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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

社名は消えても社会面をにぎわす 旧モンサント社の除草剤グリホサートとジカンバ

白井 洋一

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2018年9月5日、バイエル社(ドイツ)によるモンサント社(米国)の買収手続きが完了し、遺伝子組換え作物の最大手として君臨してきたモンサントの社名は消えた。

社名は消えたが、長年、モンサントを標的に組換え体や農薬を攻撃してきた市民団体は相変わらず、「モンサント」が攻撃対象だ。マスメディアも「バイエルのモンサント」や「バイエルのユニットのモンサント」という表現が多い。8月に米国の裁判所が、除草剤グリホサートでがんになったと訴えた原告を支持し、2億8900万ドルの賠償を命じた。額が巨額であり、日本でも、反モンサント、反組換え体の評論家や学者などがとりあげ、一部メディアでも話題になっている。しかし、裁判は州段階の一審で、確定したわけではない。この裁判に関連して、モンサントは別な除草剤でも訴えられているという記事も目に付くが、裁判の内容がまったく違う。

●グリホサート発がん裁判

2018年8月10日、カリフォルニア州上級(最高)裁判所の陪審員は全員一致で、「グリホサートが原因でがんになった」という原告の主張を認め、総額2億8900万ドルの賠償を命じる評決を出した。原告は46才の学校校庭作業員で、2014年に白血球ガンの一種、非ホジキンリンパ腫と診断された末期がん患者だという。

2018年9月19日のロイター通信によると、陪審員はグリホサートが発がん性の原因かどうかよりも、発がんリスクの可能性があることを、モンサント社が製品にラベル表示しなかったことが重大な過失であると判断したようだ。そのため、補償的損害賠償として3900万ドル、懲罰的損害賠償として2億5千万ドル,合計2億8900万ドルの賠償金を課した。

これは素人の陪審員の評決だが、10月23日、プロの判事は懲罰的損害賠償を3900万ドルに減額し、計7800万ドルとする判決を出した。被告(モンサント)の評決無効の訴えも却下したが、原告側の「グリホサートと発ガン性の因果関係」も十分証明されていないとして、大幅に賠償金を減額したのだ。それでも、モンサントにとっては多額の賠償金であり、負けに変わりはない。同様な裁判が米国だけで5千件も控えているので(8千件という報道もあり)、ここで妥協するわけにはいかない。弁護団を増強し、次の裁判で無罪を勝ち取る構えだ。

カリフォルニア州では2017年に、グリホサートを州の発ガン物質リストに入れるべきという環境団体の裁判もあり、製品への表示は認めないが、発がん可能性リストに加えるのは合法との判決が、州上級裁判所で出ている(USAgNet、2017年3月16日)。

発がんの可能性とは、2015年3月にWHO(世界保健機関)傘下のIARC(国際がん研究機関)が「グリホサートはおそらく発がん性の可能性あり」とグループ2Aにランク付けしたものだ。

当コラム(2015年4月15日)

グリホサートに発がん性ありと言っているのはIARCだけで、他の審査機関はいずれも発がんリスクなしという結論だが、「国際機関が発がん性ありと断定した」という「事実」だけが強調される。今回の裁判も、末期がん患者を最初の原告に選び、陪審員の感情に訴え、因果関係の証明よりも、危険であることを表示しなかった過失を争点にした原告弁護士の作戦勝ちのように思える(現時点では)。

校庭作業でがんになったのなら、危険なグリホサートを使わせた使用者にも責任があるように思うが、判決記事を読む限り、これには触れていない。今回の賠償額で原告が同意するかは12月7日が期限で、不服なら原告は別裁判をおこすことになる。バイエル(モンサント)はいずれにせよ、発がんの責任はないと争う構えだ。別な原告による裁判も来年2月25日に始まる予定で、またメディアの社会面を賑わすことになるだろう。

(参考)  グリホサート発がん性をめぐる主な動き

2015年3月20日 IARC おそらく発がん性あり(グループ2A)にランク付け

11月12日 EFSA(欧州食品安全機関) 再評価し発がんリスクなし

2016年3月8日 欧州委員会 再更新(15年間)の採決先送り、EU(欧州連合)の混乱始まる

5月16日 FAO/WHO合同専門部会 発がん性、遺伝毒性なし

2017年3月15日 ECHA(欧州化学品庁) 発がん物質には該当せず

11月27日 欧州委員会 5年間の再更新で決着(2022年末まで)

12月18日 米国環境保護庁 発がん性、健康リスクなし(2018年4月まで意見募集)

●ジカンバ周辺作物ドリフト裁判

グリホサート発がん裁判の巨額の賠償金を伝える報道では、バイエル(モンサント)は他の除草剤(ジカンバ)でも同様な裁判を抱えていると伝え、ジカンバも健康被害を起こし、裁判になっているという論調の記事もあった。

確かにジカンバも裁判になっているが、これは周辺農作物への飛散による作物被害の賠償請求だ。ジカンバはオーキシン系という植物の生理作用をかく乱する物質によって、雑草を枯らす。ダイズやワタにはグリホサート耐性の組換え品種が長年、使われてきたが、グリホサートに抵抗性をもち、枯れない雑草が増えてきたため、代わりにジカンバ耐性のダイズとワタが登場した。しかし、ジカンバは飛散やガス状化して、周辺の作物に発育障害をおこす。野菜や果樹のほか、ジカンバ耐性でないダイズやワタにも被害が出る。2017年から本格的な商業栽培が始まったが、飛散防止対策が徹底せず、多くの作物に被害が出た。そのため、ドリフト被害集団訴訟として、ミズリー州の裁判所でまとめて2019年10月から審理が始まる予定だ。モンサントだけでなくバスフとデュポンも除草剤ジカンバを販売しており、訴訟の被告になっているのだが、メディアはモンサントが被告と報道することが多い。

ロイター通信2018年10月10日

抵抗性雑草対策のため、周辺作物へのリスクがあっても使わざるを得ないジカンバだが、米国環境保護庁は2017年のトラブル続出を重視し、2018年に改善が見られなければジカンバの使用を全面禁止にすることも考えていた。

生産者やバイテク・農薬メーカーにとって幸いなことに、環境保護庁は11月1日、ジカンバの使用を2019、20年の2年間認めると発表した。風の強いときには散布しない、作業者に講習を義務付けるなどの条件が守られ、2017年よりも周辺農地へのトラブルが大幅に減った成果のようだ。しかし、2019,20年の使用条件は、州政府の認証を受けた作業者だけがジカンバを散布できると厳しくなった。散布期間も、ダイズでは種まき後45日以降、ワタでは60日以降は禁止になった。生産者にとっては、グリホサートのようにいつでも自由に、空中散布もできた除草方法と比べて、使い勝手の悪いツールだ。しかし、抵抗性雑草対策のため、使わざるを得ないのだ。ジカンバでも枯れない抵抗性雑草が出現しまん延しないことを願うばかりだ。

●今後のゆくえ

1年前(2017年11月16日)の当コラム「除草剤受難 ヨーロッパのグリホサートに続いて米国のジカンバも訴訟騒ぎに」でも、グリホサートとジカンバについて書いた。

このときはグリホサートのEUでの承認(再更新)が環境派の圧力で遅れている時期だったが、元は2015年3月、IARCが「グリホサートはおそらく発がん性がある」とランク付けしたことが発端だった。前述したように、IARC以外の主要機関はすべて、「グリホサートに発がんリスクなし」、「正しく使えば健康リスクなし」という結論なのだが、これで収まらない。IARCの決定プロセスや選考委員の人選に問題があるという指摘もあるが、IARCの強気の姿勢は変わらない。

環境団体は、リスクなしと結論した各国の審査機関に対して、「企業の未発表データを使っている」、「企業(モンサント)が報告書を代筆した」、「米国の大規模農業従事者追跡試験は調査方法が信用できない」と攻撃の手を緩めない。 欧州委員会やEFSAは論文になっていない企業内データも公表して、審査の透明性を高める方針だが、今までの審査システムは信用できなかったとも言われかねない。

グリホサートがこれだけ標的になるのは、モンサント社の製品だからだ。反遺伝子組換えで長年活動してきた環境市民団体や報道業界はこれからも攻撃を続けるだろう。すべて嘘の情報を発信しているわけではないので、判別は難しいかもしれないが、グリホサートとジカンバをひとくくりにし、グリホサート裁判のその後も伝えない記事、書き手は信用できない怪しい人たちとみなして間違いないだろう。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介