず対照群の妊娠ラットの方も出産数が少ない理由が不明。
(4)これは致命的とも言えるが、給餌された飼料の割合・栄養のデータや、個々の摂取量に関する情報を欠く。例えば、(GM、非GMを問わず)成熟したダイズを加熱処理せずに粉にして与えたのなら、毒性がある。純粋なGMダイズ(粉)をどうやって入手したかも不明。
(5)死亡数のみのデータで、死因について組織解剖などによる原因が明らかにされていない。
(6)東大での講演では、前振りとしてGM遺伝子導入技法のうちアグロバクテリウム法は危険だと盛んに主張していたが、実験で給餌したGMダイズにはパーティクルガン(遺伝子銃)法が用いられている。
(7)同じく、Brake and Evensonは、妊娠後にGMダイズを与えており、自分は受胎以前から与えているので比較にならないと述べたが、前者は最長4世代にわたっているのでこの批判は的はずれ。

<背景の考察−なぜロシアからなのか?>
 ところで、Ermakova博士の英文ホームページを眺めると、科学者である以前にJeffrey M. Smith氏やGeoffrey Lean記者と同族の「始めにGM反対ありき」という活動家の姿勢をどうしても感じてしまう。

 この点に関し、先にあげた米国AgBioWorld 財団の反論中のErmakova博士への質問は率直である。「神経科学者が専門外であるGM食品についての摂食研究を行って何をするつもりなのか?」「なぜ反GMのNGOによって運営された会議において結果を公表するのか?」

 一方、さすがに英国は紳士の国だ。ACNFPの声明は最後に述べる。「この研究についてはPeer Reviewされて雑誌にフルレポートが掲載されたら評価を行う」。これは、筆者も見習いたい姿勢だ。

 それから、最後にもう一つ指摘しておきたいのは、GM食品を巡る昨今のロシアの状況である。遺伝学の概念をことごとく否定したルイセンコ時代ヘの逆行はまさかないだろうが、議論の全体的レベルがどうやらEU諸国に比べてかなり遅れているのだ。

 GM食品の安全性が科学界、マスコミ、一般社会を巻き込んでの論争になっている という。一つのデータの背後には、このように複雑な政治・社会的問題の影響が隠されている場合があることにも注意を払うべきだろう。(GMOウオッチャー 宗谷 敏)