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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

どうなるグリホサート発がん裁判 陪審員評決は3連敗だが環境保護庁は発がん性を否定

白井 洋一

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遺伝子組換え作物の最大手、モンサント社がバイエル社に買収され、モンサントの社名が消えて2019年9月5日で1年になる。新会社の戦略、新商品の開発計画もいくつか発表されているが、メディアの社会・経済面をにぎわしているのは、グリホサートによる発がん裁判の動きだ。

グリホサートはモンサント社が開発した除草剤で、この除草剤を散布しても枯れない組換えダイズ、トウモロコシ、ワタ、ナタネなどの作物の種子と除草剤をセットで販売することで巨額の利益を得た。グリホサートは多くの種類の雑草を枯らすため、空き地や道路端など非農耕地の除草にも広く使われ、日本のホームセンターなどでも大量に売られている。

昨年8月、米国カリフォルニア州で、校庭作業員の男性が、長年グリホサートを使ったため、非ホジキンソンリンパ腫(白血球ガンの一種)になったと訴え、一般人による陪審員評決は原告の主張を認めた。その後も同様の裁判が続いているが、8月に環境保護庁がグリホサートに関して改めて見解をだすなど、今年の夏も、米国メディアはグリホサート発がん裁判をめぐってにぎやかだった。

ただし、グリホサートの安全性、発がん性リスクを検証する科学記事ではなく、被告のバイエル社は果たして裁判に勝てるのか、株価下落に耐えかねて、示談・調停に持ち込むのではないかという記事ばかりだ。昨年8月の陪審員評決の結果は2018年11月15日の当コラム社名は消えても社会面をにぎわす 旧モンサント社の除草剤グリホサートで書いたが、今回はその後、2019年8月までの途中経過を紹介する。

 ●陪審員裁判は原告側3連勝

グリホサートで白血球ガンになったという訴えは米国で1万8400件もあるが、裁判(一審、いずれも陪審員評決)はいままでに3件が終了した。

1件目 2018年8月 加州 陪審員は補償的損害と懲罰的損害を合わせて2憶8900万ドルの賠償金を命じた。後で判事の裁定で7800万ドルに減額。

2件目 2019年3月 加州 陪審員は合わせて7830万ドルを命じ、判事は2530万ドルに減額。

3件目 2019年5月 加州 陪審員は原告の夫婦2人合わせて20憶5500万ドルを命じ、判事は8670万ドルに減額。

判事が減額して、もっとも安い2件目でも2530万ドル、1ドル110円として27憶8300万円だ。これがあと1万8千件以上あるのだから、被告のバイエル社は応じるわけにはいかない。

1回目の評決が出てからバイエル社を訴える原告が急増したが、がん患者自ら訴える場合もあるが、弁護士が「白血球がんと診断された人、グリホサート散布や暴露の可能性のある人」をテレビやラジオの広告で募集しているという。裁判費用は弁護士がすべて立て替え、成功報酬は賠償額の3~4割が相場らしい。きちんとした情報源ではないが、弁護士が「集団訴訟を起こすから、この指とまれ」と原告を集めるのが当たり前の訴訟大国、米国ではありうる話だ。

なお、いずれの裁判も、製造物責任(PL法)を焦点にしており、発がん性の因果関係よりも、「発がん性の可能性がある」と除草剤に表示しなかったことの製造者責任を争点にしている。

4件目の裁判は8月19日に予定され、旧モンサント社の本社があったミズリー州セントルイスで開廷ということでメディアの関心も高まっていた。しかし、直前になって延期となり、裁判所による調停、原告と被告代理人(弁護士)による取引など、憶測を含む情報がいくつか流れた。

 ●バイエル社 株価暴落で示談・調停も検討

グリホサートは使用基準通りに使っていれば安全で、人の発がんリスクはないと米国環境保護庁(EPA)は認めている。バイエル社は賠償額に関わらず、3件の陪審員裁判の評決を認めず控訴している。弁護団も有力弁護士を雇い強化したが、判決が出るたびに、バイエルの株価は暴落し、資産価値が落ちたと、株主、特に機関投資家の不満は強まるばかりだ。両社の合併は、バイエルの株主だけでなく、モンサント側の株主も承認したが、買収(吸収合併)によって株の資産価値が上がると判断したからだ。

資産価値だけでなく、バイエル社の医薬品や健康ビジネスにも悪い影響がでるという声が内部からも上がっている。バイエル社の幹部は7月30日に、引き続き控訴審で争うが、条件によっては示談・調停も検討するとコメントした。

 8月9日Farm Press紙は「バイエル社は総額80憶ドルで示談を提案」と報じた。

1万8000件の裁判まとめて、60憶から80憶ドルの示談金で、原告弁護士と協議しているという内容だ。控訴審で勝訴したとしても、弁護士費用を含め膨大な裁判費用がかかる。また過去の判例から、製造者責任の集団訴訟を最高裁が扱うかも見通せないなど、バイエルにとっては裁判が長引くと良いことは一つもないらしい。

もっとも8月15日のUSAgNet紙は、80憶ドルで示談という情報は信頼できないと報じている。

8月19日のセントルイスでの4件目の陪審員裁判は10月に延期が決まり、さらに昨年8月の1件目の裁判の控訴審(二審)は9月と10月に口頭弁論の予定と伝えている。示談・調停の可能性も否定できず、思わぬ展開も予想されるが、いずれにせよ社会面の出来事だ。

 ●米国環境保護庁は発がん性を改めて否定 製品への表示も認めず

米国環境保護庁(EPA)はグリホサートの発がんリスクを否定しているが、2019年4月30日に延び延びになっていたリスク評価書の更新(最終)版を発表した。

2017年12月にリスク評価書案を公表し、意見募集を経ての最終版だ。花粉媒介昆虫など環境面の規制は強化したが、ヒトの健康への影響、発がんリスクは、今まで通り「表示に従って適切に使用すればリスクなし」である。意見募集は7月5日で終了し、今年後半に最終決定の予定だが期日は決まっていない。しかし、現行の法律では、グリホサートに発がんリスクはないことになる。

 さらに、EPAは8月8日に「グリホサート製剤に発がん性の可能性ありの表示は認めない」という製造者向けの文書を発表した。

これは加州がグリホサート製剤を販売する際、「発がん性の可能性あり」という表示を認めたことへの対抗措置だ。EPAは発がん性リスクなしと認めているし、海外の審査機関も国際がん研究機関(IARC)以外はリスクなしと認めている(日本の食品安全委員会の名もあげられている)。EPAはIARCよりはるかに多くのデータを審査して結論を出している。発がん性リスクを示す証拠がないのに、「発がん性の可能性あり」と表示するのは、使用者、消費者に誤った情報を与えることになるというもので、90日以内に誤った警告表示をやめるよう命令している。

●IARC グリホサートの発がん性 大規模集団調査報告書を発表

グリホサート発がん裁判やヨーロッパでの再承認騒動などの元になったのは、2015年3月に世界保健機関(WHO)傘下のIARCが「グリホサートはおそらく発がん性の可能性あり」とグループ2Aにランク付けしたことだ。

そのIARCが3月18日に、フランス、ノルウェー、米国の約31万6000人の農家を対象とした農薬と非ホジキンリンパ腫のリスク解析という論文を発表した。

5種類の農薬を分析し、グリホサートは、3か国の大規模集団調査で、発がんリスクとの関連性は認められなかったと結論している。しかし、IARCはQ&Aのコーナーで、「今回の結果は今回のデータからの分析結果であり」、「2015年のIARCの結論は十分な証拠があり、結論を変更するものではない」とコメントしている。

●1万8400件の裁判の扱い 控訴審(2審)の判断が分かれ目か

IARCの主張は相変わらずのごり押し、開き直りだが、これを批判する報道がないのもふしぎだ。2015年の発がんリスクの決定過程の内幕もはっきりしないままだ。

EPAのリスク評価と誤情報の表示禁止命令は、いちおう筋が通っている。一審の陪審員裁判で原告勝訴となっても、二審の控訴審で、EPAの見解が受け入れられれば、バイエルは表示しなかったという製造者責任を負う必要はなくなる。普通に考えればそうなるのだが、大量の裁判数、長期化で、株主を含めバイエル社がどうでるかは不透明な部分が多い。10月に延期された4件目の陪審員裁判の評決も原告側が勝つのか?  最初の控訴審(二審)はいつ、どんな判決がでるのか? 最初の控訴審で原告敗訴になれば、後の裁判の結果にも影響するが果たしてどう転ぶのか?

注目すべき出来事が続くが、いずれにせよ、科学・環境面のニュースではなく、社会・経済面の話題だ。白血球ガンと診断された人たちは気の毒だと思うが、職業ジャーナリストたちの熱が入るワイドショー向きのニュースという気がする。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介