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食の安全と安心、タイにもあるが日本とはまるで違う

森田 満樹

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 食の安全・安心とは、使い古された言葉だが、日本ほど安全と安心の距離がかい離している国はないと言われてきた。安心という単語は多分に主観的で、英語ではぴったりはまる単語は確かになさそうだから、これは日本人特有の概念であると。だから当然、タイ人も安全と安心をそんなに区別していないだろうと思っていた。このことをタイの農業大学で話したら、途端にタイ人から「それは違う」と指摘された。タイ語では、安全と安心の概念は、まるで違うものとして存在するそうである。

 タイには、Kasetsart University(カセサート大学)という有名な農業総合大学がある。大学の中の広大な敷地の中には、何とタイの農林水産省や水産庁があり、併せて実験施設や分析機関もある。日本でいえば、さしずめ農業大学の中に霞が関の役所やつくば学園都市の研究機関が点々と散らばっているような感である。タイは官と学が極めて近い位置付けにあることが分かる。ちなみに厚生労働省に当たるタイFDAは、こことはかなり離れた場所にあり、役所機関が集まる別エリアに位置している。

 さて、その大学の中にAgricultural and Agro-industrial Products Improvement Instituteという農業技術研究機関がある。先日、そことタイのイカリトレーディングの共催で、食品安全シンポジウムが開催された。講師は日本から東京海洋大学の日佐和夫教授、食品安全委員会企画専門調査会専門委員でイトーヨーカドーQC室の伊藤正史氏が招かれ、私も末席に加えて頂いた。さまざまな立場から日本の食の安全の現況を紹介するという趣旨で、対象はタイ国内の日本向け輸出企業の担当者である。会場が大学構内であったせいか、大学研究者や役所関係者も多く参加し、総勢百数十名の参加者となった。

 シンポジウムの詳細についてはまた別の機会に譲るが、私の講演内容は「日本の消費者活動と食の安全・安心」。タイの食品事業者とコミュニケーションをするのはこれが初めてではないのだが、その度に彼らの共通する思いが「何でそんなに日本の消費者は食品の安全について神経質に気にするのか」という点であることに気付かされる。日本の消費者のため、彼らは現場で記録を取り、科学物質や微生物の基準値をオーバーして違反にならないかどうか、最大限の注意を払わなくてはならない。タイ国内向けと日本輸出向け工場とでは、施設から従業員教育までまるで違うという。

 確かに日本の消費者意識をひも解かなければ、何でこんなに日本人が安全を追求するのか、タイ人はわけが分からないままだろう。少しでもその参考になればと思って、1960年代に相次いだ食品事故から消費者団体がどのように力を持ったのかを説明したかった。日本の消費者運動は当時の食品問題からスタートしている。そして現在、消費者団体がどのように政策に関与しているのかも紹介した。

 日本の消費者は、ここ数十年の経験から、食の安全について食品企業や流通事業者に何度も裏切られているような思いがある。そのために信頼関係を築くことができないまま、過剰に心配してしまう。客観的で科学的な安全から、観念的な安心がどんどんと離れていき、安全と安心はますますかい離しているのだと説明した。するとその説明中に、「タイでも安全と安心は全く違う言葉で別々に存在する」という意見を頂いた。

 「タイでは安全ということばは(クワーム)プローパイ、安心はサバーイジャイと、それぞれ当てはまる言葉と概念を持つ」というのである。ちなみにその単語構成からプロ—パイは危険から離れるという意味があり、サバーイジャイは心が快適というような意味だろう。確かに全然違う概念である。タイ人に聞くと、その2つの言葉はもともと一緒に使う言葉ではないという。例えば、セールスマンがこの商品は安全ですよと売り込む時にサバージャイという言葉を使ったら、心が快適というのは人によって違うので、この人何言っているの? ということになるらしい。この場合は、必ずプローパイを使う。

 つまり、もともと人によって概念が異なるようなサバーイジャイの概念を、相手に押しつけるのはおかしいから、同じ文脈でこの2つの言葉を並べることはないらしい。そうなのか。もしかしたら日本では当たり前となっている安全・安心ということばをつなげて使うこと自体が、おかしいのかもしれない。もしこの食品は安心ですよと言ったら、何だか心が豊かになるような怪しい効能があると誤解されてしまうような言葉の概念であったなら、「安心」なんて言葉をたやすく使えなくなるだろう。そう考えると、日本人の使う「安心」ということばは、むしろ「安全」ということばに近く、かい離しているわけではないのではないか。

 何だか言葉遊びのようになってきたが、質問してくださったタイ人と講演後にお話をさせてもらったところ、私の母校の農芸化学科に留学経験がある大学の先生であった。彼は、私の話を聞いて、日本の消費者団体がそんなに数が多いということに驚いたという。タイにも、消費者団体というのは一応存在するらしいが、食品の安全性について物申すというところにはまだ至っていないらしい。

 シンポジウム後に、ほかの参加者とお話をしたところ、タイでは消費者は食の安全がどの程度かということ自体、意識の中にまだ入っていないのではないか、だから日本の消費者意識は理解しがたいという。安全は量によって決まるという概念はなく、危険か安全かのどちらか。そういえば、数か月前に腐敗した魚の缶詰配給事件というのがあり、洪水被害者に配給された魚の缶詰で吐き気をもよおした被害者が多数出たという大規模食中毒事件があった。

 その一方で、食品添加物の誤使用による食中毒など、小さい地域で起こる報道されないような事件もよくあるらしい。タイ人の求める食の安全は、プロ—パイ、つまり危険からうんと離れた地点にあってほしい、その一点だろう。そうした国の人々に私たち日本の消費者は、安全だけでは物足りず、安心な食品や農産物を輸出することを求めている。(消費生活コンサルタント 森田満樹)