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多幸之介が斬る食の問題|長村 洋一

意外な結論であったトリプトファン事件の真相が示す健康食品の問題点

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2010年1月6日

 トリプトファンは生体内では睡眠と日内リズムに関連のあるセロトニン、メラトニンに代謝される重要なアミノ酸である。トリプトファンはこの生体内での働きが注目され、1980年代の終りに米国を中心に睡眠導入のための健康食品として爆発的に売れた。しかし、間もなく好酸球の急激な増加と非常に強い筋肉痛を伴う患者が多数発生した。その症状には好酸球増加筋肉痛症候群(EMS)の疾患名が付けられ、FDAはトリプトファンの健康食品としての販売を停止させ、全製品の回収を指示した。やがて、その原因は昭和電工の製造したトリプトファンに含まれていた不純物であるとの結論が出された。1992年に小生が事務局長を担当し名古屋で開催された国際トリプトファン研究会でのメインテーマの一つがEMSであった。FDAの関係者も多数参加し、開催されたシンポジウムにおいてその原因を不純物によるという結論をだした。しかし、その真相は別なところにあった。

 先月のこの欄でも少し触れさせていただいたが、トリプトファンによるEMS騒動について多くの方がトリプトファンの製造過程に副生した不純物によると信じておられる。昨年末に開催された日本トリプトファン研究会の席上でたまたま小生がこの話をする機会があったが、参加者の多くがやはり不純物によると誤解をしておられ、改めてことの真相が知られていないことに驚かされた。実はこのように述べている小生も3年前に発行された内藤裕史氏の著書「健康食品中毒百科」(丸善発行)に出会うまで知らなかった。内藤氏の報告は非常に綿密な文献調査に裏付けられていて多くの研究者がこの真相を不純物によると確信した過程も明らかにされている。

 簡単に結論に至るまでの経過を纏めると、EMSの発生後間もなくその症状がスペインで1981年に発生した化学物質による中毒とよく似ていたことから、トリプトファン中に不純物の存在を疑いFDAは回収を命じた。そして、疫学調査と若干の動物実験を基に昭和電工の製造したトリプトファンに含まれる微量の不純物が原因であるとの結論を出した。しかし、突き止められた不純物による動物実験は昭和電工のトリプトファンを飲んだ場合の8000倍でやっと症状がでること、昭和電工の製品でないトリプトファンでも大量投与によって同じ症状が報告されていること、昭和電工の製品が出る以前にもトリプトファンの投与によってEMS様症状が出ていること、ある種の神経系医薬品とトリプトファンとの併用でEMS様症状が誘導されること、不純物が原因として報告された疫学調査の方法論にかなり致命的な誤りがあること、さらにはトリプトファンが全く関与しないで発症するEMSが存在すること等などから昭和電工の不純物によるという説はほぼ完全に否定されている。この経過の詳細は内藤氏の著書に理路整然と記載されている。

 ところで、このトリプトファン事件の真相は健康食品の抱えている問題点を見事に具現している。まず、これは医薬品においても共通することであるが、効果が出る化学物質は、その摂取量を超えると体質、個体差、環境などにより副作用がでるということである。トリプトファンは1g以上の摂取によって確実に多くの人々に心地よい眠りを誘う。ドイツ、カナダなどでは一般人や精神疾患患者も含めて、医師の処方箋の基に睡眠導入剤として現在も使用されている。すなわち、食品ではあるがその目的とした効果が医薬品並みに確かに得られる。少なくとも小生は自分自身で時差ぼけのときに試した経験から素晴らしい健康食品であると確信している。そして、必須アミノ酸ということを考えれば少々の摂取は安全性と言う観点から心配ないと考えるのは一般的心理としておかしくない。しかし、現実には大量投与により事件は発生してしまった。

 ここには、食品だから安全だという意識に対する危険性に関して強い警告が内在している。最近、種々ビタミンのみならずCoQ10、αリポ酸などかつて医薬品であった物が食品の範疇で販売されるようになった。多くのビタミンは栄養機能食品として法的にその摂取上限量が規定されているが、CCoQ10やαリポ酸などは完全な食品の範疇に置かれているため摂取上限に関する法的な規制も無く全く野放しの状態である。(CoQ10については、食品安全委員会で摂取上限値を議論した)そのためダイエット効果等を狙って医薬品としての上限量を超えた摂取が行われ、αリポ酸などでは耐糖能異常など発生の報告が幾つも出始めている。食品=安全という思考の中で健康食品が扱われると、トリプトファンのような大事に至らなくても過剰摂取による障害は必ず多発する。毒性学の言葉を借りるまでもなく、どんな物質も毒物になるかならないかはその量に依存するからである。

 次にトリプトファン事件の被害者救済のための責任の取り方の問題である。事件発生当初から、トリプトファンに含まれていた不純物であると公的に出された結論に対して患者集団は損害賠償を昭和電工に求めた。しかし、その原因は不純物ではなく単に多量摂取に有ったと推測されるに至った。この時点で不純物に起因するとしたら責任は取らなくても良いことになるから、昭和電工は米国の健康食品事件史上最高といわれる賠償金は支払わなくても済むような気がする。しかし、実際には昭和電工は賠償金支払いで患者と和解している。その責任は不純物混入による過失に対してではなく、いわゆる製造物責任法(PL法)によっている。ここに健康食品を製造販売する立場の大きな責任問題を見ることができる。それは、使用者が多量に摂取したということであっても事件を起こしてしまったらその責任は間違いなく製造者に来るということである。そして、トリプトファンが医師の処方箋の基で使用されているケースにおいては発症しなかったという事実は、例え健康食品であっても過剰摂取を防ぐためには一般市民に対して的確なアドバイスのできる人が必要であることを示している。

 最後にもう一つ、昭和電工のトリプトファンに不純物が含まれることになったのは、枯草菌の遺伝子組み換えを行ったことと精製過程が不十分であったためと結論付けられていた。そこで、遺伝子組み換え食品による世界で最初の死亡事故が発生した事件としても注目を浴びた。そのため遺伝子組み換えという技術の導入により発生するかもしれない問題の新たな危険性の一つとして指摘された。さらに遺伝子操作によりそのような危険性が予測されていなかっただけに、遺伝子操作が引き起こす不気味な現象としてのイメージ作りに大きな役割を果たした。現に遺伝子組み換え食品に対しての反対運動を行っている人達の反対理由となる重要な事件として長く取り扱われている。

 以上のようにトリプトファン事件の真相が不純物ではなく、使用方法の誤りに起因していたことが明らかになってきた過程を振り返ると、健康食品の世界にもその表示、販売方法、使用方法に関するアドバイスなどに対してしっかりした法的根拠を与えることの重要性が浮き彫りになっている。消費者庁では現在「健康食品の表示に関する検討会」が開催され新しい方向が模索されている。この検討会が皮切りとなって健康食品の法的な存在意義が確立され、健康食品による健康障害が発生しない社会ができることを望んでいる。(鈴鹿医療科学大学保健衛生学部医療栄養学科教授 長村洋一)

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