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斎藤くんの残留農薬分析

「法令遵守」が日本を滅ぼす

斎藤 勲

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 新潮新書から今年1月20日に発行されたタイトルである(3月10日で既に6刷)。著者の郷原信郎氏は東大理卒、検事を経て現在、桐蔭横浜大学法科大学院コンプライアンス研究センター長である。タイトルを本屋さんで見たとたんすぐに買った。私にとってそれくらい魅力的なタイトルであった。日常的にコンプライアンスと言いながら、なかなかモチベーションが上がらない、仕方がないなあと本音では思っている凡人にとっては「そうだそうだ」と言いたくなるタイトルであるが、単純な私の考えと著者の考えとはおそらく相当ずれがあるのは事実である。しかし、あまりに広い話なので食の安全とコンプライアンスに絞って考えてみる。

 食の安全に関するコンプライアンスの基本は食品衛生法である。従来食品は自分で気をつけて食べるのが基本であろう。しかし、食品の外観、臭い、味、食べ過ぎないための満腹感だけでは安全は保障されない。眼に見えない細菌・ウィルスの増殖、毒物の混入はやはり法的な定めを作り未然に防止する必要がある。そのため、消費者には食品に書かれた原材料表示や期限時表示は重要な情報である。また、商品には種々の規格が設けられており、それに合致したものが商品として売ってよいことになっており、こういった仕組み全体が食の安全を支えている。とはいえ、これは一朝一夕に出来たわけではない。農薬の残留基準を見ると参考になる。

 以前は26農薬しかなかった残留基準が、1992年以降順調に設定され99年には199農薬となった。そのペースでいくのかと思っていたら、02年の無登録農薬、中国産冷凍ホウレンソウ問題などが起き、これが引き金となって一気に現在の基準数にブレークスルーしてしまう。

 80年代、有機塩素系、有機リン系農薬を中心に基準が設定されていた。ガラス管に充填剤をつめたガスクロマトグラフの分離カラムを使っていた頃である。米国やオーストアリアから輸入されるコムギ(玄麦)にほかの作物と比較すると高い濃度の有機リン剤フェニトロチオン(スミチオン)、マラチオン(マラソン)が残留していた。いわゆるポストハーベスト(収穫後散布)問題である。

 しかし、当時のコメには0.1ppmや0.2ppmの基準が設定されていたが、コムギにはなかった。そもそも農薬は農産物の生育中に使用するもので収穫後使用を想定した残留基準ではなかったし、収穫後の使用は食品への使用として位置付けられ食品添加物となる。このため、輸入レモンなどで問題となった防カビ剤OPP、TBZなどは食品添加物の基準として設定された。

 コムギ中フェニトロチオン、マラチオンが検出されても基準がない、当時はネガティブリスト(基準のあるものを規制する制度)ゆえに違反としては問えない、問題はあるが不問に付すことになる。コメから0.3ppm出ても違反だが、コムギから3ppm出てもそうではない。基準設定の難しいところであり、大きな悩ましい矛盾であった。

 そんな状態で数値の小さな基準のある農薬が検出されて違反としてもなかなかすっきりしないものである。決まっているから仕方がないね、運が悪かったねといった感覚となる。基準の前に常識的なフェアな線がやはりほしいなという感じを誰もが持つであろう。

 そういった矛盾や、トラブルを経て現在のポジティブリスト制度につながった。ほとんどの農薬で大半の作物について基準が定められ、基準のないものは使用しないのだから一律基準0.01ppmの適用と従来の矛盾を払拭してくれた。しかし、残留基準値はADIの中で割り振って決めるのでADIが小さく、ポストハーベスト使用があり、摂取量の多い作物に大きな数値を取られてしまうと、後の作物は厳しい数値を適用するか基準無しとなる。

 そんなことも影響したのか、今月12日に浜松市で生産されたパセリから「フェニトロチオンが基準の1610倍!検出」といった報道につながっている。他の基準値でも違反になるだろうが、たまたま基準がないので一律基準が適用され16.1ppm検出、故に1610倍となる。他山の石として農薬使用の基本部分を再点検しよう。

 法律はすべてを網羅できているわけではないから、基準の運用もバランスを持って行う必要が本当はある。でないと、「これには基準が決まっていないから良いでしょう」といった雰囲気が出てきて、本末転倒な話である。

 郷原先生は本の中で、「コンプライアンスは社会的要請への適応である」と定義し、法令が実態と乖離していて制度が不合理な場合には、単純に法令を遵守していくことが社会的要請に応えることになるとは限らない。社会の要請と環境変化をすばやく認識する鋭敏性をもつことが組織のとって不可欠で、構成員1人ひとりの鋭敏性=「眼」が組織としての鋭敏性=「眼」に高まっていくことの必要性を説いている。

 まさにそうだろう。そうであるが故に、「法令遵守によって組織内には違法リスクを恐れて新たな試みを敬遠する『事なかれ主義』が蔓延し、モチベーションを低下させ、組織内に閉塞感を漂わせる結果になっている」組織が如何に多いことか、身をもって感じている方もとても多いと思う。構成員である私たち一人ひとりが感性を求められている。(東海コープ事業連合商品安全検査センター長 斎藤勲)