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斎藤くんの残留農薬分析

規制への疑問解消は、リスクコミュニケーションの場で議論することから始めよう

斎藤 勲

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 政局も見えない世の中、規則だけはしっかり守られているようで、違反の分かった食品は日々処分され、品質管理が強化されている。しかし、消費者からみると、食品に関する規制の多くは受け身であることが多く、「なぜ食べ物にそこまで厳しいのか」という疑問もあるだろう。しかも、ブラックボックス化した商品供給の仕組みへの漠たる不安はぬぐえない。増え続ける規制に対し、消費者が自分たちでできること、それはリスクコニュニケ—ションの場をサロンとして、自分たちの提案を議論することだ。

 5月21日の同コラムで紹介したが、農林水産省が出した「平成19年度国内農産物における農薬の使用状況及び残留状況調査結果について」で、約4700戸の農家を調査したところ、農薬の使用状況検査と残留農薬検査のどちらにおいてもとても良好な調査結果が出た。しかし新聞報道を見ると、食品衛生法の残留基準違反で回収廃棄される農産物が多い。どうしてだろう。

 おそらく、きちんと意識していれば基準を守れるが、そもそも意識していない人もいて、建前と実態の乖離が埋まっていないというか、埋めきれていないのが実態なのだ。日々の報道で、規格基準や残留基準などを満たさないために回収される食品の情報が毎日発信され、同じようなことが繰り返されていく。情報量だけが多い時代では、聞く消費者側も、自分に直接関連するもの以外はインプットとされなくなるのだろう。

 何か事故が発生した現場では、事故発生以降、それまで以上の品質管理の仕組みが求められる。毛などの異物混入を二度と起こさないようにするにはどうするかといった、ごく当たり前な対応が要求される。食肉を用いた製品においても同様に、獣毛が混入する恐れがあるので、事故を防ぐ対応が要求される。毛は毛であり、異物は異物だ。白い短い毛を異物として申し出る人もいるなど、よくぞまあ見つけて頂いたという場合もあるだろう。私のような鈍感な人間はプラスチックをはじめいろいろな物を食べているのだろうなと思う。

 実のところ、毛髪の混入などトラブルの原因はきちんと分からないことが多く、その後の対応の誠実さでトラブルの善しあしが判定される事例も多い。現場では作業員全員が集められ、日々の点検強化とチェック表などの補強がなされるのが常だろう。昔の製造現場しか知らない人からすれば、今の現場で行われている、工程中のチェック作業は膨大なもので、その証は点検結果などのチェック表用紙の厚みとして表現される。昔ながらの家内工業的な雰囲気の職場はもう少ない。私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、いわゆる品質管理の仕事に多くの時間、ひいては膨大な費用をかけて日々の商品を消費しているのである。しかも、厳しさゆえの食品廃棄も含めてだ。

 日々消費する野菜や果物も商品となって久しい。商品として多く売るためには、規格を設ける必要がある。商品として管理しやすい規格が求められる。そこには、流通部分での扱いやすさ、消費者の嗜好などが大きなファクターとなる。消費者の嗜好とは、販売結果に反映された数字であり、僕たち私たちそのものを示すものではない。「多少キュウリが曲っていても良いわ」「トマトが大小あっても構いません」といった消費者個人の鷹揚さはその数字に反映されてこない。せいぜい「曲がっていると扱いにくい」「大小あって選びにくい」、といったクレームだけが反映されるのが関の山である。実際、家で調理をするときは曲がったまま食べるわけではないし、大きさをそろえて調理するわけでもないはずなのに。

 また、「違反した商品なので回収しますと」いう新聞社告でも、実際の健康影響はないようなものも多いが、違反は違反として処理される。下町の商店街で売っていたシュウマイが、原材料規格で順番を間違えたとしても、昨日まで売っていたものと全く商品が変わるわけではないので、店頭のポップか何かで、「すみません。商品規格に外れる商品を作っていました。食べても問題はありませんので、よろしかったら無料でおひとり1つずつお持ち帰りください。」といったやり方で、地元の人に恩返しをすれば、きっとあっという間になくなってしまうだろう。そうすれば、規格外のシュウマイも浮かばれるというものである。違反した商品で儲けてしまっては基準を作った意味がないが、その商品を食べても大丈夫といった状態で、かつ無料で食することができるなら、そんな良いことはない。もし、農薬が一律基準値の0.01ppmより2倍残留した果物があったなら、皮をむいて、みんなで旬の味覚を無料で味わうぐらい牧歌的な発想を、実は真面目に考えていく時代に来たのではないだろうか。

 商品管理のレベルアップが日々叫ばれ、食品企業ではそのための投資や設備の拡大も必須になりつつある。そうしたレベルアップについていける会社だけが高みを極めていき、脱落するものは経営も厳しくなって設備のメンテナンスが劣化し、結果として商品トラブルを起こすことで負け組になっていく。そして、そのトラブル商品に遭遇した消費者は、「大手だって分かったもんじゃないわ」とその商品全体のイメージを下げてしまう。市場を押し並べて考えると、結果的に一部だけは品質強化されるが、脱落企業を生むことで、むしろ全体の平均は劣化しているのが現状だ。松永和紀さんが6月3日付けのブログで最後に述べているように、おそらく消費者が本当に今求めているのは、大きい小さいにかかわらず「品のある商売をする会社」である。

 いろいろな規則や規格が増え、「なぜ食べ物でこんなことを決めるのか」と思っている消費者が多い中、自分たちでもできることがある。それは、国が開催しているリスクコミュニケーションの場をもっと活用することだ。もともと、国の施策をきちんと理解してもらうために話し合う場として作られたが、近年は主催者と参加者の意見の対立がまとまらない場面にあり、昔の新鮮さがなくなってしまった。その限界を解決するため、国も、自分たちで話を進められるリスクコミュニケーターの養成に力を入れている。

 最近ではテーマを決めて、その話題で申し込めば、わざわざこちらまで来て、説明し合う場を設けてくれる出前教室の仕組みも提案されている。もしも、そうした場を全国で積み重ねることで、今問題となっている法律を直しましょうか、という自発的参加型のところまで持っていけるリスクコニュニケーションができたら、それが真のリスコミだろう。私が今申し込むのなら、テーマは「食品衛生法の11条3項の『一律基準』の運用」に決まっている。(東海コープ事業連合商品安全検査センター長 斎藤勲)