科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

斎藤くんの残留農薬分析

ポピュリズムに翻弄される食品安全行政

斎藤 勲

キーワード:

 日本食品衛生協会が発行する「食品衛生研究」の7月号で、群馬県衛生環境研究所の小澤邦壽所長の、「ポピュリズムに翻弄される食品安全行政」という提言が掲載されていた。医師でもある小澤さんは提言の中で、先進国の日本で切実に追い求められる価値は「健康」であるため、食品の安全が注目を浴びる。その結果、消費者はいろいろな情報に漠然とした不安を抱き、理性的な思考が停止する、と指摘する。最後には、「魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈するポピュリズムと権力のスパイラルにはまり込む。BSE(牛海綿状脳症)はその最たるものである。」と書き、方丈記の文「世にしたがへば、身苦し。従わなければ狂せるに似たり」を抜粋して結んでいる。小澤さんのやや嘆くような提言から、食品安全行政がどうあるべきかを考えてみた。

 小澤さんは提言の中で、4年間群馬県の食品衛生行政を担当した自らの経験から、自信を持って「わが国の食品はきわめて安全である」と主張する。中国産ギョーザの事件など、一連の食品偽装事件は食品安全を脅かす構造的欠陥によるものではなく、どの国でも一定の割合で起こり得る犯罪の1つである。そして、どこにでも偽装食品をたくらむ人はいるものであり、ウソつき食品ではあっても危ない食品ではない、とも述べている。事件性を疑うような食品事故には食品防御の視点での対応を、偽装食品を出した企業にはそんなことをしても社会的制裁を受けて儲からないことを分からせることが必要だと思う。

 しかし、健康への過剰な期待と不安が、理性的な思考を停止状態に陥れ、身動きがとれなくなる。その事例として、群馬県食品安全局が都道府県で唯一「厚生労働省の全頭検査の緩和措置には科学的根拠がある」との見解を表明して問題となったことが挙げられる。

 2007年の6月と9月、群馬県議会で民主党改革クラブの議員が、BSE対策に関する質問を行い、当時、食品安全会議事務局長を兼務していた群馬県衛生環境研究所長の小澤さんが答弁した。群馬県議会インターネット議会中継でそのやり取りが見られる。これは一見の価値がある映像だ。

 08年7月、厚生労働省の20カ月齢以下の牛のBSE検査補助を止めることに対し、毎日新聞が全国の都道府県に問い合わせたところ、「今回の厚労省の判断は科学的に妥当性がある」と答えたのは群馬県1件だけだった。議会質問はその報道についてのものだ。

 小澤さんはよくぞはっきりと言われたと思う。小澤さんはさらに、「厚生労働省の判断は科学的、かつ医学的には妥当である。しかし、県民が納得してくれる政策的な判断は別で、今後協議していく必要がある」とも答弁している。この判断も妥当だと思う。群馬県にある20カ月齢以下の牛は06年で22067頭中656頭。国からの検査補助は36万円に上る。

 08年12月の群馬県議会では、国の検査補助の打ち切りについて容認するのは東京都と群馬県だけで、あとは反対か未定を表明。検査頭数トップの北海道も1億円余りの独自予算を組んで検査を継続するなど、17都道府県が検査継続を決めていた。知事もできるだけ早くBSE対策会議で最終判断をしていくと答弁した。現状ではどの都道府県も全頭検査を中止していないので、群馬県も36万円払って継続しているのだろう。

 本来、全国知事会議のようなところで、まず科学的評価として20カ月齢以下の検査中止は妥当性があることを確認すべきだと思う。その上で、県産の牛が県内だけで食肉処理されるわけではない状況を踏まえ、消費者の理解も得ながら、全国都道府県がそろって検査をやめる方向に推進しないと全く進まない事案だろう。1匹1匹の小さなネズミが猫に鈴をつけようと頑張るよりも、みんなで作戦を立てて猫に鈴をつけることを考えないと進まない。

 検査の妥当性について議論することは、食品安全行政を科学的に運用するためにも避けては通れないものだと感じている。また、それをやれるだけの「全頭検査」という世界でもまれな検証実験を行って貴重なデータを積み重ねてきて、国際獣疫事務局(OIE)からも「管理されたリスクの国」と認定されたのだから、議論のための条件は整っているはずだ。検査データは使わなければただの紙切れの束かコンピュータのサーバー容量を無駄に食うデータファイルとなってしまう。

 リスクのある問題に、消費者のコンセンサスをただ座して待つだけの対応しかできないならば、食品安全行政はまさに悪しきポピュリズムと化してしまうだろう。(東海コープ事業連合商品安全検査センター長 斎藤勲)